陽光に温められた優しい風が軽やかな午後だった。
いっそ優雅ささえ感じられる微風は、磨き上げられた大理石の卓上に広げた本を音もなく繰り、その文字を見るともなしに追っていた男の頬に甘いくちづけを残して去っていく。
気まぐれな風の他愛もないいたずらに、男は秀麗な顔を僅かに綻ばせて顔を上げた。

途端、視界に飛び込んでくるのは染み入るような、美しい翡翠色の森。

否、天を覆うように細やかな枝葉を伸ばす大樹を中心に、芳しい花を咲かせる樹や果樹、下草の一つに至るまで厳選され、一から丁寧に手を入れられたその場所は生粋の森とは似て非なるものだ。しかしその鮮やかさ、瑞々しさは天然のそれに勝るとも劣らぬ美しさであった。今この場所が、男が知る敷地面積どおりであればさして広くもない筈であるのに、幾重にも折り重なって見える緑の奥行きはどこか果てなく、その深い深い懐にとても美しい宝物を抱いて眠っているかのようにさえ感じられる。
よく均された地表はやはり柔らかな濃い緑に覆われていたが、じっと見つめていると散策道としていくつかの道筋が浮かび上がるように見えてくる。しかし萌える緑に敬意を払ってのごく控えめな趣の其れは、その道を辿るだけで緑に包まれ、心穏やかにしてくれることだろう。
柔らかな木の葉を透かして零れ落ちる陽光は、ソフトフォーカスをかけたように優しく心地よい。美しい森を通り抜けてくる風は芳しく、そしてどこか甘くさえ感じられ、男は美しい空色の目を緩めて微笑む。
同時に、背後‥‥瀟洒なテラスから屋敷へと繋がる広い開放窓の奥から掛けられたやはり甘い声音への視線と笑みは、更に優しく、甘いものになった。

「フランシス様、お支度が整いましたので、どうぞお部屋へ」
「うん?ああ、今日は天気もいいし、この席がいいなぁ。こちらへ持ってきてくれないか」

フランシスの我が侭に、けれど返ってきたのはかしこまりました、と甘い甘い柔らかな返答だけだ。磁器のたてる澄んだ音がいくらかしていたけれどそれも直ぐにやみ、そうして姿を見せたのは燕尾をまとった、ほっそりと華奢な姿。この屋敷を取り仕切る、執事である。

「マシュー」
「お待たせ致しました」

呼び声に目礼で応えた執事は、一度立ち止まり丁寧に色代してからテラスに設えた卓へと携えていた茶器をゆっくりとセットしていく。白磁に金を蒔いた茶器や菓子皿は上品でかつ豪華な雰囲気だが、そこに盛り付けられた甘い焼き菓子や果物はずっと素朴なものだ。
卓上に落ちる木漏れ日は柔らかく、吹く風は芳しく。

「ここはいつ来ても、美しいねぇ‥‥」

思わず零した己の言葉に、紅茶をカップへと注いでいたマシューが柔らかく微笑んだのをフランシスは目の端で捉えた。
そっと視線をやれば、カチリとあった湖水色の其れを一拍置いてから緩く伏せるように逸らしたあと、紅茶を注ぎきったポットを手に、やはりゆっくりとした動きで一歩下がり、頭を垂れた。

「申し訳ございません。主不在につき、このようなものしかご用意できませんで」
「んん?ああ、いいよ。ていうか俺が勝手に遊びに来ただけだしね」

ヒラリと手を振り謝罪を拒否した客人は、テーブル上の素朴な菓子類に視線をやる。
生クリームとチョコレート、メイプルシロップが添えられた小さめのパンケーキに、やはりメイプルシロップで甘く煮た林檎。確かにフランシスの身分を考えれば素朴すぎる食べ物だが、何も手の込んだものばかりが美味しいわけじゃないことも、日頃から美食の限りを尽くしている男は知っていた。
‥‥それに、この子の作る食べ物は、なんでも美味いし。
密やかに付け加えた言葉は心の中に留めおき、フランシスは社交界の華とも呼ばれる美々しい笑みを、この心尽くしの菓子を用意してくれた相手へと向けたものだ。

「あのさ、これってもしかしなくてもマシューのおやつだった?ごめんねー。一緒に食べる?」
「いえっ、そのようなことは‥‥!」
「遠慮しなくていいのに」

フランシスの笑顔にか、はたまた言い当てられたことが恥ずかしかったのか、白く柔らかそうな頬を淡く染めた執事は、ふるふるっと首を振ると恥ずかしげに俯いてしまった。なんとも初々しい仕草に、フランシスは更に笑みを深くする。
常に沈着であることを求められる執事としてこの態度はどうかとも思うのだが、けれどこの執事の歳を鑑みれば、致し方のないことだとフランシスは思った。‥‥別邸とはいえ貴族の館を、しかも主不在時には一人で一切管理し取り仕切る執事というには、歳が若すぎるのだ。

「マシュー、お前何歳になったんだっけ?」
「はい、今年で15になりました」
「そっか、お前も大きくなったなぁ」

うっかりと漏れたどこぞの隠居老人のような己の感慨に、フランシスは若干げんなりしたものだが、言われたマシューはといえばやはり愛らしいとさえいえる笑顔で、恐れ入ります、と一言応じたものだ。

黒のお仕着せに包まれた身体は、身長こそ数年前の初対面から過不足なく伸びたようだが、体つきはといえば如何にも成長途上の華奢なもので、白く細い首筋やふっくらと淡色の唇はどこか少女めいた潔癖さを感じさせる。
メイプルシュガーのような淡い色の髪は木漏れ日に映えて柔らかそうだ。
淡い、湖水色の瞳。幼年期の甘さを残す頬のラインは、その筋の人間であれば生唾を飲みかねない危うい蜜の甘さだ。

‥‥いやいやいや、俺は出さないけどね?ていうか、出せないけど!

「出したら死亡フラグ‥‥」
「‥‥?なにかおっしゃいましたか」

ぽろりと零れた呟きは、静かに控える少年執事の耳には届かなかったのか、きょとんとして問い返してくる姿に、フランシスはなんでもないよ、と優しく美しく笑い、甘く素朴な味の菓子を口にした。




フランシスが我が物顔で寛いでいるこの屋敷だが、執事たるマシューが客人として持て成しているとおり、彼の所有する建物ではない。

「アーサー、今日こっちに帰ってくるの?」
「朝の段階ではお戻りになると言っておられましたが、しかと申し上げることは‥‥」
「ふぅん」

申し訳なさそうに告げるマシューの声に、そりゃそうだろうなとフランシスは思ったものだ。
この美しい森を有する屋敷の所有者でありマシューの主でもあるアーサー・カークランドは、フランシスの友人である。同時に血縁者であり、何かにつけて縁があってはまたお前か、と互いに顔をしかめる奇妙な腐れ縁でもあった。つまり、自分と身分も位も、同等の位置にある人間だ。

「今ねぇ、ちょぉっと忙しいからねー。‥‥まったく、継承権なんていらねーっつってんだから納得してくれたらいいだけなのに。つか継承権云々以前にあれ菊様の暇つぶしだろ絶対‥‥」

台詞の後半は相手に聞かせるためではなく、単なるぼやきになってしまった。
フランシスはひとつため息をつくと、明日は我が身‥‥というか今日も我が身であったはずの王宮へと召喚されたアーサーの状況を、何だかんだと理由をつけて友人の美しい森の隠れ家へと脱出してきた自分の其れに置き換えて、更にため息をつく。

「あの‥‥、フランシス様、」
「ん?ああ、ごめんね大丈夫だよ、ちょっと疲れてるだけだから」

そっと控えめに、けれど心から案じていることが窺えるマシューの声に、フランシスは心が潤うのを感じつつ、林檎の甘煮を口の中へと放り込んだ。優しい甘みは、そのまま作ってくれた彼の柔らかな甘さなのだろうか。

「美味しいねこのコンポート。マシューはお料理上手だねぇ」
「‥‥恐れ入ります」

返答までの一拍ぶんの沈黙は、ほんのりと照れを乗せた可愛らしいもの。
実に初々しい、愛らしい反応にフランシスはますます和やかな気分になりながら、視線を庭へと向けた。午後の光を吸ったあでやかな森は翡翠に輝き、目に染みるような美しさだ。

「相変わらず、綺麗だねお前の森は」
「そんな。‥‥アーサー様が好きにしていいとおっしゃってくださいましたので、少し手を入れただけで‥‥。見様見真似の素人仕事で、お恥ずかしい限りです」
「そんなことないよ」

応えた言葉は、本心だった。

この屋敷は、アーサーの所謂別邸だ。
王宮や城下町から適度に離れ、険しくはないが優しくもない野道に分け入ってようやっと辿り着く、こじんまりとした屋敷。
建物自体は先々代のカークランド公爵から続く古びたもので、それを爵位を受け継いだアーサーが祖父から贈られたというだけの代物だが、ある年からアーサーがこの屋敷へと足繁く通い、滞在しているとの情報が入ったときには、それはそれは華やかな噂が社交界を飛び交ったものだ。

「いやぁ、あの時は実に面白かったね!アーサー様の身分違いの恋人がとか、謎の呪術の実験場になっているとか、果ては隠し子を住まわせているとか。また陛下も面白がって周りを煽るものだから。まったく菊様も暇だと思ったら本当周りで遊びたがるっていうか」
「ええっと、それは‥‥」
「お前じゃちょっと、隠し子には大きすぎるよねぇ?ああ、恋人にはいいかもしれないけど」
「‥‥はは」

力なく笑うマシューに、フランシスはメイプルシロップつきのパンケーキを最後にひとつ口の中に放り込むと、おもむろに立ち上がる。カタリ、と鳴った椅子を素早く寄ってきたマシューが丁重に引き、彼の足回りを自由にした。
フランシスの羽織る、シンプルに見えて恐ろしく高価な衣装が、さやさやと美しい衣擦れをたてた。

「フランシス様」
「庭に下りてもいいかな?」
「はい、勿論」

その言葉に、フランシスはタイル張りのテラスを横切り、数段ぶんの階段を下りて、緑の絨毯の上へと降り立った。足裏がくすぐったくなるほど足元が柔らかい。丁寧に手入れされた下草には、爪の先にも満たない小さな花がついている。
見渡せば、そこは美しい緑の世界だ。
今はテラスの上からフランシスを見守っている、小さな小さな少年執事の手がけた、見事な緑の庭園である。




件の噂が立った際、あの人嫌いの男に限って恋人も隠し子もないだろう、と真っ先に笑いに行ったフランシスに、けれどアーサーは奇妙に真面目な顔をして、どちらでもないが、人は入れてる。と言った。

「‥‥え、マジで?」
「何で嘘言わねぇとなんねーんだよお前なんかに」
「いやいやお前なんかの『なんか』の意味がわかんないんですけど!‥‥じゃなくてさぁ、え、なに、本当に恋人だとか?」
「違う!‥‥俺の、もう一人の執事を置いてるんだよ」
「は?」

そのときの自分の顔は、さぞ間の抜けたものだっただろうと思い出すたび微妙な気分になる。
執事、というと家内の奥向きから外の交流まで一切を取り仕切り、時に主の仕事や領地経営などにも意見し、不義を諌め、何より主人の身の回りを整える、という役回りの人間である。勿論フランシスにも片腕とも言うべき執事がついている。少々融通が利かない性格だが、己の適当に過ぎる部分を適度に加減してくれる頼りになる存在だ。加えて屋敷には数多くの令僕や女中たちが忙しく働いている。
‥‥が、そこに『俺の』とつける場合は、大抵ひとりを指すものじゃないのだろうか。自分にとってはルートヴィヒであるし、アーサーにとっては、まだ年少で全ての仕事をこなしているわけではないが、アルフレッドという少年がついていた筈である。

「だから、もう一人いるんだよ、俺には。もともと二人なんだ、アルフレッドと、マシューと」
「マシュー、」
「‥‥アイツ向きの仕事をな、任してんだよ」

そういって、連れてこられた屋敷で出会ったのが、マシューだった。

「‥‥本邸に二人いると、混乱しますから。それに、あんな風に大きなお屋敷を取り仕切るのは、アルのほうが向いています。僕には父やアルのような即断力がなくて。‥‥アーサー様の、お役には立てそうもないですから」

はにかむように、けれど少し寂しげに笑った顔は、なるほど本邸に住まいアーサーの傍に常に付き従う少年の顔によく似ていた。聞けば双子だという。彼らの父親が先代カークランド公爵の執事であったと聞いて、なるほど、と思ったものだ。
古い血筋に二代、三代にわたって仕え続けるのはさして珍しい話でもない。使えるべき主人に歳が近ければ遊び相手や勉学や武術の指南役として幼い頃から傍におけるし、そうして時間を共有していくことは、時に血縁以上に強固な信頼関係を作り上げる。アーサーは現在23、双子達が15。アルフレッドとマシューは、まさに生まれ落ちた瞬間から主が決まっていたのだ。

因みに、役に立てそうもない、という言葉を聞きつけたアーサーが穏やかな顔で小さな少年の頭を撫でつつ、「そんなことない、お前にはお前にしか出来ないことがあるから」といっていたのをフランシスは思い出す。‥‥あの不器用で、好きなものでさえしかめっ面で裏腹の言葉を言ってしまう彼にしてはめずらしい、優しい言葉を掛けていた相手。それが、マシューで。
そしてその言葉は、慰めでもなんでもなかった。




「緑を育てるのは才能だよ、マシューは凄いね」
「そんなことないです、このお屋敷にもともとあった樹を少し整えたくらいで」
「うん、でもやっぱり、凄いと俺は思うよ」

緑の息吹を吸い込んだ風に吹かれつつ笑って言えば、やはり照れたように少年は笑った。手招けば、おっとりとした足取りでフランシスの傍へと降りてくる。湖水色の瞳が森を一瞬見渡し、それから、花が咲きほころぶように微笑んだのに、フランシスは瞬間見惚れた。

それはとても美しい、価値のある微笑だった。

爵位を持ち、身分こそ臣下だが王家の血を引くフランシスの周囲には、たくさんの人間が集まってくる。それはアーサーも同じことなのだが、‥‥当然、集まる人間全てが彼らに純粋な好意を向けてくれるわけもない。 そこには打算があり、計略があり、時に陰湿な罠さえ仕掛けられることもある。身分も家格も、仕事も、その言動立ち居振る舞いに至るまでどれもこれもが評価の対象であり、一瞬たりとも気を抜くことは出来ない。
それはいいのだ。自分たちは生まれたときからそうして過ごすことを求められていたし、十分に応えてきた。これからも応えていくし、謀略や打算もまた、自分たちの中にもある。勿論嫌なことばかりではない。アーサーのような気の置けない、時に拳込みでの遣り取りさえする友人はいるし、信頼を置く執事もいる。少し気まぐれながら陛下には気に入られているし、仕事や時に身分を隠した火遊びも楽しいものだ。
けれど。

「ねぇ、マシュー。アーサーのことが好き?」
「はい。‥‥アーサー様は、とりたてて何も出来ない僕を、昔からいつも優しく守ってくださいました。出来れば、アルみたいにお役に立ちたかったけれど‥‥。僕にはアルフレッドのようにアーサー様のお傍に侍り右腕として働くような大役は務まりませんが、主人が少しでも過ごしやすいよう、憩えるような場所を用意し守るのが、僕の役目です」




ああ、その小さな身体に漲る使命感の、溢れんばかりの美しさ!




「‥‥いいなぁ、アーサーは」
「ふふ、はい、僕にはもったいないようなお方です」
「そうじゃなくて。アーサーが、羨ましいなって」
「はい?」
「マシューみたいにね、綺麗で可愛い子に仕えられて、羨ましいってこと」

きょとんとした視線で主人の友人を見上げてくる愛らしい顔に、フランシスは笑ってその柔らかそうな頬を優しく撫でくすぐる。
暫くの間触れられるままにぼんやりとフランシスを見上げていたマシューだったが、男の指先がそろりと耳の後ろから襟元へと撫で下ろしてくるのにふるんと身体が震えたのを知覚したらしく、はっと気がついたように身体を引き、白い首筋まで真っ赤に染めて俯いてしまう。
‥‥え、あれなにコレ、脈アリってこと?

「も、申し訳ございません!あのっ、僕、」
「そこで謝られたらお兄さんが困っちゃうんだけどな?手ェ出したのは俺だし」
「えっ、あの、ええっと、」

ほっそりした腕をたたんで胸元で握り合わせ、おろおろと言葉になりきらない何事かをつむぐ姿は、確かに大家の執事長には向かないだろう。アーサーもそこら辺を読みきって、猥雑な街中から離れた場所に、彼がもっとも息をしやすい、そしてアーサー自身の憩いとなるであろう場所を用意し、任せたのだろう。マシューがアーサーを慕い敬愛するように、あの不器用な友人もまた、年下の臣であり幼馴染みでもある少年を、大事にしているのだ。
‥‥いや、しかしそれにしたって。

「可愛いねぇ、マシュー。どう?お兄さんちに来ない?大事にしてあげるよ?」

少年の背にあわせて身をかがめ、俯いた彼の耳元にとろとろに甘い言葉を流し込む。
恥ずかしげに俯く少年は実に可憐で、王宮をはじめとする社交界の権謀術数渦巻く世界に慣れたフランシスの目には新鮮を通り越して胸が痛いくらいだ。
ああ、先ほど食べた甘い甘いパンケーキや林檎の甘煮が、身体の中へととろとろと甘いものを注ぎこんでいるのだろうか。
それとも、そんな甘いお菓子を作るこの少年の、甘い柔らかそうな心に、絡めとられてしまったのだろうか?

「‥‥‥‥お、御戯れは、お止めください。その、僕なんか‥‥、」
「なんか、なんていっちゃ駄目。アーサーにも言われないか?」
「う‥‥」

口ごもったところを見ると、おそらく言われているのだろう。
どうにも自己評価が低い子どもだが、このこじんまりとしているとはいえ 貴族の館を清潔に整え、主人が来れば持て成せるよう日々管理し、そしてアーサーの憩いとなるべく美しい森を作り上げたその手腕は見事というより他はない。
フランシスは尚も少年に身体を寄せたまま、視線だけを辺りへと廻らせる。
そこにはやはり美しい、昼下がりの森が広がっている。どこからともなく聞こえてくる小鳥たちの囀りや、風に揺れる木の葉の音はとても好ましく、安らぎに満ち満ちている。

「もっと自信を持ちなさい。‥‥ねぇ、俺はこの森が、好きだよ」
「え?」

フランシスの言葉に、俯いていた顔がぱっとあげられる。
その頬はほんのりと赤らみ、湖水色の瞳は羞恥にかうっすらと潤んでさえいたのだが。




「とても美しく、綺麗な森だ。俺は、美しいものが好きだよ。‥‥それを整えたお前のこの手に、指先に、使命感に。俺は敬意を払おう」




「‥‥ありがとう、ございます」




美しい森の傍で、美しい森を作り上げた少年は。
甘く美しい笑みを湛える青年に、世界で最も美しい花が咲きほころぶような微笑みを、見せたのだった。









「それじゃ、今日はもう帰るね」
「申し訳ありません、アーサー様とも会えないままで‥‥」

困りきった声での謝罪は、フランシスへと丁寧に外套を着せ掛ける少年からだ。

「‥‥も、申し訳ありません、もう少々、お待ち下さい‥‥ッ、あれ、これどこだろ‥‥」
「ああ、いいよいいよー、ゆっくりしてちょうだい。あ、その紐はこっちね」

おっとりとした手つきで客人の羽織る外套の紐類を捌いていく姿は、如何にも不慣れで危なっかしく、しかしながら初々しく愛らしい。執事として客を見送る、これが彼の役目であり、フランシスもまた傅かれることに慣れた身分ではあるのだが、今となっては微妙な気分に駆られてくる。

‥‥ああもうこの子、持って帰っちゃ駄目かなー。お持ち帰りしてベッドの中に放り込んでいっぱい可愛がっちゃ駄目かなー‥‥。

「‥‥‥‥いやいやいや、死亡フラグだよね死亡フラグ」
「え?」

何かおっしゃいましたか?と甘い口調のおっとり声は、フランシスの胸元からである。
きょとんと無垢な上目遣いという、絶妙のアングルにフランシスは内心で悶えるほどにニヨニヨしながら、同時に脳内で己の喉に目にも止まらぬ速さでサーベルを抜き放った友人の殺気に満ち満ちた眼光を思い浮かべ、そろそろとその細い身体の背へと這わそうとしていた腕を大人しく下ろした。

「あー、いや、なんでもないよ。アーサーによろしくねって」

見上げてくる視線に優しく甘く微笑めば、ほんのりと頬を染めたマシューが、はい、と素直な返事を寄越してくる。実に愛らしく可憐だ。持って帰りたいと心底思うが、自重自重、死亡フラグ、と己に言い聞かせて我慢するフランシスである。
そうこうしている間に、なんとか外套を調え終わったらしい。
続いて帰る客人の足元を照らす為の手燭と、己の身支度を手早く済ませると玄関を押し開け、先導するように表へと出た。

「マシュー、俺一人でも大丈夫よ?」
「いいえ、そういうわけには参りません。せめて麓の厩舎までご一緒いたします」

郊外のこの屋敷へ来るためには徒歩では些か難儀に過ぎる。
そこで使うのは馬車か騎乗してくるかだが、野道を無理に登るのも考え物だし、なにより屋敷をマシュー一人に任せたかったのもあり、アーサーは街道に近い場所へ私有の厩舎を設けていた。なんというか、実に徹底している。‥‥実際に、マシューがアーサーの愛人だと言われても不思議ではないくらいの可愛がりようだ。そうではないことは、知っているのだけれど。
そろそろと西の空が茜色に染まる時間を、二人はゆっくりとした足取りで野道を進む。如何にも人の立ち入らない場所らしい丈の高い草木が丘陵全体を覆い、風に吹かれる様はどこか美しい波紋を描く大海を思わせた。

「あー‥‥。明日は俺がアーサーの身かぁ‥‥」

如何にもうんざりとしたフランシスの声に、先導するマシューが愛らしい小さな笑みを零す。

「では、アーサー様は明日には此方にいらっしゃることが出来るというわけですね」
「ええええ、アーサーだけズルイよ可愛いマシューとお休み!くそ、絶対明日も引き摺りこんでやる、菊様のお遊びにつき合わせてやる!!そんでそれが終わったらアイツにくっついて此処に来る!!」
「ふふ、お待ちいたしております」

いたずらっぽく笑う少年の声に、フランシスもまた芝居がかったおどけた声で応じながら暮れなずむ小道を歩いた。数歩ぶん先をあるく少年の髪は夕日の茜を吸い込んで、ハニーゴールドに輝いている。あるいは、彼が好きなメイプルシロップだろうか。

「‥‥あ、そうだマシュー。今度来るときはお菓子持ってくるからね。何がいい?」

不意の話題転換に、先導していたマシューが歩調を緩めて、おっとりと振り返って淡く笑った。

「はい、ありがとうございます。そういえば以前持ってきてくださったショコラは、アーサー様もとてもお気に召していて‥‥、」
「そうじゃなくて。マシューの」
「はい?」

数歩の距離を詰めるのは、とても簡単なことだ。細い身体を、そっと抱きこむのも。

ヒクン、と震えた身体を、怖がらせない程度に優しく甘く、抱き締める。
フランシス様、と小さな声は、困惑しているが嫌がっている風には聴こえない。都合の良い解釈かもしれないが‥‥まぁ、少しぐらいは強引にいかないと、とフランシスは抱きこんだ可愛い少年の耳元に、甘い甘い、言葉を落とす。

「ほら、今日はお前のおやつを俺が食べてしまっただろう。だからね?お兄さんに、お礼させて」
「え、そんな、お礼だなんて、」
「お願いだよ。‥‥好きな子には、好きなものをあげたいんだ」

ふる、と震えた身体は、困惑ばかりじゃなかったと。
腕の中そっと覗き込んだ彼のふっくらした頬が、夕暮れの茜に負けないくらいに染まっていたのに、そうして震える声で、フランシス様がいらしてくださるだけでいいです、なんて可愛すぎることを言われたことに。
フランシスは歓喜にも似た甘い想いを溢れさせながら、可愛く美しい少年の滑らかな頬へと、甘いキスを落とした。









因みに、己の隠れ家に置いた可愛い執事に対する腐れ縁の不埒な想いを察したアーサーが、光の速さで剣を抜き放ち、その煌く切っ先を喉元へと突きつけた次第は、これまた社交界の華々しい噂の一つとなり、国王陛下の絶交の暇つぶしになったとか、ならないとか。









 グリーンスリーヴス





了.(2009.11.22)

リクエスト『仏加執事(家村さん)』
あれ、カナが兄ちゃんの執事さんじゃないな‥‥(笑)
兄ちゃんの執事はルートさんです。二人が28歳、24歳くらい
アーサーが23、アルマシュ双子ちゃんが15。
兄ちゃんが初めてマシューさんに出会ったのがマシューさんが12の頃。
暇つぶしに「王位継承権について云々」と駄々捏ねる菊陛下に困らされる兄ちゃんとアーサーさんです^^
家村様、リクエストありがとうございました!(´∀`)