天使、という概念はそもそも日本に存在しなかった。
よろず神仏は開闢以来天地を問わずあまねく居まし、年に一度は寄り集まってパーッと一騒ぎ、などというわりとはっちゃけた皆様がこの狭い秋津島にお住まいなわけだが、天使はいなかった。否、天の御使いという意味では蛇や鹿、猪、熊などが居るわけだが、彼らもまた容貌魁偉にして霊力甚大な神である。時代に合わせて力は強弱するが彼らは彼らのみでいわば機能する一個の神であって、誰それの遣い、と限定されたサブキャラ的存在ではない場合が多い。
そういう意味で、古来より日本には天使は居なかった。そもそも土台となる宗教が違うのだから当たり前だが、天使は居なかった。
柔らかで優雅な衣装、愛くるしくも神々しい容姿、清らかな眼差し。
こじ開けられた扉に渋々と乗り出した異文化圏、そこで出会った芸術、宗教、慣習。耳にする言葉の周波数さえも違う異世界で、天使とは、そこで初めて対面したのだ。




「以来我が国は西洋の皆さんに憧れ、いいトコ取りもとい可愛いもの美しいものを吸収して参りました。商業主義?迎合?文化のミキシング?なんとでもおっしゃい。可愛いは正義です、そもそも我が国は古来より可愛いもの大好きで二次創作がお家芸なのです、宗教も慣習も取り入れればよいではありませんか、ええきっとその成果ですそうですとも、とうとう我が国にも天使さんがいらっしゃったのはきっとそのせいです。お可愛らしい天使さん、いらっしゃいませ、こんにちは?」
「う?」
「‥‥うん日本、とりあえず落ち着こうな?」

滔々と、息もつかせぬ長台詞を喋りきるやにっこりと、それこそ天使の微笑を湛えて、男の腕の中おっとりうごうごしている存在に挨拶をした日本に、さしものイギリスも一歩後退してから応えたものだ。
普段からたおやかで可憐で、優雅に一歩引いた立ち位置で物事を見守るイギリスの恋人は、一方でたおやかで可憐なままどこかいきなり遠い場所へとフルスロットルでかっ飛んでいく部分がある。未だイギリスにはそのスイッチの在り処が解らず困惑することもあるのだが、海峡向こうの隣国はその辺のスイッチが解っているらしく、時折一緒に予期せぬ方向へとイギリスをほったらかして駆けていったりもしている。

‥‥悔しいとか寂しいなんて、思わないんだからな、ばかぁ。

お決まりの台詞を心の中でぽつり呟けば、知らず腕に力を入れてしまっていたらしい。うごうごと動いていた温かな重みが、嫌がるようにおっとりうごうごもしょもしょした後で、紅葉のように小さくふっくりとした手のひらが、ぴたぴたとイギリスの顎下を叩いた。もしかしたら、頬や顔を叩いて押しのけたかったのかもしれないが、あいにく腕の寸法が足りなかったようだ。
ふわふわと、其れに着せた白いベビードレスが同時にイギリスの喉元をくすぐる。

「やー、」
「あ、ああごめんな、痛かったよな、うん」

慌てて小さな身体を抱きなおし、ぐずってふるふると振られている小さな頭を撫でながら滑らかな額にキスをすれば、きゃぅ、と遥か昔に聞いたきりの愛らしい、高く澄んだ声が上がった。
澄んだ湖水色の瞳に己の其れをひたりとあわせて安心させるように笑んでやれば、零れそうに大きな瞳がふんわりと解けて、小さな小さな身体全部できゅうっと抱きついてくる。

「いぎりす、さん」
「うん」

舌ったらずな甘えた声、甘い甘い匂い、あたたかい、柔らかい。
‥‥そして今にも倒れそうな恋人に、どうすればいいのかイギリスは解らない。

「にっ、日本?ちょ、大丈夫か、なあ」
「‥‥ええ、お気遣いなきよう。恐れ入りますすみません」

顔を伏せ、口元を日本の民族衣装の藍鼠色の袖元で隠すようにしたイギリスの恋人は、ふるふるとそのほっそりと小さな身体を震わせていた。漆黒の髪と、普段よりは幾分装飾の多い和装に顔や目は隠れてしまって感情が読み取れない。気分でも悪いのかと心配にもなるが、あいにくイギリスの両の腕は小さなぬくもりを抱きあげており、その華奢な肩を抱き寄せることさえかなわない。
なんとももどかしいが‥‥、しかし、自分の失敗は自分で挽回しなければならないのだ。




そうとも、失敗。




「‥‥失礼致しました、イギリスさん。あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます」
「あ、ああ。a happy new year,my dear.今年もお前の元に幸せの星があらんことを」
「はい、ありがとうございます。‥‥で、イギリスさん」
「‥‥ああ」

門松も青々と瑞々しい正月早々、恋人の家の玄関にて。
キリリと引き締まった凛々しい顔つきの恋人に、イギリスも思わず背筋を正して視線を合わせる。濡れたような漆黒の瞳は、今は艶々と力漲り、イギリスの常緑の瞳をキッと見返してきた。

実に、真剣である。
‥‥実に、楽しそうだ、と思うのは気のせいだろうか。否。




「その、お可愛らしい天使さんのようなカナダさんは、一体どのような仕儀で相成られたのでしょうか?」




話せば長いことながら、とか。

日本的な長い前置きを付け加えて説明しようかとも思ったのだが、懐から高速の速さでいかにも美味しそうな菓子を取り出した恋人へと、腕の中の小さな小さな温もりが腕を伸ばした拍子に抱き取られ、あっという間に屋敷の中へと連れ去られた為、イギリスは一言たりと説明する暇はなかった。
取り残された玄関で、きゃっきゃとはしゃぐ愛らしいこどもの声と、みかんのゼリーはいかがですか?栗きんとんは甘くて美味しいですよ、と実に楽しそうな恋人の声を、ぼんやりと聞いた。

「それともやっぱりメイプルシロップ的な甘いものがよいのでしょうかねぇ」
「めいぷる?ぼく、めいぷる好き」
「そうですか、そうですか。それでは後ほど我が国の皆さんが誇るメイプル風味のお菓子をお出ししましょうね。ええ、旧年中は本当に日本ではメイプル味が大ブレークで‥‥」

話せば長いことながら、とか。

いや、ちっとも長くはない理由でこの現状なのだが、もしかしたら己の恋人にとってはその理由さえどうでも良いのかもしれない。だって彼が西洋にその視線を向けて以来憧れ続けた天使のように、可愛く柔らかく愛らしい、こどもがそこに存在するのだから。 ‥‥できれば俺のことまでどうでも良いとか思われてなければいいな、とイギリスはほんの少し思いながら、己の細々した備品に加えてこども用の様々な生活用品を詰め込んだ大きなキャリーを引いて、恋人の家の玄関をくぐったのだった。









そんなこんなで、イギリスと、日本と、イギリスがEUROの面々集う忘年会の席で披露した魔法に失敗した結果としてミニサイズになったカナダとの、ちょっと不思議な年明け休暇が始まった、わけだ。

(ほらやっぱり長くなんてない理由だった!)