彼の朝は、意外にも早い。
朝まだき、ガラス窓を通して沁み込んできた夜の名残の空気に目を覚ます。青を帯びた薄闇と静寂に満たされた小さめの寝室は、彼の気に入りだ。
ぼんやりとした意識をまだ温かなシーツに遊ばせ、うっすらと瞼をあげて緩やかに息をする。
あたかも闇と暁の境にあって、そのどちらへもしめやかな、祈りにも似た愛を捧げるかのように。
「ん、‥‥ぅ、んー‥‥」
少し掠れた声が静寂を打つ。
常から丹念に手入れをしている金髪は、けれど寝起きに少しだけ絡んでまとまり、薄明の青に今は銀を帯びてシーツの上へと散っていた。
ゆるり、と彼は視線を巡らせる。
薄闇の室内、そして、朝の気配を帯び始めたカーテンを引いた、窓へと。
彼は二呼吸ぶん、とろりとした視線で窓を見遣って後、ゆっくりと身を起こした。サラリと優しい衣擦れを立て、青年の裸体を包んでいたシーツが滑り落ちる。筋肉質なわけではないが、無駄のない、しっとりと密のある肉体だ。
いかにも寝起きらしいうっそりとした動きで、彼はベッドから足を下ろす。当然のように、こちらも素足だ。ひんやりとした床の感触に、青年は美しく整った唇へ淡い笑みを浮かべる。
ヒタヒタと冷えた床を事も無げに歩き、青年は椅子の背へと投げていたシャツを羽織る。そして、同じく小さな机の上においていた拳大の藤製の篭を指先にひっかけるようにして手のひらに収めた。
朝の気配が刻々と濃くなっていく。
夜の静寂に満ちていた空気は、無言のまま彩度を増していき。
勢いよく引かれたカーテンの向こう、暁が青年の美しい容貌を鮮やかに輝かせた。
青年はまばゆい曙光に一瞬目を眇めた後、軽やかな仕草で窓の鍵を解く。
年季の入った木製の窓枠はカタリと寝ぼけた音をたて、けれど部屋の主たる青年の手に逆らうでもなく、素直に朝を迎え入れるべく外へと開いた。
ふ、と青年の口元に華やかな笑みが浮かぶ。
それは彼のずば抜けて整った美貌と相俟って、さながらひそりと咲き零れる朝告げの花のであるかのような。
否、彼は紛れもなく、花なのだ。
花の都と呼ばれる首府を抱く、世界に名高きうるわしの国。
きらめく空の青を宿した瞳に、優しく甘い光が宿る。
それから、そっと白い指先を唇に緩く添えると、すぅ、と一呼吸。
高く澄んだ指笛が、朝の街へ鮮やかに響き渡った。
「‥‥‥‥ピエール!」
バサリ、と軽やかな羽音は、今日はアパルトマンの屋根から落ちてくるように。
飛んでくる、というより落ちてくるといったほうが正解な登場に、フランスは苦笑めいた笑みを浮かべつつ小さな家族を親指の付け根へと留まらせた。
「お前ねぇ、そこは美しく飛んでくるところだろー‥‥。なんだぁ、まだ寝てたのか?」
からかいを含んだ飼い主の言葉が気に入らなかったのか、銀にも似た青鈍色をした鳩はバサバサと羽ばたいてみせてから、フランスの顔をクルクーと鳴きながら見上げてきた。柔らかな羽毛がいくらか、朝の街にふわりと舞う。暁を受けてきらめきながらまだ人通りの少ない通りへと降っていくそれは、どこか季節外れの雪のようにみえた。
その軽やかな白い欠片を見るともなしに見ていたフランスであったが、手元で尚も身体を揺すりつつクルックーと抗議するように鳴く鳩の、そのどこか人間めいた仕草を見遣ってからやはり苦笑しつつ、傍らにおいていた篭から一掴み、小さな穀類を手のひらへと落とした。
「はいはい、怒らないの。‥‥ん、今日もいい毛並みだね、綺麗だよ」
今度は素直に餌をつつく小柄な姿に、フランスは滴るような甘さを含ませた褒め言葉をかけたものだ。
ピエールはといえば、当然と思っているのかはたまたまた言っているよとでも思っているのか、てんで無視して餌をつついていたわけだが。
手のひらに時折小さな嘴の感触をくすぐったく受け止めつつ、フランスは再び眼下の街へと視線を投げた。
高層階というほどではないが、街中ではそこそこに高いアパルトマンの上から二番目の階にある部屋から見る街は、なかなかの展望である。
石と木とセラミクス、伝統と最新を取り混ぜた美しい都市。少し靄に潤んだ優しい青が天を満たしている。
その青は、自分の色。眼下にあるのは、自分を構成する全て。
「‥‥ん?食事、終わった?」
コトリ、と飼い主の指先を揺するように振られた小さな身体へと再び視線を返せば、丸い澄んだ小さな目がフランスへと向けられていた。
それにフランスは、ふわりと蕩ける華やかな笑みを向ける。
小さな身体を留まらせた己の手ごとゆっくりと掲げ、滑らかな翼の付け根辺りに軽く頬を寄せた。
青鈍色の美しい羽はその下の身体のぬくみをそのまま宿して、飼い主へと僅かに体温を分け与える。
小さな身体からふわりと薫ったのは、花の匂いと、朝の匂い。
フランスはすぅ、と深く息を、一つ。
「さ、朝だ。‥‥行っておいで」
言葉と同時、外へ腕を振ったその動きに合わせるように、小さな空の住人が軽やかに羽ばたいた。
潤んだ青に、今は陽光を浴びて銀に輝く翼が閃く。
この街に、この国に目覚めを告げる飛翔。
その姿は、たとえようもなく美しいとフランスは思った。
美しい街、美しい姿。この国の、‥‥自分の。
「んー、さすがにナルシストに過ぎるかぁ?いやそうでもないか、お兄さんの美しさは世界一だもんねー」
すっかりと目の覚めきった軽い口調で埒もないことを呟きながら、大きく伸びを一つ。くはぁ、と暢気なあくびも一つ付け加えてから、フランスは室内へと踵を返した。小さな家族の食事のあとは、自分の食事の用意をする番だ。
「コーヒーとぉ、なんかあったっけかー‥‥?週末はあのコがくるし、今日はマルシェに行ってなんか仕入れないとねー‥‥。あ、メイプルシロップ買い足さないと」
甘い声で独り言を零しつつ、フランスはのそのそ台所へと向かう。
一度だけ、肩越しに窓を振り返った。
朝の光に輝く、麗しの街。花の都。
さぁ、今日も世界に愛を振りまいていこうか。