「たまに殺したなんのは、本当やねん」

例えば窓から臨む澄み切った青空だとか、明日の株価だとか、庭に鈴なりのトマトの成熟具合だとか。
そういう、まるで日常を話す口調で零す大人に、カナダは眉を顰めかけて、けれど寸前で緩く俯いて、視線をかわした。
饗された、己が両手で包むように持ったコーヒーマグは少し小さく、予め入れられていたたっぷりのミルクと砂糖の甘い匂いはするけれど、カナダ気に入りの甘く煮切った樹液の其れではない。
これが、最も疎ましくも慕わしい陸続きの兄弟のアパートメントであるとか、今も己にとびきり甘い最初の父親の家であれば。手の中のマグはもう少し大きく、カナダが幼い頃から好み安らぎすら覚える、濃い砂糖楓の匂いで満たされていたことだろう。甘いものはなんでも好きではあるけれど、乳と砂糖黍の甘みと、楓の其れでは全く違う。
父親も兄弟も、長い付き合いの中で其れをわかってカナダに饗す甘みを選ぶ。目の前の大人は己の父親でも兄弟でもないのだから、当たり前だ。ごく幼い頃、美しい父親の腕にしっかりと抱かれながら恐る恐る親しくしていた覚えは、なくもないが。
まして多民族・多文化国家として立国することを決めて以来、国内に目の前の彼の愛する者たちを受け入れてきてもいる現代だ。慕わしさを、覚えない相手では、ない、のだが。

「あの、真っ白なほっそい首とかな。だってそのまんま圧し折れそうやん?‥‥ああ、実際昔やろうと思ぉたこともあったけどな。アイツん首のなぁ、親指と中指広げて、横から横まで届くんやで?細いよなぁ。まぁ頚骨や喉潰せんでも、動脈掻ッきればええんやけど」

首横の、ここ。指とか歯、突っ込んでな。肝臓とか肺やるよりは肉も骨もないし、刃物がないときはようしたわ。なんて。青空や株価やトマトの口調で話される血と臓物の話を、果たしてどういう表情で受け止めていいのかカナダにはわからない。
わからないけれど、解る範囲で言葉を返す。

「掻っ切ったん、ですか?」
「んー、出来んかったわぁ」
「じゃあ、掻っ切られた、とか」
「お、察しがええなぁカナちゃんは。首やあれへんけどな。いやぁ、腹ン中錆びた鉄の欠片で引っ掻き回されるのな、痛いゆうより熱いわ」

どこまでも軽やかな、空と株価とトマトの口調は変わらない。
そも、カナダの知る限りこの南欧の大人はいつだって陽気で朗らかで、彼よりずっと若い国である自分に、優しかった。
歴史書に垣間見える、王統を巻き込んだ近隣諸国との権謀術数を駆使した日々も、南の文明を征した凄惨極まる血の影も。まるで窺えないほどに、朗らかな。‥‥彼を、覇権の座から引き摺り下ろした小さな海洋国家との血塗れの歴史も。遠く澄んだ空の向こうの、お話の世界のように。

‥‥ああ、けれどやはり、それだけじゃないのだな、と改めてカナダは、大人たちのことを思う。

この話に至るきっかけなど、なかった。本当に、ゼロだった。
ただ純粋に、ちょっとした簡単な仕事がてら渡った南欧で、話に伝え聞いた美味しいワインや鮮やかな青空に惹かれるように、顔を見せただけなのだ。
身一つで現れた若者を、大地の色の浅黒い肌にオリーブグリーンの瞳が映える大人は、澄み切った青空の朗らかな笑顔でもって歓待してくれた。 自分よりも高い位置にある頭を躊躇いもなく撫でる手、出会った頃の小さな子ども時代を思い出しているのか、たっぷりのミルクと砂糖のコーヒー。もういくらかもすれば、新鮮な魚介をふんだんに仕込んだパエリヤをはじめ数々の美味しい料理やカヴァがカナダの目の前のテーブルを華やかに彩るはずだ。隣国の兄弟ほどではないにせよ、しっかりと量を食べる我が身を思えば、それはカナダには喜ばしい以外の何者でもない。

けれど、パエリヤ鍋を揺する片手間で話される言葉に、どう応えたら良いのか判らないまま、カナダは俯いて小さめのコーヒーマグを包み込む。

殺したくなるのだ、と。
朗らかで優しい大人が事も無げにいう、その「殺したくなる」相手を、カナダは知っている。

時間というファクターを考慮しないで関係を鑑みれば、カナダとその相手は目の前の朗らかなラテン男よりずっと強く濃い関係だと言える。『カナダ』として生まれ落ちて以来己の体内には、最初の父親の血と同じかそれ以上に、その相手の血と想いが強く息づいているのだから。
‥‥ああ、だからこのひとは、自分にこんな話をするのだろうか? 自分が、彼の空気を持っているから。彼の、そばに居るから?

彼もまた、カナダにとっては優しい人だった。

限られた(文字どおり、制限された、という意味だ。他ならぬこの大人が「殺したい」相手によって。)付き合いだった目の前の相手より、優しくなかったかもしれない。海を渡ってきた美しい父の腕の中、じんわりと搾取されつつではあったものの穏やかにその身を育んでいたカナダを殆ど無理やりに引き離し取り上げ、若干放置気味で自由にさせてくれていたかと思えばカナダにとって(今では認めようとしないが、彼にとっても)兄弟との代理戦争の最前線に仕立てられ、わりと散々な思いをした、気がしなくもない。
ああ、確かに、どうしようもない兄であり、母であった。今なお緩やかな繋がりを持ち続ける相手に、そう面と向かっていう気はないのだけれど。

「本当になぁ、たまに殺したなるわ。あの眉毛。好き勝手しよったしなぁ」

‥‥けれど、過去から現代に至るまで身内は身内であるわけで。
そのひとをあっさりと、青空や株価やトマトの生り具合と同じ口調で「殺したくなる」と言われるのに怯んでしまったり、反発を覚えたりしたとて、仕方が無いだろう、とカナダは思う。

だって、あのひとは、本当に悪辣だけれど、優しい。
いつだって、幾度だって自分と(彼が狂うほど泣きながら手放した)自分の兄弟を見間違えるけれど、そのたびに具合の悪そうな表情で目を逸らし、忘れた頃にご機嫌をとるみたいに美しい薔薇や紅茶や、手ずから針を入れたキルトを手書きの美しいカードを添えて贈ってきたりするひとだ。 不実、三枚舌、嘘も悪巧みもお手のものなのに、おかしなところで不器用で素直で、一度懐に入れた相手には誰であれ‥‥たとえ手酷い別れ方をされてさえ。情を捨てられない、愛の深いひとだ。
カナダの、大切な身内。

(‥‥だって、あんなひとでも、僕のお母さん、だもの。)

「あの、でもスペインさん、イギリスさんは、」
「うん、そうやね」

する、と続く言葉を持っていかれたのに、カナダは音声にならなかった言葉をむぐむぐと口の中に遊ばせる。
大人というのはどうしてこう、ひとの言葉を切るのに長けているのだろうか。己の父親にせよ、このひとにせよ。そういえば、二人は欧州にあって古くから国境を接する隣国同士だったっけ。と、カナダはぼんやりおっとりとした思考をめぐらせる。‥‥そのおっとり具合こそが大人たちには微笑ましくつけ込み易いところなのだとは、カナダは知らない。
知らないまま、いつだって優しく朗らかな大人が、株価やトマトの生り具合を話す口調で話すのを、聞く。

「そうやね、本当アイツは面倒くさいし、ジメッとしとるし、未だにたまに殺したなるくらいには含んどる相手ではあるんやけど、優しい。馬鹿らしいくらいに、可愛い。」

青空だとか、株価だとか、トマトとか。
日常を話すのと同じ、軽やかでのんびりとした、けれど子どもを撫でる手よりも、ミルクと砂糖たっぷりのコーヒーよりも、ずっとずっと甘い口調で話すのを、聞く。




「イギリスをな、愛しとるのは、本当やねん」




朗らかで柔らかな歓待、幼い頃に優しくされたときそのままの、海の向こうの大人が、己の兄であり母である相手を慈しむ言葉を、聞く。




カナダは手のひらに包み込むように持ったコーヒーマグへと視線を落としながら、ゆるゆると息を吐く。自分には些か小さなマグは、そういえば小さな子どもの頃父親であるフランスの目を盗んで会いに来たスペインが淹れてくれた、たっぷり甘い飲み物と同じ匂いをしていると、今更のように気がついた。
父たるフランスの腕の中に抱かれ、兄であり母であるイギリスの後ろに庇護された状態で、本当に少ししか会った事はないのに。‥‥己の母たるイギリスと、「殺したくなる」ほどの、血塗れの闘争を繰り広げた、筈なのに。

「アイツのこと、好きやねん。愛してる。」
「‥‥そうですか」

愛と憎しみと慈しみを綯い交ぜに、零す言葉をはどこまでも朗らかで、情熱的だ。
大人というのは、本当に面倒くさいものだなぁ、とカナダは思う。
澄み切った青空と、明日の株価と、赤く熟れたトマトと。なんでもない日常に深く強く織り込まれた、たった一人への想いをどうしようもなく零す、恋をしている背中を、見つめる。
カナダの為に用意された甘いミルクと砂糖がたっぷりの、甘いコーヒー。
ふらりと訪れた若者に優しいのははたして陽気なラテン男の性分か、はたまたスペインが恋する相手の、身内なればこそ、か。
カナダはゆるゆると吐いていた息を、最後に一つ短く落としてから、うっすらと笑う。

「よっし、できた!ほならカナちゃんごはんにしよかー。親分特製パエリヤやで!」
「はぁい。‥‥ねぇ、スペインさん、」
「んー?」

‥‥そういえば次の夏休暇、あのひとはスペインで過ごす計画を立てていましたよ、嬉しそうに。なんて、教えてあげたら。
さて朗らかで優しく澄んだ青空のように笑う、母親の密やかな想い人は、どんな顔をするのだろう?




カナダはたっぷりのミルクと砂糖の甘みを飲み干してから、砂糖楓の甘さの笑みを浮かべて、おっとりと口を開いた。









  QUIZAS QUIZAS QUIZAS





the end.(2010.05.25)

彼は青空を愛しているのです。
彼は、青空の笑顔のひとを、愛しているのです。