ふとした瞬間に、彼を思う。




視界の端に捉えた緑の欠片に、足を留めた。
夕闇の迫る美しい石畳が続く坂の小道を、背後からくる足音が次々に追い抜いていく。
歯切れの良い革靴、華奢で繊細なピンヒール、或いは快活なラバーソール。
同じ履物であるという以上の関連性のない其れらは雑多でありながら、それらひとつひとつに別々の目的地があるという共通性を携えているのは思えば不思議なもので、雑多な総体が織り成す靴音はどこか音楽めいて茜色に染まる街を満たす。
そのうちの一つの靴音を途絶えさせ、視線をめぐらせたのは古めかしい店舗。
これは雑貨店‥‥否。メルスリー、手芸用品店、か。
間口の狭い、古めかしい設えの店舗の入り口脇に誂えてある硝子小窓の向こうには、若干日に焼けて褪せた刺繍糸や貝殻の釦、アール・デコ調のイラストが現代にあっては逆にモダンな針箱が、所狭しと棚上を埋め込んでいる。
その中に、それはあった。無造作に積まれた硝子瓶に、詰め込まれて。
グラスビーズだ。多分、だけれど。
多分、なんて不確定なのは、自分には手芸店に好んで寄るような針の嗜みがないからだ。手芸に用いる小物の区別はしかとつく筈もない。
美しいものは、好きだ。
だからこのビーズも、窓から差し込む陽光にまるで滴る森の緑のごとく輝く鮮やかな緑を素直に美しいと思って。だから、足を留めた。
そっと小窓から覗き込めば、深く輝く緑の硝子。
朝露を纏い佇む無垢な清廉、過酷な気象変化など気にも留めず凛々と生い茂る強靭。或いは、大地の息吹を吸い上げて濃密な息を零す、妖艶。
一の中にあらゆる風情を呑み込んでなお輝く、美しさ。
美しいものは、それだけで足を留める力がある。
心を捉える、魅力がある。




そうして、ふとした瞬間に思うのだ。あの男の、あの緑を。




長い年月を殺し合い、時に手を取って、やはりまた殺しあった相手だ。
深い森で出会った子どもと幾度となく相対しまみえた、焔立つ戦場。夜闇をも焼き薙ぐ紅を背に、自分達は刃を交え、覇を競い、星霜の月日を駆けて来た。
命の遣り取りはある意味情愛の交換よりよほど愛が深いのかもしれないとすら思う。
あの瞬間、深い、深い愛を交わしていたのではないかと、思う。
だから、今この心を捉える感情は、あの美しい名で呼んでよいのか惑うのだ。
自分達は長く共にいる。共に居ることに慣れすぎて、いつしかこの感情すら慣れてしまうかも、と恐怖すら覚えたのは、もうずっと昔の話だ。

今は、どうだろうか。

剣を取って殺し合い、不承不承に手を取り合って、銃口を互いの眉間につきつけて。其れにも飽きた頃にようやっと訪れた平和な日々、肌を重ねるようになった、今は。
いつだって一緒に居た相手だ。居て当然の相手であり、そうして今もこの先もまた当然いる相手である。慣れは、ないとは言い難い。

けれど、いっそ不思議なほど、ふとした瞬間。あの男を思い出すのだ。

石畳の小道を颯爽と行く革靴の足音に。
燃え立つ焔のごとき夕闇の紅に満たされた街角に。
古めかしいメルスリーの片隅に置かれた硝子玉に。

あの男を思う。思い出す。想いを馳せる。心を、囚われる、この感情を。




「‥‥やっぱり、恋って言うんだろうねぇ」




吐息のように呟き落とした己の声が、思った以上に恋慕に満ち満ちていたことを面映く思いながら。
フランスは、遥か昔から一緒に生きてきた恋人の美しい瞳に似た緑のグラスビーズを購入すべく、古めかしい手芸店の扉へと手を掛けた。
さて、針を嗜むあの男は、この美しい硝子玉をどんな風に美しい作品にしてくれるだろうか。
お前の瞳に似てたから買ったのよ、なんて。
言うつもりもないけれど、もしも言ったとしたならば、きっとあの美しい緑の瞳を潤ませて、また悪態のひとつもつくのだろう。それもまたあの男らしい。
けれど、それすら可愛く愛しいだなんて思ってしまうのだから、まったくしょうのないことだと思う。
そうしてまた緑の瞳の愛しい男を、想うのだ。









ああ、やはりこれは、恋なのだと。









 green sequence





end.(2011.11.27)

兄ちゃんポエム。