繰り返される行為をぼんやりと見ながら思ったことは、暇だ。ということだった。
小さな刷毛が、行ったり来たり。
細やかな動きだ。ごく限定された箇所を一定のリズムで絵筆よりも細い刷毛が行き来するのを、アメリカは傾いだ視線で眺め遣る。
「カナダ、暇なんだぞ」
「うるさいよアメリカ。黙ってて」
この上もなく簡潔かつ直球な返答はきょうだいだからこその素っ気無さ。
アメリカはそれ以上の言葉をこくりと飲み込んだ。音声なんて所詮空気の振動に過ぎないのに、こんなにも喉をきゅうきゅうと締め付けるのはどういうことだ。物理法則違反だ。そんな埒もないことを考えられるのも、暇だから。
暇だからソファに寝転がって、暇だから彼女の隣、じっと刷毛の動きを見つめている。
小さな手に摘まれた小さな刷毛は、同じ作業を延々繰り返す。
細やかな動きで、机の上に行儀よく並んだ小さなガラスのボトルと、先端まで力を行き渡らせたほっそりと白い指先の小さな小さな爪を、行ったり来たり。
行き来する刷毛は、いっそ何かの儀式めいたものにさえ思えてくる。儀式‥‥魔術とか、魔法とか? ああそういえば彼女の兄で母親(そして決して公言などしやしないけれど、自分の兄で母親)な人は、正真正銘そんな儀式を大真面目にする魔法使いだったっけ。それを思えば、こうして現在彼女が儀式的な何かを繰り広げているのも頷ける、わけがないだろうどうした俺。落ち着け俺。暇だな俺。そもそも彼女の行為は儀式じゃないし、魔術でも魔法でもない。
ああ暇だ、とアメリカは思う。暇だから、小さな刷毛を手にするきょうだいに、話しかける。
「‥‥ねぇってば、カナダ、」
「うるさ‥‥あっ、はみ出たッ。もうッ、アメリカのせいだよ?!集中できないから静かにしてって言ってるのに!」
え、それは俺のせいなのかい、とか。君が不器用なだけじゃないの、とか。
そんな正当な反論を、アメリカは口にしなかった。
ただ、小さなマニキュア用の刷毛をいささか乱暴に机の上に放り出し、大きな湖水色の瞳をこころもち潤ませて睨めつけてくるきょうだいに、ため息をつく代わり今の彼女に必要なものを素早く差し出す。
「アメリカのばかぁ‥‥」
「ああ、うん。これだよね、マニキュア拭うのって、確か」
ぽしょぽしょと口の中、何かを呟きながらもほっそりとした指先が受け取ってくれた、除光液とコットンでマニキュアは修正できるだろうけれど、さて、彼女のご機嫌はどうしたら修正できるだろう?
アメリカには「きょうだい」が一人いる。
ほぼ同じ時期に同じ大陸で隣り合って生まれた相手。一時は保護者も一緒だった。幼い日々をひとつ屋根の下で暮らした記憶もある。もっともそれは本当に僅かな期間であったけれど、それでも彼女がアメリカにとって共に育った「きょうだい」であることは間違いないし、きっと世界中の誰もこの事実を否定しないだろう。
顔立ちも味覚も、ルーツとする血統も、自分達は酷似している。自分達は互いが互い、最大にして無二の友好国。
そんな自分達の、最大にして決して超えられない差、といえば。
「パック? マニキュア? 女の子ってほんとうに面倒なんだなぁ!」
「面倒云々じゃないの、必要不可欠な身だしなみ!」
ため息をつくように言ったアメリカにぽこぽこと怒りながら、白い指先がもう片方の其れをややぎこちなく拭っていくのを、ソファに寝転んだアメリカはぼんやりと眺めたものだ。
何もない休日、気まぐれに訪ねた異性のきょうだいは、半日がかりで「女の子の必要不可欠な身だしなみ」に勤しんでいた、らしい。
「あー、化粧とかかい?」
「お休みだもん、家にいるからお化粧はしないよ。下地づくり。お肌の調子を整えるの。水分補給とかセルライトのケアとか。あとは服のローテーション考えたり」
「はぁ‥‥」
事も無げに告げられる言葉は女の子だけの呪文なんだろうか。まったく意味が解らない。
アメリカは寝転んでいるせいで逆しまの視線をきょうだいに遣りつつ思ったものだ。
ソファに腰掛けた彼女の隣、だらしなく寝そべったままくるりと見回すリビングは、なるほどアメリカが見たことのない可愛い色の服や踵の高い靴や花や宝石の飾りがそこかしこに放り置かれて、まるでリビング自体がクロゼットになってしまったかのよう。
机の上には星や花を詰め込んだような色の小瓶や好い匂いのするタオル、天使のモチーフがついた手鏡。華やかなパッケージの小道具達。
およそ男の自分とは縁のない華やかな色に埋め尽くされたその様は「きょうだい」の家より「女の子」の家、というに相応しい様相だとアメリカは思ったものだ。
寝転んでいるせいで微妙に傾いだ視界、無造作に手を伸ばして机の上のものを摘み上げる。
「カナダ、これ何だい?」
「え、どれ?あ、それはねぇこの前日本さんちで買ってきた鼻用のパックだよ」
「鼻用!え、それって鼻以外に使っちゃ駄目ってことかい?専用?」
「すっごく綺麗になるの!そうだアメリカもしてみる?待ってね、それは先に鼻にお水をつけてー、」
「準備しなくていいったら。しないぞ俺は」
「そぉ? あっ、その辺のはクマリーさんの耳飾りなんだから壊しちゃ駄目だよ」
「壊さないよ、信用ないなぁ‥‥って、あれ?クマリーは?」
「お出かけだよ。いちばんお気に入りのお花つけて行ったから、デートじゃない?」
「ふーん」
白い布を指先にかぶせたまま、ほわほわした口調で答えるカナダはアメリカが手に取る白い家族の耳飾りを見て、ふっくらとした唇をほにゃりと緩ませる。
化粧はしていないというのだから色もなにもつけてはいないだろうに、ほんのりとしたピンク色の唇だ。自分の其れとはまったく違う、ふくふくとして柔らかそうなカナダの唇がおっとりと動くのを、アメリカはどこか不思議なものをみる思いで見た。
思いついて、どこかの農業と愛の国のような底意地の悪い笑みを浮かべる。
「へーぇ、デート!飼い主は一人で身だしなみ中なのになー?」
「あぅ、ううううるさいなぁ! 自分だって彼女いないくせにッ」
「なッ!?い、いいだろ俺のことは‥‥って、お?」
「きゃうっ、」
カナダの反撃に思わず寝転んでいた身体を起こせば、ソファに伝わった揺れに隣に座っていた小さな身体がふるんと傾いだ。
彼女の指先に代わって星と花の色を移された白い布が、カナダの指先から空へとダイブする。
思わず目が追った其れはつかの間空気と頼りないワルツを踊って、机に並ぶ小瓶の上へと着地した。コトコト、コトリ、小さく瓶の倒れる音。
と同時に、アメリカの腕の中にも柔らかくて小さな身体がころん、ぽふり。と着地する。
「‥‥ううう。もー、アメリカったら急に動かないでよう」
「ごめんって。ていうかキミが軽すぎるだけだろ、もっとウェイトつけたらどうだい?」
「ヤだよッ、この前漸くダイエット成功したんだから!」
「え。どの辺が。おっぱいは前より大きくなってないかい?減らすならさぁ、まずあるところから、」
「うるさいうるさいうるさーい!ぽにょ腹のひとにどの辺がなんて訊く権利はないもんッ」
「ちょっ、カナダきみねぇ言っていいことと悪いことがっ、」
「え。事実だし。ぽにょ。」
「あっ、ちょッ、つままないでくれよ!!」
他愛のない軽口の応酬はそのままソファの上のじゃれあいに発展する。
カナダの家のソファは白い大柄な家族を考慮してか、一人と一頭暮らしのわりにスリーシーターでたっぷりとした座面を持つ大きなものだった。身体年齢がそろそろ20歳にならんとするきょうだいが戯れても十分に対応してくれるくらいには、立派な代物といえるだろう。
もっとも、そんなじゃれあいなどものの数秒で決着するのだけれど。
「ふにゃッ」
「‥‥うわ、きみちっちゃいなぁ。なんかふにふにしてるし」
「違うもんっ、アメリカがおっきくなっただけだよ!重ーいッ!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめたきょうだいの身体が驚くほどに柔らかいことに、アメリカは内心で驚嘆する。
柔らかい、甘い匂いのする身体。‥‥女の子の、身体だ。
「アメリカ、重いってば!‥‥アメリカ?」
「‥‥ああ、うん」
何もない休日、暇だからという理由だけで何の約束もなしに家を訪ねていける。
訪ねてきた相手を忙しいからと放置して、爪に星や花の色を乗せるのに熱中したりする。
失敗したら八つ当たりで怒って、くだらない言葉を交わして、ソファの上でじゃれあう。
ほぼ同じ時期に生まれ同じ大地で育ち、幼い時期を共に過ごした相手は、どこまでいっても己と分かちがたい存在だと思っていた。否、思っている、今も。‥‥けれど。
(大切な、きょうだい。世界に二人と居ない彼女は、たったひとりの‥‥、)
「‥‥なんか、ヘンな感じ」
腕の中納まったカナダがぽつりと呟いたのに、アメリカはまるでこの瞬間に目が覚めたかのように、息を呑んだ。
何か、自分は、不思議なことを考えていた気がする。
これまで考えもしなかったような‥‥違う、ずっと心の深い場所に沈めていたなにか不思議で、なにか凄く、大切なことを。大切な、熱を。取り出しかけていた、ような。
「ていうか、アメリカ本当に重い、から」
「え、あ、ごめん」
はふ、と息を切るようなきょうだいの声に、アメリカは慌てて彼女を抱きしめたまま己の身体をひっくり返すように体勢を逆転させた。腕の中にすっぽりと納まるサイズの彼女では、なるほど覆い被さったアメリカの身体はさぞ重たかろうというものだ。‥‥ぽにょ腹とかそういう、アレは置いといて。
だって彼女は女の子で、自分は男だから。
キシリと一つだけ鳴いたソファの上、仰向けに寝転んだアメリカの上にカナダの身体が乗っている。小さな身体が落ちないよう背中と腰を抱くように腕を回せば力を抜いたカナダが身を凭せ掛けてきて、彼女の全体重を受け止める形になったけれど、アメリカにとってはなんと言うこともない荷重だ。
ダイエットに成功したと言っていたけれど、きっとそんなことしなくたってアメリカはカナダをこうして支えられた筈だ。‥‥ああ、これは、確かに。
「‥‥ヘンな感じ、かもなぁ」
「ね?」
だって自分達は、ほぼ同じ時期に生まれて同じ大地で育ち、同じ保護者の下ひとつ屋根の下、共に暮らしていたのだ。
小さな身体、真っ白なお揃いのパジャマドレス、瞳の色をしたリボン。小さな小さな、まったく同じサイズの手を握り合って、笑いあっていた幼い日々。
男だとか、女だとか、考えたことなんてなかった。
自分達は「アメリカ」と「カナダ」。互いが互い、最大にして無二の友好国。唯一無二の、きょうだいだった。それは今もこれからも、ずっと変わらない、ことなのだけれど。
「‥‥きみがもし、男だったら。一緒にキャッチボールとかさ、したのかな」
「それならアメリカが女の子だったら、一緒に服やマニキュアの色選んだり、どっちがおっぱいおっきいかとか、較べっこしたかも」
抱きしめ、抱きしめられ、誰より見つめ慣れた視線を絡め合わせて、もしもの世界を話す。
小さな頃、一緒のベッドで手を取り合って内緒話をした頃のように密やかな、お互いにだけ聞こえる声で。
「あ、でもカナダはきっと男になってもどんくさいだろうからなぁ、投げるボールなんてヘロヘロで、俺のボールなんてキャッチ出来ないんだろうな」
「なによ、アメリカは女の子でもきっと元気よすぎてイギリスさんに『もっと女らしくしろ!』とか言われちゃうんだから」
「うわあ、俺の為にひらっひらの服選んでるイギリスが見えるようだぞ!」
「キャッチボールかぁ、うん、『もーアメリカはおかしい!君はせっかちすぎるんだよもっとスローに生きたらどうだい!』ってお説教してる自分が目に浮かぶなぁ‥‥」
あり得ない、けれどあり得たかもしれないもしもの世界を想像して、二人は笑いあった。笑うたび揺れる身体がぴったりと重ねた肌から溶け合いそうで、けれど溶け合わないから、なおさら可笑しくて、温かい。
「でもキミは女の子だしなぁ」
「アメリカは男だし」
「‥‥ヘンな感じだけど、やっぱりしっくりするね」
「そうだね、ちょうどいいね」
笑いあう、それはきょうだいの距離。
(浮かびかけた想いは、熱は、心の底にまだ沈んだままで。)
「‥‥うう、もう、マニキュアまた失敗だよぅ」
「別にいいじゃないか爪なんて、っていうかカナダ、ボトル倒れてるんだけど」
「ふぇ?!え、ちょっ、やだぁ!!」
「おふッ、‥‥ちょ、カナダっ、そこ胃!みぞおち‥‥ッ!」
「え?あ、ごめん」
アメリカの発言をうけて、いつものおっとり加減を忘れたような素早さで起き上がったカナダに容赦なく体重をかけて腹上に跨られ、思わず息を詰めたアメリカだ。さすがに、どれほど軽い女の子の体重だろうと、無防備な腹に全体重をかけられては堪らない。
‥‥まぁ、ふにふにした尻の感触や下から見上げるたっぷりとした胸のフォルムは眼福と言えなくもないのだけれど。
慌てたように軽く腰を浮かせた拍子、ぷるんと揺れたきょうだいの胸を眺めながら、アメリカはぼんやりと思う。
一方のカナダは下敷きにしたアメリカなどまるでピクニックシート扱いで、項垂れた視線は机の上、はみ出したマニキュアを拭った白い布に倒された小瓶に釘付けだ。
「ああ、せっかくフランスさんがくれたのにー‥‥」
「え、なんだいあれ、彼からのプレゼントかい?」
「うん‥‥。ていうか、フランスさんがくれたもの着けて一緒にお買い物行ったら、すごーく喜んでくれてお洋服いつもよりいっぱい買ってくれるし」
「‥‥。きみ、ちょっと腹黒いぞ」
「女の子はお金がかかるんですー。だって買ってくれるっていうんだもん、いいじゃない」
さらりと計算高いことを嘯いたカナダの、けれどしょんぼりとした視線も本当で。
すっかりと中身が流れ出てしまった、父親代わりの男からプレゼントされた小瓶をまるで労わるように、謝るように優しく、再び机の上に並べていく。
小さな小瓶が、小さな、けれど幼い頃とはまったく違う綺麗な指先に優しく扱われるのを、アメリカはやっぱり傾いだ視線で眺めた。
最後の小瓶をおっとりと、丁寧に置き直した指先を、見つめた。
「カナダ、」
呼びかけに、すい、と寄越された視線を絡め合わせて、見つめ合う。
この上もなく曖昧でありながら直球の思いを込めた視線は、きょうだいだからこそ通じる意思疎通。
腹筋だけで一息に起き上がって柔らかな身体を抱きしめれば、くったりと力の抜けた声でアメリカ。と呼ばれた。
安心しきった、それはきっときょうだいだからこそ聞ける声で、異性だからこそ、こうしてすっぽりと抱きしめて、分かり合うことが出来る。
だから、これでいいんだと思う。この関係で、いいのだと、思う。
自分は男で、彼女は女の子で、唯一無二の、きょうだいで。この関係で、よかったと、純粋に思える。
「そうだアメリカぁ、お買い物行こう、お買い物!お昼食べたら。そういえば昨日からバーゲンだって上司の奥さんに教えて貰ってたの、忘れてた」
「え、買い物って、フランスと行くんじゃないの?」
「それはそれ、これはこれ!‥‥フランスさんにはパリで新作買って貰うし。うん、マニキュアなくなっちゃったけど、ちょっとぎゅってしてふにふにってすれば大丈夫。」
「‥‥女の子って怖い。本気で怖い!俺は騙されないんだぞ!」
「そういう台詞はおっぱい凝視しながら言われても信憑性ないんだけどな‥‥。ああ、私アメリカのことが心配だよ、今度巨乳系以外のえっちな本、そっとベッドの下に入れといてあげるね?」
「え、なんで俺が心配されてるんだい?なんか会話の進行おかしくないかい?!っていうか何で俺のエロ本の隠し場所知って‥‥ッ!」
ソファの上、他愛のないきょうだいのじゃれあいはいつまでも続く。
休みの日、暇だから訪ねて、放置されて、やつ当たりされて、じゃれあって、分かり合って。
きっとこれからも、ずっと続く。何故なら自分達は、唯一無二の、きょうだいだからだ。
「‥‥今はまだ、それでいいよ」
「ふぁ?何か言った、アメリカ?ねぇそれより、買い物ー」
「なんでもない!ああもうっ、荷物持ちだけだからね?!暇で暇で仕方がないから、付き合ってあげるだけなんだからね!」
「やったぁ!」
にっこりと笑ったカナダを抱きしめて、アメリカはため息をつくように笑った。
暇な休日は他愛もなく過ぎて、けれどきょうだいと過ごす楽しい一日になるようだ。
(ああ、けれどいつか。)
(この心の奥にしまった熱を、きみと分かち合えたなら。)
「カナダ、」
「うん?なぁに?」
そう、いつか。大切な君に、君と、この大切な、想いを。
brotherhood
end.(2011.01.20)
きょうだいだから、性別が違うから出来るイチョイチョってあるよね。恋人だから、同性だから出来るイチョイチョもありますが(´∀`)
おっぱいとかエロ本の隠し場所とか、でも恋人とは違う会話
それと今回意識して二人の言動にイギ様っぽさを加えてみました。メリカってツンデレだよなってthe本読み返して思った結果^^