曲がり角、出会い頭に何がしかの障害物に出遭ったとすれば、驚くのは道理というものだ。
そう、それが人であれ、犬であれ。

「うぉ?!っと、おう、お前か」

ビクッとして双方が足を止めたのは、ほぼ同時。慣れた屋敷内でのこととはいえ、とっさの場面で衝突を回避できたのは、双方の反射神経やら運動能力の賜物というものだろう。
さすが俺様。そしてヴェストの犬。
彼は視線を下方へと落としながら、見上げてくる黒く濡れた瞳をじっと見遣りつつ思ったものだ。

この屋敷には、いくらかの人間といくらかの動物が同居している。
自分と、弟と。少し前まではもう何人か住んでいたしごく近い場所にかつての同居人なども家を構えてはいるのだが、今この屋敷にいる人間───もっとも、厳密に言えば『普通の』人間ではないのだろうが───は、自分達だけだ。
それに加えて住んでいるのが、ヴェストこと弟が飼っている、犬達である。
どいつもこいつも大柄で筋骨逞しく、猛々しい外見だ。
しかしながら内面はといえば、至極真面目で大人しい。しつけも行き届いており、無駄吠えなどはしないし、主が屋敷に滞在している間はその足元にぴっとりと寄り添っていることが多い。どの犬も皆、主である青年のことが大好きなのだ。
今日も今日とて、久々の休日で家にいるはずの主の傍で、ときおり頭などを撫でられつつ座っていた、と見覚えているのだが。

「どうした?ヴェスト、どっか行っちまったのか」

ぶつかりかけた相手に怒るでもなく見上げてきていた犬の前、彼はしゃがみ込んで話しかける。
なにせ大柄な犬のため、しゃがめば目線の高さが一致する。身体を覆う滑らかなコートとは違うピンク色の濡れた鼻と赤い舌、潤んだ黒い瞳に彼は笑いかけた。
ぱたぱたと黒いしっぽが揺れている。機嫌は悪くなさそうだ。

「‥‥つまり、ヴェストに何か危急の事態が起こっただとか、そういうことではない、っつーことだよな」

呟きながらそっと手を伸ばせば、頭を手のひらへと押し付けるようにしてくる。滑らかな手触り。そういえば、昨日弟は犬達を大騒ぎしつつ洗ってやっていた。
普段弟だけが洗うときは大人しいものなのだが、ちょうどイタリアが遊びに来ていたせいか、可愛いあの子が例の謎だらけの喚声や澄んだ歌声を披露したりと、なんとも賑やかな一日だった。

『に‥‥兄貴!』
『ヴェーッ、プロイセンも遊ぼうよー!可愛いよこの子達!』

窓越しから見ていた可愛い光景を、なんとなしに思い出す。
二階の窓辺にいたプロイセンに手をふり、鮮やかな笑顔で誘いかけたイタリアにひらりと指先だけで辞退を告げた。
それにまた例の謎の鳴き声で応じつつ、くるくると回って踊るイタリアに、遊んでるのはお前だけだ!と一喝して他人にはそれとは判らないなんとも楽しそうな顔でイタリアに水をかけていた、弟。
可愛い可愛い、俺のヴェスト。

「うーん‥‥?」

プロイセンはぱたぱたとしっぽを振りながら、こちらをじっと見つめてくる犬を暫し撫でた後で立ち上がると、相対していた大型犬の横をすり抜け、四足の同居者がやってきた方向へと足を向けた。犬も、彼の後を滑らかな足取りでついてくる。
それを背中に感じつつ、いくつかの部屋を過ぎ、少し迷った後で一つの部屋に立ち寄り、ついでとばかりにキッチンに立ち寄ってから、リビングへ。

「お、ビンゴ」

くり抜きの入り口をくぐりぬけての第一声。
常ならば、兄の声に振り返るくらいはする弟の、綺麗な金髪は伏せられたまま。ただ、その足元に寝そべっていた2頭の犬が、ゆるりと頭や視線をもたげて彼を出迎えた。
彼らは、声はたてない。‥‥ソファに身体を伸べた主人の眠りを妨げないように。

「ま、久々の休みに、あんだけ騒げばな」

呟きは密やかに、苦笑交じりに。
そして、立ち寄った部屋から持ち出したブランケットを、弟の大柄な身体にバサリと被せた。ドイツは起きる気配はない。どちらかというと気配に敏いほうな筈なのだが、よほど深く眠り込んでいるのだろうか。

‥‥或いは、自邸で、傍にいるのが大切な兄で、愛しいペットたちだから、だろうか。

自身の考えにニヨリ、と笑ったプロイセンはキッチンから失敬してきた瓶ビールのクラウンをチェストの角で抉り開けた。冷えたビールが喉を潤す。‥‥弟がベルギーでの会議のときにわざわざ買ってきたものだとは開けてから気がついたのだが、気にせずに飲んだ。
後で軽く謝っておけば済むだろう。あの厳しい弟は、身内に特別甘いのだ。

「ほら、オメェらも何か食うか?ご主人寝ちまってるしよぉ、ああ、確かフランスで買ってきたとか言ってたジャーキーがあったような‥‥」

すり、とプロイセンに寄り添って身体を擦り付けてきた犬の頭を撫でながら、その場にいた全ての同居犬に話しかけた。ドイツの足元にうずくまっていた犬達の耳がぴる、と揺れる。
それを横目に見つつ、プロイセンは踵を返した。ジャーキーは、キッチンにあったはずだ。

「っと、その前に」

踏み出しかけた足を、一旦止める。
それに、先ほどからずっと彼の足に纏わりつくように寄り添っていた犬が顔を上げた。
プロイセンはその厳しい、大型犬の瞳へと緩く笑ってやりながら。

「あのまんまだったら、ヴェスト風邪ひいちまってたぜ。‥‥呼びにきてくれて、Danke.」

わしわしと頭を撫でられた犬は、主人の兄からの感謝の言葉を理解したのか、ぱたぱたとしっぽを振って、おやつをくれるという彼の後を軽やかな足取りで兄弟犬達とともについて行った。




因みに一人リビングに残されたドイツはというと。
暖かいブランケットに身体を埋めながら、どこからともなく飛んできた小さなタンポポ色の小鳥に添い寝され、その小さいが温かな体温にふんわりと厳しい顔を緩め、たっぷりと睡眠をとる優雅で幸せな休日となった、らしい。

‥‥夜、楽しみにとっておいたベルギービールを兄に飲まれたことを知り、烈火のごとく怒るまでは。