ぱりん、と何か淡いものが弾けるようなかそけき音に、青年は手入れをしていた薔薇垣から腕を引いた。
この国でもっとも美しい季節を控え、刻一刻と深まる緑の垣根には無数の可憐な蕾がやんわりと頭をもたげている。それらはやがて光る風と初夏の太陽の訪いに美しく咲き誇るのだろうが、大半は未だ瞳を閉じ、眠ったままだ。
青年はそれら滴る緑の只中、ガーデニング用のエプロンに鉄鋏という至極正しい格好をして手入れに励んでいた。
決して逞しいとは言えないやや細身の身体には、深い緑の欠片がところどころにまとわりついている。しかしそれらは彼を汚すものではなく、いっそ彼の凛然とした雰囲気をより引き立てる飾りのようでさえあった。
ぐい、と手甲で顎先に落ちてきた汗をぬぐう。
少し硬そうに見える豪奢な金の髪が、うっすらと雲のヴェール越しに降り注ぐ陽光にきらめき、‥‥一拍置いて、青年はまさしく花綻ぶかのごとくに微笑んだ。
「‥‥やあ、」
柔らかな口調は、きっと彼の『生身の』友人達がきけばさぞ瞠目したことだろう。
いや、いっそ彼らしいと、納得して笑ったかもしれないが。
皮肉屋で意地っ張りで、そのくせ寂しがりの青年は、とても情の深いひとだから。
つい、と伸べられた指先には、深紅の薔薇が一輪。
‥‥そして、その内側にはふんわりとやわらかな、人ならぬ存在。
「お前は、生まれたばかりかな?今?名前は、覚えているか?」
仄かな明かりのような、軽やかな綿毛のような。手のひらよりもまだ小さな生まれたての異種に、青年はとびきり甘やかな声で話しかける。
人ならぬ者を尊敬し慈しみ畏れ、そして深く愛してきた彼だからこその、甘く優しい声音だ。
この地に生まれ‥‥否、『この地として』生まれてより常に寄り添いきた存在。不器用で寂しがりな彼のそばにいつだって居てくれた、青年から彼らと捧げられる愛は、深い。
そして邪気なく純粋であるがゆえに、彼らから真っ直ぐ返される思いも、また。
「ほら、おいで。仲良くなろう」
甘い声音が、光降り緑滴る庭園に響く。
綻ぶ薔薇の内側に眠っていた存在が、伸べられた青年の手のひらへとふわりと居場所を移す。柔らかな薔薇の芳香が一瞬強く立ち昇り、青年とその小さな存在を包み込んだ。
「まだ喋れないんだな?ああ、生まれたてだから仕方がない。大丈夫、すぐに話せるようになる」
手のひらに灯った優しい光に、青年は優しく話しかける。
「ここにはたくさんの友達もいるからな。すぐに仲良く‥‥ん?」
ひそひそと、それは人の言葉ではなく。
けれど青年の耳には届く、不可思議な旋律にも似た声に、青年はもう一度、ふわりと微笑んだ。
そして、ひっそりとした声で、小さな存在からの問いかけに、応えた。
「俺は、イギリス。‥‥イギリスだ。それが、俺の名前」
手のひらの光が明滅する。
ひそひそと、音楽のようなかそけき音。
それに耳を傾けたイギリスは、鮮やかに微笑んだ。
「‥‥そう。ようこそ、この世界へ。仲良くしてくれよ?」
甘い声音が緑滴る庭にふわりと拡散する。
この国でもっとも美しい季節を前に、またひとつ。
緑滴るイギリスの大地に、柔らかく優しい関係が生まれた瞬間だった。