ひとの感性っていうか感覚っていうか、そういうのは不思議なものだと、つくづく思う。

山積みの書類を眼前に、ページが真っ黒になるくらいまで書き込まれたスケジュール帳をポケットからはみ出させ、味もろくすっぽわからない会食の席で微笑みながら思うことはといえば、早く休みたいな、とかそういうことばかり。
休みたい。そうだ。人には散々っぱら仕事人間だワーカホリックだと言われるが、本当のところは、あの美しい薔薇や悪戯好きな妖精たちが棲まう己の屋敷に帰り、ただ休みたい。そればかり。
自動筆記具になった気分で書類を捌きながら、ベルトコンベアにのって組み立てられていく機械みたいにスケジュールを消化しながら、特殊メイクで作ったような笑顔のマスクを顔に貼り付けて有機物を咀嚼しながら。
ひたすらに、思う。ああ、休みたい。
休みがとれたなら、なにをしよう?
そうだな、なにを置いても庭の手入れをしなくては。春の庭は驚くほどに旺盛で奔放だから、夏に向かう季節をうまく制御してやらないと、次の季節を向かえる前に植物自身が疲れてしまう。土を起こして水捌けをよくし、肥料をやらなければ。来季の新芽の為に芽を間引いて、根周りも少し整理してやって。そうだ、ブロックを積んでミニチュアガーデン風のものでも作ろうか。
それから、そうだ刺しゅうの続きを。秋に始めたものは図柄がすっかりと冬仕様で糸も白や銀ばかりの、ちっともこれからの季節向きじゃないから、続きじゃなくて新しい針を入れよう。夏らしい、涼しげな青を基調にしたもの。晴れやかな青空、或いは深い海の色で。いや、まだ春だからすぐに使える春らしい図はどうか。つやつやとしたストロベリー、清々しい菫のヴァイオレット、匂やかな香草類のフラッシュグリーン。こころ浮き立つ色の糸を使って深い青の生地に、食卓を華やかに彩るテーブルクロスを。
ニットやキルティングもいい。ずっしりと重いシルクキルトなんて今ではすっかり見向きもされなくなったけれど、吸いついてくるような絹独特のあの手触りでソファカバーなんて、最高じゃないか。ああ、でも洗濯に困るかな、どうかな。
気に入りのリビング卓にとっておきのティーセットで紅茶を入れて、香ばしいお菓子を横に添えるんだ。俺は優雅にソファに腰掛けて、庭の花の配置を考えながら刺しゅうをしたり、キルトを刺したりしながら、紅茶を飲む。
ああ、なんて優雅で満ち足りた休みなのだろう。

あれもこれも、休みになれば。どれも全て、休みになったら。
ひたすらに思って、書類やスケジュールや会食を乗り越えて、そうして。




「ねぇ坊ちゃん。今日は庭の手入れをしなくていいの?」
「‥‥いい」
「刺しゅうは?秋に始めたテーブルクロス、俺にくれるって言ってたじゃん」
「‥‥また今度」
「なぁ、そろそろソファカバー掛けようぜ。前のはさ、そりゃお兄さんが汚して駄目にしちゃったのは悪かったけど、でもあれは俺がゴムないから寝室行こうっつってんの聞かずに生でぶっかけてって強請ってきたお前のせ‥‥ぃたぃたい痛いですごめんなさいイギリス!腿に噛み付くのやめて!」
「‥‥噛み心地悪ィ」
「え、なにその俺の身体が残念みたいな言いっぷり!?」

うっすらと瞼の向こう、壁一面を切りとったリビングの大窓から差し込む午後の光に乗せた、頭上から降ってくる、提案とか苦言とか泣き言を装った甘ったるい声を聞きながら、温かい体温に横たえた頭を擦りつける。
男の太腿なんて硬くてごわごわで、寝心地も悪けりゃ噛み心地なんて評価の対象外な代物だけれど、ただ、やんわりとした温みはいい。
だってこの温みは、書類を書けとも急かさない、終了時間を区切ったスケジュールじゃない、貼りつけた笑みなんて端っから必要ない。
頭を擦りつける硬い身体はただただ温かく、頭を撫でてくる手のひらはひたすら優しく、降ってくる言葉はどこまでも、甘く。
柔らかな午後の光を甘く揺らす、密やかな笑い声。

「まぁいいか。庭仕事は次の休みに俺も手伝ってやるよ。夏の花植えるんだろ?なぁ、あの辺にアンティークっぽいブロック積んでさ、箱庭風のとか素敵じゃねぇ?」

――次の休みなんていつだかわからないのに。ブロック積みなんて、体力ねぇくせに何を言ってんだか。

「刺しゅうはね、次の冬までに頼むな?楽しみにしてんだから。作りかけの、見たら銀色できらきらしてたから、なんだろうなぁあれに合うメニュー。カレーよりシチューかな。ことこと煮込んだ熱々のポトフ?そうだ、真っ白な粉雪降りかけたみたいなケーキはどうだろ。たっぷりの生クリームで、お前の好きなシードとか林檎とか混ぜてさ」

――まだみっつも先の季節の食卓を何真剣に考えてやがんだ、馬鹿じゃねぇの。クロスはお前の瞳の色した夏らしいのつくるって決めてんだよ、ばか。

「なぁ、お前他にもソファカバー作ってたろ、ずっと昔に。まだあるんならお兄さんが洗濯してやるから、掛けてたら?新しいの作るまでさ。ほら、落ち着いてできねぇし」

――ソファカバーがないと出来ねぇことってなんだよ。また生で顔に掛け‥‥いやなんでもない。ないったらない。

「‥‥イギリス?」

違う、違うんだ。
俺は休みになったら、あれもこれも、たくさんやりたいことがあって、そのために山積みの書類もぎちぎちのスケジュールも茶番めいた会食だって、乗り越えたんだ。
庭仕事を刺しゅうをニットやキルティングを、美味しい紅茶を片手に優雅にソファに腰掛けて。
そんな、優雅で満ち足りた休みを過ごす予定、だったのに。

「イギリス?寝ちゃった?」

庭仕事は放りっぱなし、刺しゅうは季節を越えても終わらずに、キルトのソファカバーは掛けられないまま。あれもこれもと思っていた休日の過ごし方の、どれもこれも放り出して、ただひとりの膝上に寝転んでるだけ。
柔らかな午後の光差すリビング、温かい膝。優しい手のひら。甘くてとろけそうな声。それだけなのに。
‥‥ああ、なのに、こんなにも。

「おやすみ、イギリス。起きたら美味しい紅茶淹れて、一緒に飲もうな?」

――お前が作った香ばしいお菓子が添えられるんなら、俺が紅茶を淹れてやってもいい、とか。
応えたつもりだけれど、言葉に出来ていたかどうかはわからない。

やっともぎ取った休日の午後、とろとろと甘やかす恋人の声とキスで、まどろんでいた意識が眠りの世界に落ちていく。
硬い膝は温かく、頭を撫でてくる手のひらは優しく。それ以外はなにもなく。

ただ、あれもこれもとあんなにも願っていた休日の予定全てより、フランスの膝枕をとったことを、それは其れでとても満ち足りた優雅な休日の過ごし方だった、なんて思えてしまえるのだから。
俺の感性っていうか感覚っていうかは、本当に不思議なものだとつくづく、思うのだ。









それが恋っていうものだよと、恋人は笑ったのだけれど。









 ニュートラル・ショートストーリー





end.(2011.04.29)

「‥‥なぁ、粉雪降りかけたみたいなケーキは?」
「え、それは冬の話で‥‥って、あれ今日食べたかった?今から作ってやってもいいけど。あ、でもそしたら膝枕と二択よ?」
「‥‥冬でいい」
「お前ときどき本当に可愛いよなぁ。お兄さんはケーキよりお前が食べたいです」
「黙ってろ枕。‥‥後で、」
「んんん、ベッドでなー。ソファカバーないし」
「また顔射かよ‥‥」
「えっ、顔っていうか全身いたるところにぶっ掛けたいっていうか、あ、でも中出ししていいんなら中がいいです!
久々だしちょっと濃くて量多いと思うけどお前ん中の締め付けをお兄さんとしては味わいたいっつーか、」
「黙れエロ枕。」
「なにそれ新しい罵倒」

なんでもない休日を恋人と過ごす贅沢。