思い出す、それは優しい、優しい笑顔。





「そうですか、魔法に失敗して‥‥」
「うっかりな」

奇想天外、メルヘン過ぎるイギリスの言い分を総括した台詞を、吐息に混ぜ込むようにして零した日本の言葉に返されたのは、至極あっさりとそれを認める言葉で。
ある意味日本はそちらこそが不思議で、且つ驚いてしまった。

失敗や不具合を素直に認めるのは、欧州では珍しいという。
たとえ自分から車をぶつけても、真っ先に自分の非は絶対に認めない。それは謝罪という行為が全面降伏を意味し、法外な要求を突きつけられてもそれに対抗する術を自ら封じてしまうことだからであり、だから一先ず反論し、反論され。そうして言葉を重ね重ねて自らと相手、双方の望む落としどころを模索する‥‥と、言っていたのは、この人だったか、その海峡向こうの腐れ縁の男であったか。
どちらに教えられたにせよ、この国では未だ未成熟なディベートというある種の文化的素地を持つ地ならではの解決法だと思ったものだ。
しかしこの日のイギリスは至極あっさり、すっぱりと己の失敗を認めた。
まぁ、認めざるを得ない、ともいえるだろう。
この、現物を、前にしては。

「いぎりすさん、」
「っと、‥‥カナダ、いい子だからあっち、日本のほうに行ってな」
「うー‥‥」

テキパキと、さして広くもない和室内を動き回るイギリスの足元に、纏わりつくように小さく柔らかな身体がおっとりと動いている。柔らかく空気をはらんでは揺れるオフホワイトのベビードレス、甘そうな淡い茶色の髪。くるるんぴょん、と跳ねている髪がひとふさ、小さな彼が動くたびにふわふわと揺れる。
それは日本にとり、アメリカのようによくよく見知った相手‥‥とはまではいかないが、さしたる諍いもなく友好的で紳士的な交流を続ける大洋向こうの若い国、という括りで、それなりに親しんでいる相手の、其れと全く同じで。
その髪色をメイプルシュガーカラーだと言っていたのは、確か彼の兄弟だ。

いつも快活に過ぎる彼は、さて今頃どうしているのでしょう、と日本は埒もなく考える。

先日のクリスマスに新作のゲームソフトをハードと一緒にプレゼントしたから、自宅に篭ってゲーム三昧な日々を送っているのかもしれない。
或いは、欧州で巻き起こされたメルヘン過ぎる失敗に当事者でありながら当事者足りえず、欧州の年長者から彼にとってはワケのわからないだろう電話や悲鳴を、若者らしい快活な口調で笑い飛ばしているところかも。
‥‥唐突に姿を消した兄弟に、気がついているのかどうかも少し怪しいところだが。いや、あれは彼なりのというか、兄から確かに受け継いでいるツンデレ的要素が炸裂した結果の見失いであって、あれが本気で生来のものだとすればさすがにスットコ呼ばわり以前にいっそ同情というか‥‥

と、そこまで考えたところで、ぺしょり、と何か軽いものが畳を転がる音がして、日本はハッと視線を上げた。

「‥‥う、ふぇ、」
「うわっ?!ああ、だから足元は危ねぇって‥‥、あ、ほら泣くな泣くな」

男としてはかなり細身でさほど逞しくもないイギリスの腕が、小さな重みを軽々と抱き上げ、すんすんと鼻を鳴らす子どもを意外に慣れた手つきであやす。どうやら、忙しく立ち働くイギリスの足元を追っていたせいで、急に方向転換したイギリスの足に引っ掛けられてしまったらしい。
ふわふわとした髪が愛らしく縁取る柔らかそうな頬をイギリスに撫でられながら、全身で大人に抱きつく後姿は、教えられたとおりのシュガーカラー。
けれど身の丈は見たこともないほどに小さくて。

‥‥魔法の失敗などという馬鹿馬鹿しいほど不思議な理由によって小さくなってしまったカナダの姿に、日本は実のところ、今更のように困惑していた。

玄関先で彼の姿を見たときは、いささかその天使も斯くやの可愛さに浮き足立っていたというか、少々現実離れした目の前のリアルに、可愛いものや綺麗なものに対する日本的コレクター魂が呼応した結果というべきか。困惑も何もなく彼を抱き取り、恋人をほったらかして居間であれこれ菓子を与える、などという若干誘拐犯的な行為にいたってしまったわけだが、一頻り菓子を与え、その可愛らしすぎる姿にほわほわとしていたところに、なんとも微妙な表情を浮かべた大荷物を抱えた恋人が追いついて、その身体に駆け寄った小さな後姿を見て。
きゅっと抱きつくカナダをあやしつつあれやこれやと説明をされ、大きな荷物からこれまたあれやこれやを取り出して普段からイギリスが使っている部屋とはまた別の少しだけ広い客間に様々な細工を施していく(因みに何をしているかといえば、ストーブ周りに取り付ける小さな子ども用の安全柵であるとか、ドアストッパーであるとか、そういったものの取り付け作業だ)イギリスと、その足元に纏わりついて歩く小さなカナダを、日本はぼんやりと眺めて。
そうして、現在に至る。

「日本。ちょっとこいつ、見ててくれ」
「え?ああ、はぁ‥‥」

黒い靴下とプレスの効いたスラックス、スタスタと早足で近づいてくる恋人の足元からそのまま視線を上げれば、見慣れた恋人の顔と、その腕に抱かれた小さなカナダの愛らしい顔にぶつかる。零れそうに大きな瞳は、うっすらと潤んで本物の湖のようだと思った。
曖昧な言葉で頷いたものの、正座したきり動こうとはしない日本に、イギリスはちょっと不思議そうな顔をした後で、実に事も無げに己の膝を折り屈むと、ひょい、とカナダを日本の膝に下ろした。

少し甘い匂いのする、ふんわりと温かい、柔らかい重み。
その重みはどこか、身体の深い場所に優しく触れてくるようなもので。
温もりが与えてくるえもいわれぬ感覚に、日本は妙な具合に、息を呑んだ。




‥‥同時に、見たことのない優しい表情で笑った、恋人の顔にも。




「う、‥‥いぎりす、さ、」
「大丈夫だ、カナダ」

慣れた腕から放される不安か、離れていくイギリスの指先を小さな小さなそれが追う。
イギリスは、追ってきた指に、ごく自然に己の指を絡めて、小さくふくふくとした手のひらをきゅっと包み込み、軽くあやすように振ってみせた。

「彼はな、日本っていって、優しいひとだ」
「に、ぉん?」
「あー‥‥言い難いか?んじゃ、菊。きく、だ。言えるか?」
「きく」
「そう。‥‥優しい人だ。それに、俺の大事なひとでもある。‥‥大丈夫だ、な?」

優しい、優しい声音でイギリスは、小さな子どもに言い聞かせる。
それは日本が見たことのない、不思議なほどに穏やかな。




‥‥ああそれは、遥か昔に見た笑顔。
大陸、広い河、竹林の奥深く。ほっそりとした腕に抱き上げられて、頭をなでてくれたあのひとは確かにこんな風に笑って、日本を、




「きく?きく、さん?」

澄んだ愛らしい呼び声に、日本は脳裏を過ぎった愛しい記憶を途切れさせた。反射のように見下ろした己の膝上には、零れるほどに大きな青灰色の瞳をした、可愛いこどもが此方を見上げている。
先ほど、イギリスの腕の中から日本を見下ろしていたときよりも、若干不安げな様子が薄れているのは、きっと彼の大切な保護者が、日本のことを紹介してくれた為だろう。この頃のこどもにとり、親、保護者のいうことは殆ど絶対に等しい。「優しい」、そして‥‥イギリスの「大事な人」と紹介されたのに、日本は改めて面映い気分になる。
そして、その思いのままに日本は膝上に乗って己を見上げる、「恋人のこども」に、紹介どおりの優しい笑みを返した。

「カナダさん、こうしてお会いするのは初めてですね。私は日本。本田菊、とも申します」
「に、ぉ‥‥。きく、さん?」
「ええ、それでいいです。あなたは、しばらくこのお家でイギリスさんと過ごされるんですよ。今はイギリスさんが、貴方が過ごしやすいようにお道具を揃えているところですから。しばらく、菊と一緒に待っていましょうね」
「‥‥はぁい」

ふんわりと笑った、それはまさしく天使の微笑み。
またぞろ例のコレクター魂が発揮しそうになったものだが、今はそれより単純に、この可愛いこどもが愛しい、と思えた。
恋人の、イギリスの正真正銘のこども。‥‥イギリスが父か母か兄かはよくわからないが、まぁ、ちまちまと足元に纏わりついてこられるほどに懐かれていれば、イギリスも可愛くてならないだろう。




可愛くてたまらない、こども。
‥‥袂を分ったあの兄も、そう思ってくれていただろうか。




ついつい、と袖元を引かれて、子どもへと視線を返す。
くるんと綺麗にカールしたハニーブラウンの長い睫の下、青灰色の瞳が真っ直ぐに日本へと向けられている。
それから、おっとりとした声でなんとも可愛らしい挨拶を。

「あのね。あのね、ぼく、カナダだよ?」
「はい、カナダさんですね。‥‥ふふ、先ほどメイプルシロップがお好きと言ってらっしゃいましたね、あとで、メイプルを使ったお菓子を買いに、行きましょうか」
「ぼく、めいぷる大好きだよ!きくさん、は?好き?」
「そうですねぇ、あまり食べ慣れておりませんが‥‥一緒に食べて、もらえますか?」
「うん、いいよ!」

すっかりと打ち解けたらしい、ふわふわと愛らしい子どもの声に、日本は薄く笑って応じたものだ。

「‥‥ん?なんだ、えらく打ち解けたな」
「ええ、だってとてもお可愛らしいですから」
「いぎりすさん、あのね、きくさんがね、お菓子買ってくれるって。お出かけしていい?」

‥‥奇想天外、不思議に過ぎる現象で、けれどリアルなこの存在。
こんな笑顔でいられたら、可愛がらずにはいられない。

「ねぇ、カナダさん。イギリスさんのこと、好きですか?」
「うん!好きだよ。」
「‥‥そうですか」









思い出すのは、優しい、優しい笑顔。
(ああ、私も彼のことが、大好きだった。)