コール、コール、コール。君を呼ぶこの声が聴こえるかい?
アメリカは国内に複数の住宅を所有している。
緑豊かな庭に広い屋敷と離れを擁した本邸のほか、複数のコンドミニアムやアパートメント、あるいはリゾート地の別荘など。広い国土を鑑みれば当然ともいえるが、両の指を足しても足らない数の物件は当然均等に使っているはずもなく、仕事や気分に合わせた住まいを2、3件、集中して使っている状態であった。
そうして現在アメリカがいるのが、ここしばらくの寝場所と決めているアパートだ。部屋が3つにダイニングキッチン、バスルーム。手狭だが(‥‥と、何かの折に太平洋を越えた向こうの黒髪の友人に話したら妙な顔をされた)仕事先にも繁華街にも近い使い勝手のよさ、管理人や近隣の住人との仲も良好。ここ数年で一番気に入っているアパートといっても良いだろう。
ここにいる間は『アメリカ合衆国』ではなく個人として、寛いで過ごすことが許される。
自由な空間、住み心地のよい自宅。友人を招いてホラービデオを観るもよし、恋人と触れ合って甘い時間を過ごすもよし。
そして今日は、後者の楽しみ方をたっぷりとした翌日ときたものだ。
本来ならば機嫌など、西海岸の鮮やかな夏空もかくやの晴れやかさでいてもいい筈、なのだが。
「‥‥なあ、まだかい?」
「う、ま、まだだよ!もうちょっと!」
「さっきから『もうちょっと』を俺はちょっとじゃない回数聞いてる気がするんだけどなあ」
玄関横のダイニングキッチン、スツールへ長い脚を組んで腰を乗せ、呆れた調子を隠そうともせずに言った台詞に、言葉は返ってこなかった。
返ってきたものはといえば、リビングでなにやら物が倒れた音と、「うわッ」と聴き慣れた声音の、慌てているのにおっとりした声。
その声にアメリカはため息をつきながら、玄関と車のキーと一緒にカウンター上に投げていた携帯電話を掴み取る。コンパクトなフリップタイプでカラーは鮮やかなブルーブラック、赤と白の星型シールを同心円に小さく配置したデコレーション。そして開かれたままのメイン画面には呼び出し中のサイン。‥‥11回、12回。それ以上は数えていないけれど、通話に切り替わる気配は一向に、ない。
アメリカは再度、深く長く、ため息をついた。携帯電話は相変わらずの呼び出し中。
受話器越しにハローの声が聴こえないのも当たり前といえば当たり前。
‥‥何故ならコール先の相手といえば。
「早く出ておくれよカナダ、そろそろ俺の携帯が過剰労働だって裁判所に駆け込んじゃうんだぞ。勝算ゼロの裁判なんて俺はする気はないよ」
「君の携帯日本製だろ。勤勉だから大丈夫だよ!」
この、相変わらず微妙にピントのぼけた返答をしながら隣室で携帯端末を捜索中の恋人、カナダその人だからである。
話は至極単純明快。
ここ暫く、双方ともに忙しい日々が続いていた。
アメリカは上司の交代があったばかりだし、そもそもが年度末前の決算や異動の調整時期でもある。アメリカに限らずどこの国も‥‥そう、カナダも、忙しいのは当然で。
勿論そこは歳若い恋人同士である。連絡は小まめに取ったものだ。
「good mornin' My dearest.」
『‥‥。朝からテンションが高いね、My darling.』
時差の無さを味方につけての甘過ぎるモーニングコール、日中は暇を見つけてはメールを送信、家に帰れば甘い声で長電話。ああ携帯電話って素晴らしい、何度思ったか知れない。
けれど、テレフォンライン越しの声だけでは。
それだけでは埋めきれない寂しさはつのるものだ。
会いたいな、会いたいよ。‥‥でも、けれど。
『仕方がないよね』
そうおっとりと甘い、けれど少しだけ寂しげに聴こえた受話器越しの声に、胸が痛まないようでは恋人ではない。
聞きたい、受話器越しじゃない甘い声を。
触れたい、熱くしなやかな身体に。
だからこそ必死に働いて働いてちょっとだけ上司にゴネて。やっとの思いで二人合わせて取ったオフ、2日間。
気兼ねなく過ごせるアパートに恋人を迎え入れて、キスとハグ。ピザにハンバーガーにポテト、甘いアイスクリームと少しのアルコール。他愛のない会話を受話器越しじゃない声でたくさん交わして、後は柔らかなベッドにダイブだ。
そうしてたっぷりと触れ合い愛し合った翌日、今日はドライブに行こう!とジーンズに足を突っ込み投げてあったシャツを羽織って手には車のキーと財布と携帯電話‥‥という段になったところで。
「えっと、アメリカ。‥‥僕の携帯が、見当たらないんだけど」
つい、と可愛らしくシャツの袖を引いてきたカナダは、確かに可愛くはあったのだけれども。
「ああもう、君は本当にうっかりだな!さすがイギリスのところに長くいただけあるよ」
「そ、それは関係ないだろう?!」
いやあるだろう。アメリカはカウンターに頬杖をつきながら、心の底から思ったものだ。
何せあのうっかり者な元保護者ときたら、地下鉄に国家機密情報入りのファイルを忘れてくるなんて離れ業をやってのけた人だ!(しかもファイルは情報局にまで無事届いたらしい。平和といえば平和な話ではある。)
自分よりもずっと長くイギリスの影響下に居たカナダが、もしも自分と同時期に独立していたのなら、さてもこんなに彼はうっかり者にならなかったのだろうか?
「‥‥いや、カナダはカナダだな、うん」
こくこくと首を頷かせながら結論すれば、ますます脱力感が増した気がしてアメリカは頬杖をついていた肘をはずして、そのままカウンターに突っ伏した。
ゆるりと横に視線を巡らせれば、その先には玄関と車のキー。
そして彼の声が聴こえない、呼び出し中の携帯電話。
携帯を鳴らして場所を特定したい、と言ったカナダの提案を了承して、先ほどから鳴らしっぱなしなアメリカの携帯であるが、現在に至るまで一向にその効力というか効果を発揮していないらしい。
アメリカはもう一度ため息をつくと、うっそりと身を起こして相変わらずの呼び出し中な携帯だけを掴み上げ、隣室へと足を向けた。
コン、とドア横の壁をたたいて気を引けば、リビングの中央、フローリングに直に座り込んだカナダが、ビクッと肩を震わせてからアメリカのほうを振り向いた。
「アメリカぁ‥‥」
「まだ見つからない?」
「うん‥‥」
しおしおと、いかにもしょぼくれたその口調に、アメリカは携帯のコールを一度切ると音を立ててたたみ、大きなストライドでカナダへと歩み寄り、そのすぐ隣にしゃがみこんだ。
カナダが携帯を探し始めて既にかなりの時間が経っている。
そもそもが明け方まで寝室でじゃれあっていたぶん、朝が遅かった二人だ。そして夜には彼を母国へと返さないといけない。それでも少し車を走らせる時間はあると決めたドライブの予定だったのだが、この分では遠出は到底望めないだろう。とりあえず、今日の予定のひとつは潰れたというわけだ。
アメリカは俯いた恋人の顔を横目にちらりと窺う。だが、カナダはといえば眉尻をかくりと落としたまま落ち着きなく辺りを見回し、アメリカの視線に自分の其れを返してくれる様子はない。
アメリカはカナダに聴こえないように小さなため息をつき、おそらく捜索の過程で定位置から床に放られたクッションを抱きかかえて室内中央に据えたローソファへとどさりと身体を投げた。そのまま横倒しに身体を延べれば、キシリと少しだけスプリングが鳴いた。
それから、疲れた様子で床に座り込んだカナダへと、改めて視線を向ける。
「外で失くしたってことはないよね、昨日ここから上司に電話してたし」
「うん‥‥」
「この部屋にあるのは確かなのかい?」
「うん‥‥。小さいけど、音が聴こえるから」
今は、君が切ってるから聴こえないけど。カナダの返答にアメリカは、そう、とだけ短く答えた。クッションを抱きかかえて目を閉じれば、一昨日までの室内の匂いとは少し違う、甘い、恋人の匂いがする気がした。
受話器越しでは感じることのできなかった、恋人の匂い。
昨夜はこのソファでキスをして、もっと深い場所まで触りあった。
甘い甘い声を、受話器越しではないクリアでとろけそうな其れを思う存分堪能したのに。
アメリカは一呼吸分だけゆっくりと息をしてからゆっくりと瞼を押し上げ、尚も机の下やマガジンラックへと手を伸ばして探っている彼へと言った。
「ねぇ、やっぱり俺も探してあげるよ。俺の家だし、君だけじゃ勝手も分からないだろ?」
「だ、だめ!‥‥だよ、そんな、アメリカ疲れてるんだから、」
「疲れてるっていうなら君のほうこそだろう。それとも、昨日の俺じゃ足らなかったかい?」
「ッそうじゃなくって!もう!‥‥せっかくのお休みなんだから、君に迷惑かけたくないよ」
眉尻を下げながらも此方を見てきっぱりと言い切ったカナダに、アメリカは抱いていたクッションへと顔をうずめてため息をこらえた。
「だからごめん、アメリカ、もうちょっと携帯でコールしててくれないかい?」
「‥‥オーケィ、honey.」
ごめんね、おっとりとした済まなさそうな声には返答せずに、アメリカは再び携帯を開くとリダイヤル画面を呼び出した。
そもそも、携帯が無いと困り顔で言ったカナダに、じゃあ一緒に探そうかとその場でアメリカは提案したのだ、勿論。恋人が困っているのを助けないだなんて、アメリカの流儀に反することだ。
だからそこは、ちょっとカナダがごめんねとか何とか言って、軽いキスのひとつでもしてくれていたら、今頃はリビングをひっくり返す勢いで探していたであろう自分がアメリカには容易に想像できた。
しかしカナダから返された言葉はといえば、予想外のノーサンキュー。
「迷惑かけたくないから」だって?こんなことが迷惑なら、世の中の人間なんて3分の2は迷惑防止条例違反で刑務所行きだ!
埒も無いことを考えながら、アメリカはコールボタンを押して目を閉じた。試みに携帯を耳に当てれば、聴き慣れた呼び出し音。
1回、2回。
単調なこの音がアメリカは嫌いで、好きだった。
だってこれは遠く離れた自分と彼を繋いでくれる音。
3回、4回。
今日は何を話そうか、いつだって考えてた。
上司の奥さんがくれたアイスクリームが美味しかったこと、新発売のシェイクの話。
見上げた空の色が君の国と同じかなって考えたこと。
5回、6回。
たまには何かエッチなことでも言ってみようか。
受話器越しの怒りながら照れてる声に、滴るほどの甘い言葉とか?
7回、8回。
普段ならばそろそろ気がついたカナダがおっとりと、彼にしてみれば最高速度で受話器越し、甘い声を聞かせてくれる頃なのに。
『ハロー、アメリカ。』
コールぶんだけ愛を上積みして。
君の甘い声を、いつだって待っているのに。
9回、10回。
‥‥ああ、聴こえてくるのは笑えるほどに単調な機械音!
「ハロー、カナダ?早く出ておくれよ」
「‥‥ごめんね」
受話器越しではない小さな声が少し遠い場所から聴こえてくる。‥‥ああ、違うんだ。
ねぇカナダ、俺が聞きたいのはそんな困った声じゃないよ。
閉じた視界の向こう、聞こえるのは単調な呼び出し音。
それからカナダがどこだかを探す乾いた音と‥‥、
「‥‥‥‥‥‥あ?」
「え?」
クッションを抱きかかえたまま、アメリカは腹筋だけで身体を一気に起こした。パチリと目を開ければ、少し離れた位置に驚いたような顔の恋人。だがしかし、今は彼に意識を集中している場合じゃない。
「‥‥音が。‥‥ええっと、どこだよ」
「え、あの、アメリカ?」
片手にはコール中の携帯、クッションは放り投げて、アメリカはきょろきょろと視線を巡らせる。耳の傍に、呼び出し音。‥‥そして、少し遠くて、けれど近い位置に、くぐもった‥‥
「‥‥‥‥あったぁ!!」
「え?!」
ソファの肘掛けとシートの僅かな隙間。手のひらごと突っ込むようにして探った指先に触れた硬い其れを、アメリカは掴み出した。途端、それまでごくごく小さな音でしかなかった着信音が、オフホワイトに小さなメイプルリーフのペイントをした携帯から軽やかに鳴り響く。
「え、あ、アメリカ!どこにあったの?!」
「ソファの隙間だぞ!‥‥ああ、どおりで寝転んでたら音がしたと‥‥」
「そっかぁ‥‥」
アメリカの手で高らかに掲げられた自分の携帯の姿に、カナダが一瞬目を見開いて膝立ちになった後、再びへなへなとその場にくずおれた。はあぁ、と深い息の音が、響く軽快な着信音に混ざってとける。
暫しそうして座り込んでいたカナダであったが、やがておっとりとした動作で、膝をついたままローソファに座っているアメリカのもとへといざり寄ってきた。
ソファ上にいるアメリカとの視線の高低差にカナダは緩く仰のいて、そしてほんわりと笑う。アメリカの膝に、そっと手を触れさせて。
「ありがと、アメリカ。あの、ごめんね?結局見つけてもらっちゃった」
「いいよ、見つかってよかったんだぞ」
恋人の笑顔にアメリカもまた柔らかな笑みを返して、膝に置かれた手に自らの其れを触れさせてから、そっと絡め合わせた。少しだけ冷たくなっていたカナダの指先に、自らの熱を与えるように握り込んでから、緩く自分のほうへと引き寄せる。
「カナダ。こっち来て」
「うん」
恋人の言葉と引かれた腕で察したカナダが、そっと膝上に乗り上げてくるのにアメリカは触れるだけのキスを彼の額へと落とした。それにほんの少しだけ赤みを増した頬へも同様に唇を寄せれば、お返しのように瞼にキスが降ってくる。
それから一呼吸おいて視線を交わし、唇にキス。
そして、笑いあう。
「ん‥‥、ああもう、本気でどうしようかと、思ったよ」
「君は本当に、うっかりだなあ。目が離せ、ないんだぞ」
「もう、たまたまだよこんなこと。‥‥ふふ」
「う、ん、くすぐったいぞ」
言葉の隙間に織り込むように唇を交わしながらじゃれあう会話は、ひどく心地よい。
甘い声と、甘い匂い。
遠く離れたテレフォンライン越しには受け取れない感触。
唇でのじゃれあいの間も、手元では軽やかな着信音が響いている。
「‥‥ね、アメリカ、もう、電話切ってもいいよ?」
「あーうん、‥‥あ、ちょっと待って」
「え?」
そろりそろりと互いが距離を詰めるように深くなる触れ合いを不意に中断したのはアメリカだった。
吐息を混ぜ合う距離からほんの少しだけ身体を離せば、アメリカの膝の上できょとんとした、けれど甘いキスに少しだけとろけた表情のカナダと目が合う。
「アメリカ?」
「うん。‥‥はいこれ」
甘い呼び声にアメリカは柔らかく微笑み返し、それから手のひらで軽快に鳴り響く携帯電話を、持ち主へと差し出した。
「出て」
「え?」
「いいから。カナダ」
困惑しているカナダに、携帯を押し付ける。
本来の所有者のもとへ漸く帰ることが出来た携帯は、変わらずに持ち主を呼び続けている。
‥‥忙しくて会えなかった間、アメリカの代わりに彼を呼び続けてくれたときのまま。
「ほら、カナダ」
「あ、うん、ええと」
アメリカはカナダを促しながら、片手に持っていた自らの携帯を再び耳へとあてた。
もう何十回目なのかわからない、コール音。それは恋人を呼ぶ音。
アメリカに急かされたカナダは、アメリカの意図を解ってはいなかったのだが、言われたとおりに携帯の通話ボタンを押した。
ピ、とラインの繋がる音が、アメリカの耳に2つ、届く。
「ハロー、カナダ?」
『「‥‥ハロー?アメリカ。」』
会えなかった間、何度も交わした挨拶。
受話器越しに、膝の上から。
同じ甘い声が、重なってアメリカの元へと、届く。
それがとても、くすぐったい。それがとても、いとおしい。
「もう、待ちくたびれたんだぞ!君は本当にのんびり屋だね!」
『「な、悪かったね!仕方が無いだろ、見つからなかったんだから!」』
「そうだね、見つかったんだからもういいんだぞ。けれど、」
『「え?」』
言葉を切って、ひょいと恋人の手のひらから携帯電話を取り上げて。
今度は失くさないよう、並べてテーブルの上に。
そうして。
「コールしたぶんだけ利息のついた愛を君とシェアしたいんだけど、どうかな?」
ばか、と甘い甘い罵り文句がアメリカの耳に直接注ぎ込まれたのをYESのサインと受け取って。
ドライブはまた今度の楽しみにね、なんて軽口に互いの身体をまさぐりながら笑いあってから、アメリカは電話越しでは堪能できない甘い声と甘い身体を、存分に楽しむ2日目のオフにすることにした。
ハロー、ハロー、ハロー。待ち望んでいた声に、ありったけの愛を!
HAPPY SWEET CALLING !
the end.(2009.02.15)
50000ヒットリクエスト『米加ほのぼの』
携帯は一定時間内に出ないと携帯会社に切られちゃうなんて気にしない!
リクエストありがとうございました!(´∀`)