カナダが恋人と過ごした翌朝は、実を言えば結構息苦しい目覚めである。
「‥‥‥‥ッ、うー‥‥」
浮上してきた自我を拾い上げて、なおかつ酸素も拾い上げて。
呼気と吸気、幾度か懸命に繰り返して、そうしてようやっと、目が覚める。それが日常だ。恋人と過ごした、翌朝の。
うすらぼやけた視界は眼鏡を外しているせいだ。さてその眼鏡は今日はどこに投げ遣られたのだっけ、と考えようとして身動ぎした拍子、カナダは息を詰める。
別に、身体が辛いわけではない。
恋人に愛され、愛して過ごす夜は非常に心地良く、カナダを決して不快にすることはない。
メイプルシュガーを飽和量限界まで溶かし込んだような睦言も、滴り落ちてくる恋人の汗や吐息さえ。それらはカナダを煽りより一層の愛しさと快楽を掘り起こすものでしかなく、こうして再び共に在れること、誰に憚るでもなく空間を共有し、言葉や視線を交わして、身体を重ねることのできる幸せを噛み締める為の、重要なファクターのひとつなのだ。
‥‥であるからして、こうして少し息苦しい目覚めも、そんな幸せの一つであると、いえなくもないのだが。
「‥‥にしたって、僕、これ、ぬいぐるみ扱い、過ぎないかなぁ‥‥」
ぼやく声は朝焼けに美しく染まる寝室に、切れ切れに、おっとりと。
ぎゅうぎゅうと、ほんの少しの(そう、それこそ眼鏡を探す暇もないくらい!)身動ぎさえ許さないとでも言うように抱き締めてくる腕へとそっと指先を触れさせながら。やや呆れての、本日の第一声である。
カナダの恋人は、意外に力が強い。
普段からカナダの兄弟や連邦盟主をからかってはケチョンケチョンにされて涙目になっている姿をみるにつけ(結果が判りきっているのに近づいてからかいに行く辺り、ちょっとMっ気があり過ぎなんじゃないかな、とはカナダが常々思っているところだ)、強引さだとか腕力だとかとは無縁の、ただひたすらに優雅で繊細な存在に、見えるのだけれども。
『カナダ、』
囁いてくる言葉が、欲に濡れた眼差しが。
強引にカナダを攫い快楽と愛しさの渦に叩き落す姿をずっと間近で見続けて、彼が意外なほどに我が侭気ままで、力が強いことを、思い知った。
‥‥そう、昨夜だって、食事を終えたら殆ど無理やりに寝室に連れ去られた。そりゃ、僕だって彼に触れたくて堪らなかったのだけれど‥‥
「‥‥って、朝から何考えてるんだ、僕はッ!」
声に上げることで、己の思考を無理やりにシャットダウンする。ほんの数時間前まで散々に喘ぎ鳴いていたことを証明するような掠れ声は、この際無視してしまう。考えていたらキリがない。
‥‥そもそも、深い思考に至るには若干酸素が不足気味だと、カナダは己を抱き締めてくる農作業に鍛えられた太い腕に触れつつ、カーテン越しの朝焼けをぼんやりと見ながら、ぼんやりと思ったものだ。
恋人と褥を共にした翌朝は、こんな風に過ぎるくらいの抱き締め方で目が覚めることが、カナダの常になっていた。
普段から優雅で洗練されていて、何事にも執着心を露わにすることを恥じてさえいるような恋人が、ほぼ唯一加減無しの力をカナダへと加えてくるのが、この朝の時間であった。
その数時間前、どれほど優しくカナダの身体を愛そうと。
時には意地の悪いアプローチで泣き咽ぶカナダを熱に潤みつつも、決して優しさを忘れない指先で、暴こうとも。
こうして翌朝カナダが彼より先に目覚める瞬間には、加減を忘れた強さで拘束してくる。
そう、これは拘束だ。
「‥‥‥‥ふ、ぅ」
息をつくのさえようやっとのキツイ腕は、今日はカナダを背後から抱きこむ形で薄い腹と、胸に回されていた。
カナダよりも若干体毛の濃い、太いむき出しの腕。
抱き締められているカナダも夜着を纏わない素肌なのだけれども、その力強さや自分より年経た存在たることを知らしめてくるような少しひやりと乾燥した肌に、ああ、これは彼なのだなぁと、いつだって思う。
年を経た、‥‥幼い頃の自分を抱き締めてくれていたあのひとが、年を経てここにいるのだなぁと、思う。
幼い時分を、カナダは彼とともに過ごした。
勿論その頃は恋人などではなく、ただひたすらに優しい兄であり母であり、父であったのだけれども。
今日からはいつでも一緒にいてあげる、と甘く頼もしい声で囁き、抱き締めてくれた兄。
如何にも絢爛たる宮廷暮らしが馴染んだ細身の身体に甘い匂いを纏わりつかせ、それまで食べたこともなかったような甘い食べ物を作り、手ずから食べさせてくれた母。
凍えるような寒い嵐の夜、怯えて泣く自分に、何も心配することはないのだと抱き締めて共に眠ってくれた、父。
大好きだった。
無条件で甘やかしてくれる存在があったのだと、温かな腕の中で実感した。
‥‥知ってのとおり、その腕の温もりはは本当は無条件でもなんでもなく、新大陸の権益を得んが為のものであったし、しかもある日突然に失われてしまったのだけれども。それでも、カナダにその後継として、不器用だが優しい兄であり母を、カナダに残してくれた。そのおかげで兄弟とも共に暮らせた。
気に掛けてくれた。無責任に放り出された(と、少なくともこの恋人自身は思っているようだが)のかもしれないけれど、それでも「カナダ」が「カナダ」としていられるように‥‥無残に分割されないよう、強い庇護者をくれた。
自分は愛されていた。愛されていた。まぎれもなく。
優しかった腕。小さな自分を、いつだって優しく、壊れやすい宝物のように、扱ってくれたひと。
「あの頃は、こわれもの扱いだったのかな」
ほろりと朝焼けに染まる寝室に零した声は、酷く甘く笑みを含み、優しく響く。
愛をかわし、それこそ壊れるほどに揺さぶられ欲を快楽を暴かれて、それでもこうして翌朝、その腕の中で目を覚ます、この時間。
「ねぇ、フランスさん、」
もう僕は、柔らかなぬいぐるみじゃないですよ。
まして、小さな貴方だけの可愛い子どもでもない。
僕は、貴方の、‥‥
「‥‥ああ、そっか」
きつく抱き締めてくる腕に、不意にその理由を思い知った気がして、カナダは笑う。
そうとも、既に己は可愛がるだけのぬいぐるみでも、触れたら壊れてしまうこどもでもない。
多少のことでは壊れない。
‥‥多少のことでは、貴方を嫌いになりようもない。
寝覚めが悪いくらい、苦しいほど抱き締められても、何ほどのものか。
「‥‥‥‥これも恋人扱いの、ひとつ、とか?」
クスクスとカナダは、フランスと過ごした翌朝の常として、忍び笑う。
おかしくて堪らない。恋人が‥‥フランスが。ぎゅうぎゅうと抱き締めて愛を請うてくる彼が。もう離さないと、無言で訴えかけてくるこのひとが。おかしくて、可愛くて、愛しくてならない。
そのうち、そんなに抱き締めなくても僕は貴方から離れてなんてやりません、とでも言ってあげようかなと思いつつ。
今日もやはりいつもどおりに息苦しい目覚めは、いつもどおりに気分は最高の目覚めであると。
「‥‥ん、ぅ‥‥カナ‥‥?」
「フランスさん、」
そろそろ目覚める可愛い恋人に、さぁ、どんな顔をして告げようか?
the end.