寝起きの悪い彼の、最高に寝覚めの良い瞬間まであと少し。




ソフトフォーカスの掛かった画像を徐々にピントを合わせていくようにして、意識のレベルが上がっていく。
窓から差し込む光は曙光の赤を取り払って白く、けれど北国仕様の二重窓からは外界の声は聴こえない。季節柄、野を駆け空を行く獣達の大半が巣に篭り休んでいるせいなのだろう。
長く厳しい雪と氷の季節を持つ国なのだ、己の、恋人は。

‥‥そのくせ本人はといえば甘くふんわり優しいあたり、もしかしたら厳しい季節とバランスでもとっているのかな、なんて。

埒もないことを思うのは、きっと半覚醒のぼやけた思考のせい。
母国の海峡向こうの腐れ縁が聞きつけでもすれば、テメェはいつだってワインに浸ってふやけた思考だろうがブドウの絞りカスめ、とでも悪態をつかれたかもしれない。
けれどしかし、ここは母国を離れ大海を渡った恋人の国。
厳しく激しい冬を抱く、甘く優しい、俺のあのコの‥‥

「って、あー‥‥?」

と、そこまでフォーカスの掛かっていた思考にようやっと身体の感覚が追いついてきた。
己の体温を吸ったオフホワイトのシーツは暖かで、ベッドのスプリングもとうの昔に慣れた効き具合。
普段はここに、恋人のその白いペットというか家族というか、ふあふあもこもこの一頭と恋人一人が眠っているわけだけれども。自分が‥‥フランスが、泊まりに来る日はその人員が、一部交代となる。

昨日も昨日で美味しい食事と久々だったせいで年甲斐もなくやや強引な誘いをかけて恋人を連れ込み、甘く激しく、とびきり熱い夜を、過ごしたわけなの、だ、が。

「ううう‥‥今日も、逃げられちゃいまし、たー‥‥ぁ」

金色の髭が顎を飾る、成年男性が呟くにしては可愛すぎる泣き言が、静かで独り寝には広い寝台に、寝息のように零れ落ちた。

フランスは、寝起きがあまりよくない。

無論これが戦場であるとか(まあ散々ネタにされるほどに弱い弱いといわれつつも、だ)であれば別なのだが、平時にそれほど爽やかな寝覚め、などというものは、持ち合わせていない。
パリのアパルトマンにいれば餌をねだるピエールに、所有している農園に居れば飼育しているガチョウやブドウ園、そしてエレーヌの世話にとようよう起きはするけれど、どこかの大国の(そう、ちょうどこの恋人の南に位置する昔は可愛かったKY!)青年のような、朝っぱらからフルスロットルな元気なぞ、ない。
そもそもフランスはあまり普段から朝食というものを摂らないので、仕事がある日も早起きする気なんぞこれっぽっちもなく。まぁ身だしなみだけはフランス男の性分できっちりと整えるが、それだってドアを開ける瞬間に整っていれば‥‥更に正確に言うなら家を出て素敵なパリジェンヌ(パリジャンでも構わないけどね!)に出会うまでに、である‥‥いいわけで、それまでの時間は大概ダラダラと過ごすのが常なのだ。
それは、可愛い恋人と過ごし眠った翌朝も、例外ではなく。

「カナーぁ‥‥お兄さん、腕の中がさみしーでーす‥‥」

柔らかな羽毛の枕に額をぐりぐりと押し付けながら、泣き言めいた言葉は続く。

寝起きの悪いフランスに対して、彼の恋人は普段のおっとりさとは裏腹に寝起きがいいらしい。
たまに会議に「朝起きたら昼だったんですよ!」などとおっとり駆け込んでくることもあるが、基本的には彼の年近い兄弟と同じ質らしく、すっきりぱっちりお目覚めらしい。
‥‥伝聞推定なのは、フランスがそのお目覚めシーンを数えるほどしかみてないせいである。

寝起きの悪い人物と、寝起きの良い人物がベッドを共にする。
ごく普通に考えれば、翌朝先に目覚めるのは、寝起きの良い恋人、ということになるだろう。‥‥ただ、前日の営み次第で、その率が変動するあたりが、身体を交わした恋人なのだけれども。

「‥‥‥‥久しぶりだったから、今日は俺のが早く目が覚めると思ったのになぁ」

身体はぐったりとベッドに伸べたまま、あくび混じりにぼやきつつパタパタと手のひらを動かせども、確かに抱いて眠りに落ちたはずの恋人の温かな身体はあるはずもなく。しかも人ひとりぶん隣りのシーツに欠片も温もりがない辺り、随分と前に恋人は起きだしてしまったらしい。
‥‥そういえば、ぼんやりと腕の中からフランスさん、と甘い呼びかけを聞いた気がする。

「えっとぉ‥‥前回も俺のが遅かったし、その前もかなぁ‥‥。あ、その前の前は、俺のが早く起きたっけ‥‥」

未だ眠気の払えない思考の赴くままツラツラと前歴を追っていき、最後にニヨリ、と実に締まらない顔で笑うと額を押し当てていた枕を抱き込んで、ぎゅうぎゅうと抱き締めた。
フランスのほうが早く起きた回というのは、短い会期の海外での会議でのことで最終日を終えて後は各国翌朝帰国するだけ、という日で。宿泊先として提供されたホテルの壁の防音性がやや低く、しかも隣室(フランスの、だ。恋人には勿論別に部屋が宛がわれていた)がフランスの腐れ縁であり恋人の母親でもある相手の部屋だったせいもあってか、恥らって声を抑えようとする姿にやたらと興奮して、無理をさせた夜で‥‥。

「‥‥‥あー、かーわいーぃなー‥‥あんな可愛くて大丈夫かな、可愛いコだけかかる病気とかあるんじゃないかなー‥‥いやお兄さんの愛があれば病気なんて超えられるよね、うん大丈夫‥‥」

フランスの陸続きの隣国であるゲルマン青年が聞こうものなら、お前の頭こそ大丈夫か、髭面のおめでたいヤツだけ掛かる新種の病気か?と真顔で言われかねない呟きを零し、独り寝には広い寝台の上を恋人の代わりに枕をぎゅうぎゅうと抱き締め、ゴロゴロと転がる。

「‥‥この枕がカナだったらいいのに」

ため息にも似て零された言葉は、眠気とそれ以外の何かを含んで、静かな寝室に掠れて響いた。




寝覚めの良い、可愛い可愛い恋人を、手に入れたのはもう随分と前の話だ。
かつては幼い、なにも出来ない幼児として己が最初に拾い上げた、新大陸のこども。何も出来なかった小さな彼を見つけて拾って攫って、自分好みに育てていった。最大限、利用できるように。領土拡張こそが正義の時代。

けれど。

『おはよう、可愛いカナダ』
『ふらんすさん、』

可愛い声、小さな身体で、精一杯己へと伸ばされる温かな腕に。
愛情を感じないでいられるわけもない。

‥‥結局は、信じるだけ信じさせて、あの子を捨ててしまったのだけれど。

あれから、長い時間が経った。
その間に価値観は変わり情勢は怒涛の如く変動し、世界は狭く小さくなっていった。
謀略と刃を交えて血を流し闘い続けた腐れ縁と酒を酌み交わし下らない皮肉を応酬するのも日常になり、嘗ては首都を明け渡した陸続きの隣国とは欧州を率いるニ大国として、足並みをそろえるようになった。
そして、あの子は。
可愛かった、フランスが捨てた新大陸の幼い子どもは、嘗て己から子どもを奪っていった宗主国から独立を緩やかに獲得し、先進国としてフランスと肩を並べるにまで、至った。

寝起きの悪い自分が無理やりに起き出し、腕の中すよすよ眠る小さな彼を起こしていた日々は、遠く。
眠る彼を再び抱き締める資格なんてもうないのだと、思っていた。

けれど。




「‥‥フランスさん?もう、まだ寝てるんですか?ほら、パンケーキ焼いたからもういい加減起き‥‥ッ、ひゃ、あ?!」
「カナダ、愛してる」

抱き締めた身体は、温かかった。
幼い頃に抱き上げた時と同じ暖かさで、けれどそれ以上に想いを募らせて。今の自分に出来る、ありったけの愛を告げる。
抱き締めた身体からかおる少し香ばしい甘い匂いは、おっとりとした口調のとおり朝食のパンケーキの匂いだ。それは遥か遠い昔、小さな身体を壊れもののように抱き締めて眠った翌朝、眠い目を擦りながらもどうにか起き出した自分が、小さな小さなこどもに焼いてやっていたのと、同じ匂い。

壊れ物のように小さな身体を抱き締めて眠っていた時代は、もう戻らない。
捨て置いてきた小さな子どもに縋りついて泣かれる夢には、今も時折魘される。

だからだ。だからこそ、‥‥今度こそ。




「‥‥離さない。好きだよ、愛してるよ、俺のカナダ。もう離さないよ、ねぇ、愛してるんだ」




呆れたようなため息は、眠気もそろそろ払えた腕の中から。
きっと、また寝ぼけて、だとか、本当に寝起きが悪いんだから、なんて思われているのだろう。自分の寝起きが悪いのは、付き合いだしてからもう長い長い時間過ごして、当の昔に知られていることだから。

‥‥それでもいいんだ、別に。

再び出会って、実は寝起きが悪いところだとかこどもっぽい執着だとか、保護者と被保護者の関係では見せなかった、呆れるくらいだらしないところも全て見せあって。
それでもなお、この子は自分を選んでくれた。
カナダは、フランスを選んでくれた。
だから。

「離さない」
「‥‥もう、」

そんなこと、目覚めのときから知ってます、なんて。
そんなカナダの呟きの意味は、実はよく解らなかったのだけれども。ふんわり笑った可愛い恋人が、甘く柔らかな微笑で目覚めのくちづけをくれたから。




こうして今日も寝起きの悪いフランスは、最高に寝覚めの良い朝を迎えるのだ。









la fin.