届く距離にいるひとは、絶対に届かない。




俺と彼女の距離、は。
手を伸ばせば届く距離、ではないけれど、届かない距離とも言えない場所。

「‥‥ハロー?モーニン?君は猫かな?梟かな。どのみち俺には夜行性の獣の知り合いはいないんだけど」

広いベッドからようよう手を伸ばして掴んだ携帯、握りつぶさないように力を調整するのが難しい。まったく眠気っていうのは世界に名立たる難敵だ。

「‥‥どうしたのさ、眠れない?それとも君のことだから、朝起きたら夜だった?」

テキサスを外してうすらぼやけた視界は青く、そういえばブラインドを下げていなかったなぁと思う。夜と光を混ぜ合わせた、淡い青。夜を忘れたここは不夜城、ニューヨーク。
ラインの向こうに広がる夜闇は、ここにはない。けれども夜は夜で、ラインの向こうも、同じ夜だ。時差はない。
手を伸ばせば届く距離、ではないけれど、届かない距離とも言えない場所に、いる相手だ。

「‥‥ああ、そうだね、暫く会ってないね。元気だったかい?」

眠気の残る掠れた声で紡ぐ言葉は他愛もないもので、だから安心したようにライン越し、届く声もまた他愛のない返答。

「‥‥俺かい?‥‥はは、そりゃ君と同じさ」

むしろ俺はヒーローだから、君よりもずっと忙しいんだぞ!
いつもの調子で紡ぐ言葉、いつもどおりの声を、送る。
そうされたいんだって、解るから、送る。

「俺も君も、忙しいね。ああ、日本も、フランスも忙しいって言ってたよ。‥‥きっと世界中みんなそうなんだろうさ」

紡ぐ言葉、ひとり夜闇に座り込んでいるんだろう彼女が、望む言葉を。

「だから、心配することない。」

‥‥大体あのひと、電話自体苦手じゃないか。古臭いひとだからね!ほら、スコーンが食べたくなりました、ついでに貴方のこと好きです、なんて電報か手紙でも書いてみたら?
嘯くように続ければ返される、慌てたような甘い声には軽く笑い返すのが正解で、だから俺は笑って眠いからもう切るよ、なんていう。
真夜中の電話を詫びる声、彼女の声から当初の不安定さが消えたのに安心して、けれどそれはおくびにも出さずに切らないといけない。甘えてきたきょうだいを、いつだって長い長い片恋に一生懸命な彼女を、俺は励ます世界一かっこいいきょうだいじゃなければならないのだから。

「‥‥おやすみ、カナダ。もう寝なよ、あっちはもう朝だ、明日の朝もし彼から電話が来たとき眠そうだと、怒られちゃうんだぞ」

老人は朝が早いんだから、なんて付け加えて、イギリスさんは老人じゃないもん、なんてお定まりの反論に笑う。

『おやすみ、アメリカ。ごめんね、ありがと。』

甘い声音を最後に切れたライン。

うすらぼやけた視界は夜を忘れた淡い青、同じ夜に沈んでいるはずの彼女のところとは全然違う。時差なんてない、隣国、東海岸。同じ夜の、同じ時間の中にいる。
手を伸ばせば届く距離、ではないけれど、届かない距離とも言えない場所に、いる、彼女。




それは嘘だ。




いつだって彼女の心を捉えているのは遠い大海を遥かな時間を飛び越えた向こうに居る、片恋相手だた一人で、少しあえないだけでも不安になって、けれどその不安を明かすのも不安で。

可愛いね、俺のきょうだい。そして残酷だ。

俺はため息をついて、身体を起こす。
難敵のだったはずの眠気は俺の片恋相手に見事にKOされてどこかに失せてしまった。
どうせ眠れないのなら夜を忘れた街に遊びに出ようかとも思ったけれど、立ち上がった俺がしたことといえば、ブラインドを下ろして部屋に暗闇を呼び戻すことだった。
握ったままの携帯、さっきまで繋がってたラインの向こうを満たしていた夜の闇に似た色を。少しでも。‥‥少しでも、恋する彼女と同じ夜を、共有したくて。時差なんてない、同じ時間、同じ夜。そして夜明けを迎えるだろう。‥‥勇気を出した彼女は、海の向こうの恋しい兄にご機嫌伺いの電話でもできるだろうか?
手を伸ばせば届く距離、ではないけれど、届かない距離とも言えない場所に、いる彼女。









けれどこの想いが永久に届かないことは、もう知ってる。









title/『distance in blue』

恋をする人はいつだって残酷だ