「なーイギリス飲みに行こうぜ」
「テメェがどうしてもっつーんなら行ってやらなくもない」

それは日常会話というほどに日々に組み込まれているわけじゃないけれど、予定調和と言ってもいい程度には自分達の中に馴染んだ遣り取りだ。
欧州内の会議が一応平和裏にハネたことに対する打ち上げ、というのが今日の名目で、議場でたっぷりと渡された資料の類をそろそろ変わろうとする日付に些かぐったりとした部下の一人へアタッシェケースごと押し付けて、イギリスの薄っぺらい肩を抱く。
綿密な採寸の上で仕立てられたフルオーダーのスーツのくせ、巧妙に身体の線を消す古式ゆかしいブリティッシュスタイルのスーツは、自分の身体が薄いことを密かに不満に思っている腐れ縁らしい選択だ。
まぁそんなもの、これだけくっつけば大して意味もないのだけれど。

「坊ちゃんてばまた痩せたんじゃねぇの?もー、お兄さんは心配ですよお前んちの不味い飯でもこの際構わないからちゃんと食べなさいって」
「うるせぇな、食ってるっつの!今朝だってなぁちゃんと、」
「はいはいはいここがパリで良かったねーどの店で何食っても美味いからね!」
「聞けよ話を!だから‥‥っ、ああもう、いい。で、何食うんだよ?てか飲めるとこにしろよな」

世界各国には自分達は寄ると触ると喧嘩中、みたいな視線を向けられているけれど、実際のところはそんなことはない、とフランスは思っている。まぁ喧嘩するのは事実だけれど、それも含めて付き合いというか挨拶というか。
そういう距離感なのだ。
自分達は、海峡越しの隣国。ほんの数百年前までは散々に苦しめられた海峡も今となっては海路に空路に果ては鉄道と、あらゆる手段が安全且つ手軽に利用でき、気軽に渡れるようになった。
遥か昔から隣にあって、そうして今も隣りにいる相手と、予定調和のように会話と行動を共にする。
自分達の、フランスとイギリスの。変わらない日常。

「ま、無事会議も終了したってことで」
「おう」

多くのタクシーや鉄道が営業を終えた時間帯になっても適度な猥雑さと活気に満ちた繁華街の片隅、美味いワインと温かい食事がたっぷり摂れる店に腰を落ち着ける。飲めるところが云々といっていたイギリスだけれど、実際には空腹のほうが勝っているのだろうとつけた当たりは見事的中で、最初にカシンと合わせたワイングラスの赤ではなく、クリームとバターをたっぷりと仕込んだ煮込み料理や乙女の柔肌みたいに滑らかな白のマッシュポテト、熱々でジューシーなソーセージの皿が次々と空いていった。
決してがっついているわけではない。ただひたすら淡々と、粛々と、意外なほどに優雅な手つきで銀器を操り料理を消化していく隣国を眺めながら、フランスはゆっくりとグラスを傾ける。

「いつも思うんだけどさぁ、お前その薄っぺらい身体のどこにそんだけの量が入ってくのよ?」
「胃に決まってんだろ」
「いやそういう意味じゃなくてだね‥‥。あ、牡蠣食うだろ?」

返答はなかったが、フランスは気にしない。
それはイギリスがむくむぐとソーセージを咀嚼しているからで、けれどイギリスがアルカッション産の牡蠣を気に入っていることを心得ているからでもあるし、千年変わらぬ関係が作り上げた遠慮のなさでもある。フランスは返答なんて待たずに通りがかった給仕の青年に合図をした。
浅黒い肌に金髪が映える青年は、いかにもパリっ子らしい澄ました表情に滲ませるような艶を瞳に宿らせての一瞥後、注文を通すためだろう厨房へと続くカウンターへと戻っていった。高い腰に小ぶりの尻のラインがなかなか良い具合だ。

「うーん、俺好みィ♪」
「お前の好みは国民全員だろこの節操なし」
「失礼な、違いますぅ」
「語尾のばすな。‥‥どこが」
「お兄さんの好みは全世界射程です!」
「ああ、牡蠣はそこの変態じゃなくこちらに。Merci.」
「聞いてよ!」

他愛のない遣り取り。予定調和な応酬。
会議をして喧嘩をして酒を飲んで、適度な下らなさの会話。
きっとこんな関係はこれからも続くんだろう。これまでがそうだったように。
変わらない自分。変わらないイギリス。

「今夜どうする?俺んち来るか?ここからなら歩いていけるし」
「いや、家に帰る」

美味しそうな牡蠣を英国紳士的な無表情でほおばりながら言った、変わらないイギリスを見る。

「迎えが。メールしたら、クルマ出すって」
「‥‥そっか」

変わらない、痛む心を抱えたままイギリスを、見つめる。




イギリスは、変わらない相手だった。
千年付き合っても変わらない自分達の関係性を鑑みれば、当たり前なのかもしれないけれど。
イギリスは変化を極端に嫌う性質だ。
それが国内にごまんと歴史的遺産を保護している、国民的な気質からくるものなのかは解らない。変化を厭い、現状維持を良とする、そんな性格。
けれど同時に、一度受け入れた関係や事象は、どのようなことであれ驚くほどに心をくだき、大切にするひとでもあった。
自然に手を入れるなんて、と渋っていた薔薇の品種改良は公的な協会に名を連ねる熱心な育種家になり、手ずから育てた薔薇の薫りに満ちた自宅の庭は英国民の憧れの具現であるかのよう。貴族の女の手遊びだと嘯いていた刺繍も編み物も、今となっては玄人裸足の出来栄えの作品を嬉々として作り上げる。
イギリスは、変わらない。イギリスは、大切にする。矛盾なくこの二つを体現するイギリスは、手に入れたものを、手の内に入れたものを、長く長く、大切にする。

「彼、元気?」
「ああ」




愛を交わし受け入れた恋人を、長い間変わらず、大切にしている。
フランスの片恋相手には、とても大切にしている恋人が、いた。




海峡越しの隣国。ほんの数百年前までは散々に苦しめられた海峡も今となっては海路に空路に果ては鉄道と、あらゆる手段が安全且つ手軽に利用でき、気軽に渡れるようになった。
そうして気軽に渡ってきた隣国でイギリスが恋に落ちたのは、そう不思議なことでは、なかった。きっと。

「もうどれくらいだっけ、お前に彼を紹介されたのって。20年?30年くらいか」
「‥‥覚えてねぇよ」
「もーまたこの子は嘘ばっかり。あーんなとろとろのショコラみたいな甘ぁい声で紹介してくれたクセにね!」
「記憶を改ざんするな!べ、別に甘いとか、そういうんじゃ‥‥っ」
「イギリス、牡蠣」
「あ、」

声を荒げた拍子銀器からスルリと滑り落ちた牡蠣にイギリスの関心はあっという間に移ってしまって、フランスは自分から話題を逸らしたくせツキンと痛んだ胸に緩く笑う。

イギリスには恋人がいる。彼らが想いを通わせたごく初めの頃、フランスはそれをイギリス本人から知らされ、顔を合わせての紹介までされた。おそらく相手がフランス在住の、フランス人だった為だろう。
‥‥あるいは、そう。腐れ縁という名の親しい相手、身内に対する親愛表現のような、ものだったのかもしれない。
自分達は海峡を隔てた隣国で、千年以上もの間、変わらぬ関係を続けてきたのだから。
変われないまま、自分はイギリスを見つめるだけだったのだから。

「‥‥そういや俺は暫く会ってないっけ。そろそろ退職の頃?」
「や、それはまだ先だが、在宅の仕事がしたいって最近言ってるな。後はまぁ、相変わらず如何にもフランス人だけど」
「ああ、アッチのほうもまだ元気なんだ?さすがお兄さんちの子だね!」
「とりあえずそのお兄さん自身の息子から握り潰してやろうか?ん?」
「止めてお兄さんの息子はまだまだ現役続行したがってます!」
「ったく、」

照れた風でもなく、ばぁか、と悪態をつく隣国はしかしどこか甘く柔らか。
しっかりと愛されている証拠なのだと、フランスは思う。
イギリスの恋人は、『イギリス』のことを知っている、普通の人間だ。
それを知った上で尚二人は恋に落ち、静かに、まるで予定調和のような穏やかな日常の内に、愛を育んできた。
初対面当時は自分達二人とさして外見年齢は違わなかった恋人は、今ではすっかりと老成した男性になっている。
けれど、二人は変わらない。
相変わらず静かに愛を交し合い、静かに、お互いがお互いの傍らにあることを認め合って、海峡を行き来している。イギリスは一度手にしたものをとても大切にするし、彼の恋人もまた『愛の国』フランスの人間として、イギリスのことを大切に、愛していた。
その姿を、その愛を。フランスはずっと、見続けてきた。

イギリスは変わらない。
きっと、この男は恋人が寿命を迎えるまで愛し続ける。
若々しかった肌に深い皺が刻まれて、情熱的だった指先がイギリスの肌を辿ることがなくなったとしても、ただ寄り添い、その命の灯火が消えるその瞬間まで、傍にいるのだろう。
イギリスにとっては恋人と過ごす家こそが「home」。
変わらない彼の日常に刻まれた、確かな愛。

変わらない彼の日常に寄り添うのは自分なのだと、自分だけなのだと思っていられた過去は、遠く。

『なーイギリス飲みに行こうぜ』
『テメェがどうしてもっつーんなら行ってやらなくもない』

繰り返される予定調和。変わらない自分達の日常。
きっとこの先もフランスがこう言って誘えばイギリスはこう言って返すだろうし、それは1年後も、10年後も、‥‥彼の恋人が死んでしまった後でも。きっと、変わらないだろう。変わらない、変えられない、関係なのだ。

「なぁ、イギリス」
「ん?」

例えば、今ここでフランスがどうしても今日は俺のところに来てくれだとか、家で飲もうだとか言ったなら、イギリスは恋人ではなくフランスを選ぶかもしれない。いや、選ぶ。彼にとっての自分は千年を越す隣国を生きてきた腐れ縁で、友人で、長い長い年月を寄り添ってきた、大切な身内だから。
‥‥或いは、そのお堅い英国スーツを毟り取って組み敷けば、何か変わるだろうか。ずっと好きだったのだと、愛していると囁き、狂おしいばかりのくちづけを捧げたなら、‥‥そうすれば、なにか。

「イギリス」
「‥‥どうした?」

繰り返される呼び声にも、翠緑の瞳は揺るがない。千年の歳月を信頼しているイギリスは、そう。
‥‥ああ、そうだ。この男は肝心なところが優しくて、一途で、一度手にしたものに、心の内側に入れた相手にとことん甘い。薔薇の改良も刺繍も、俺にも。‥‥解っている、ずっと、ずっと見つめてきたのだから。




変わらぬイギリスを俺はずっと、変わらず愛してきたのだから。




「‥‥ん、いや。ああ、そう明日の朝はちゃんと食べなさいね、仕事が終わった開放感でイイコトすんのもいいけどそれ以上痩せないように」
「っ?!‥‥んなッ、だ、何言って、ッ」
「いや、だからセックスって意外にカロリー消費するでしょーが。年齢的にもあれだろ、騎乗位が多いんじゃね?上で腰使うのって結構‥‥あ、だからさっきから食べどおしなわけ?食いだめ?体力補給?」
「違ェよ!ちょ、もうお前黙れええ!」
「ほらほら、いいから牡蠣食えって貴重な栄養源ですよー。ほぉら、零さないの」
「お前があれこれ言うか‥‥むゃッ」

頬を真っ赤にして涙目のイギリスの口に有無を言わさず指先で摘まみあげた牡蠣を突っ込めば結局大人しくなって、その他愛のなさに濡れた薄い唇を指の腹で軽く叩きながら、フランスはにっこりと笑いかけてやる。
きょとんとした後ですぐに目を逸らされたのは、単純な照れ隠しなのか、或いは『フランス』の自分に、フランス人の己の恋人を思い出したのか。

「イギリス」

返事はない。けれど、構わない。

「なぁ、お前幸せになれよ。もう幸せなの、わかってるけどさ。もっと、たくさん」

フランスの呟きにやはり応えないまま、ほんのりと赤い頬でむぐむぐと牡蠣を咀嚼する片恋相手を眺めながら、フランスはゆっくりと酔えないワインを傾け続けた。
とろとろと甘くさえある己の声は、そういえばイギリスが始めて恋人を紹介してくれたときの其れに似てるな、と埒もないことを思った。









あと数十分もすれば、イギリスの携帯が鳴るだろう。
そうすれば彼は恋人と共に『家』に帰り、優しい時間を過ごす。
それが変わらないイギリスの、変わらない日常。

残された男は恋人達の後姿を笑顔で見送ってから、自宅に帰るだろう。
そうして一人、届かない相手の幸せを祈りながら、少しだけ涙を零す。

「イギリス。幸せに。‥‥好きだよ。どうか、幸せに。」

それが叶わない恋を抱き続ける、変わらないフランスの、日常。









 祈りと誓い、或いは





end.(2011.04.07)

或いは墓碑銘と。
BGM:"poems,prayers and promises" by John denver