ふんわりお洒落なお洋服。
甘くて可愛い、美味しいお菓子。

欲しいもの、それから、他には?









「あ、これ可愛いー‥‥」

クラシカルな造りの書斎に、ふんわりと甘い声が紙面を捲る軽やかな音に混じって小さく響く。
そう広くはない室内には、仕事部屋も兼任の書斎に相応しい落ち着いた黒檀の机と、小さなソファセット。縦に長い天井まで伸びる窓からは、この国らしい雲越しの薄ぼんやりとした陽光が音もなく室内を暖めている。
そして、その陽光から逃れるよう切り取られた壁一面にはやはりシンプルでクラシックな棚が作りつけられ、ずっしりと重々しい雰囲気を醸しつつ鎮座していた。
棚の中に納まっているものはといえば、茶封筒に無造作に押し込まれたモノクロのグラフデータから本皮で作りこまれ金銀の象嵌が施された厚い本まで多種多様な書籍書類、そのほかにも一体いつからそこにあるのやら解らない、いかにも年代物な外装をした小箱や小瓶。勿論中身も謎だ。
無造作際まる雑多な風情で、それでいてなんとなく落ち着いて見えるのは、その本棚自体が重ねてきた年月の重みだろう。

もっとも、その本棚の所有者はそれを優に超す年月を渡ってきた者なわけだが。

ぱらぱらと、紙面を捲る音は続く。
それは小さなソファの上、丁寧に膝を揃えて座った腿の上から。
透け感のある軽やかなシフォン地を重ねたクリームカラーのワンピースの裾からは、すんなりと細い、真っ白な足が覗いている。
ぱらり、ぱらと細い指が膝上の紙面を捲っていく。
丁寧に整えられ色を乗せた爪はベージュピンク、ふっくらとした唇をつやつやと彩るリップグロスと同色だ。
ぷるんと形の良い豊かな胸の上には、耳横で一度、花のモチーフに飾られたクリップで束ねたハニーカラーの巻き毛がふんわりと遊び、それを白い柔らかそうな指が時折おっとりとした仕草でかき上げていた。
そして、可愛い唇から零れる声も同じくらいにおっとりと、甘く。

「いいなぁ‥‥」
「何がだ?さっきから」

掛けられた声に、ぴょこんと弾かれたように顔が上げられた。
唐突な声に驚いたとも取れる仕草はしかし、彼女の湖水色の目がキラキラと輝いて声の主へと視線を向けられたことから、彼女がその声を待っていたのだということがありありと見て取れた。

「あのねイギリスさ‥‥」
「もうちょっとで済むから、あと少し待ってろ」

軽やかに弾んだ彼女の声は、感情をよく読み取れない少し掠れた青年の声により遮られた。
続けるはずだった言葉は、息と一緒に飲み込まれる。ヒュ、と嫌な音が喉から聴こえて音にならなかった声が喉奥をぐるりとかき回したように感じたけれど、構わずに口をつぐんで、やり過ごす。
きゅ、と噛んだ唇が、少しだけ痛い。

「‥‥もうちょっとって、もう3回聞いたもん」
「今度こそだって、‥‥あと2枚」
「‥‥‥‥まだ2枚だもん」
「待ってろ」

拗ねた言葉に返るのは、決して宥める口調ではない。
淡々と、凛然とした声。仕事中の。当たり前といえば当たり前だ、彼とて決して、無為に彼女を待たせているわけではない。
彼が書斎の机に向かってよどみなくペンを走らせているのは、少し拗ねた面持ちでソファに座る彼女が‥‥カナダが、本国から運んできた、書類なのだから。




『それじゃ今夜、受け取りにきますね。私、今からフランスさんのおうちに‥‥』
『すぐに書き出せるぞ』

本国から携えてきた書類を手渡し、丁寧にお辞儀をして玄関先で辞去しようとした彼女の腕を引いたのは、深い緑の瞳をしたイギリス。

『え?』
『すぐ出来る。‥‥少し、待ってろ』

本当は、イギリスの書類が整うまでは海峡向こうに済んでいる、イギリスの腐れ縁でありカナダにとっては最初の保護者に当たる相手の家に、遊びに行くはずだったのだ。
甘い美味しいお菓子、綺麗でお洒落な服。
待ってるよ、お兄さん案内してあげる。滴るような色気をした元保護者の電話越しの声に、弾んだ声で「はい」と返事をしたのは、つい数時間前。
けれどイギリスの、少し冷たい、薄い手のひらに己の其れを握りこまれた時点で、それを振り払ってフランスへ行くという計画は、カナダの脳裏から綺麗さっぱりとなかったことに。
腕を引かれて彼の執務室にあたる書斎へと招き入れられ、ポットごとの紅茶といつもながらの見た目だけは美味しそうなスコーンをテーブルに供されて、ふんわり笑ってありがとうございます、といったのは、さてどれくらい前だったか。
とりあえずポットの紅茶は3杯めぶんを残してすっかりと冷えてしまったし、スコーンは‥‥まぁ、こちらはいつものとおり最初の場所にのっそりと座ったまま。
けれど、いつもならスコーン温かいほうがよかったかとか、メイプルシロップとバニラアイスかけて食べるかとか。そんな彼女を甘やかす声が聴こえてくるはずなのに。

美味しいお菓子とお洒落な服は、冷めた紅茶と見た目だけは美味しそうなお菓子に。‥‥海峡を越えれば、ずいぶんと内容が違ってしまうものだ、などとぼんやり考え、カナダはむぅっと唇を尖らせる。

暫しそうして唇を尖らせ、仕事に没頭するひとを不満げにねめつけた後、カナダは息をついて膝上の雑誌をぽいと横に投げた。
カラフルでスタイリッシュなグラビアで構成された冊子は、少しだけ重そうな音を立てて一人ぶん開いたソファへと着地する。
それからチラリと、視線だけを書斎机に向かうイギリスへ。
緩く伏せたように見える睫の金色と、よどみなく動くペン。

仕事中。解っては、いるけれど。
構ってくれなんて我が侭、言わないけれど。

「それ、何なんだ?」

ソファの上からの視線を感じたのか、イギリスが短く問いかけてきた。
けれど視線は相変わらず、書類の上。

「‥‥フランスさんちの、雑誌。お洋服、買おうと思ってたから」
「そうか」
「新作がでる時期だから、ショップに案内してあげるって。そのあと美味しいお菓子食べに行こうって、約束してたんです」
「そうか」

抑揚のほぼない相づちは、仕事中の彼にありがちなものだ。
のんびりおっとりが身についたカナダに比べ、元宗主国であり連邦盟主であるイギリスは些かワーカホリックな部分がある。庭いじりも料理も大好きなくせ、同じくらいに数字の羅列された予算案を読むだとか言葉巧みに政治交渉をするのも好きという、カナダからしてみれば不思議で仕方がない青年なのだ。

机に向かうのは集中しきったイギリス。さらさらとよどみなくペンが動く。
それが働けば働いただけ仕事は終わりに近づくし、嬉しいことではあるのだけれど。‥‥けれど。

「‥‥つまんない」
「もうちょっと」

一応カナダの声は聴こえているらしく、的外れな回答が返って来ることはない。
数十分前など、パンプスを脱いでから膝を抱えるようにしてつま先までソファの上に引き上げたら、止めなさいレディがはしたない、とまるっきり母親の言葉が飛んできた。‥‥大人しく、従ったけれど。
けれど、やはり、つまらない。
もしも此処に居なければ、美味しくて甘いお菓子と、綺麗で可愛い服を見て、笑っていただろう。傍にはカナダに甘い、優しく美しい元保護者。顔を合わせるたび、俺のカナダは可愛いね、そう言っては頭を撫でて好い匂いのする身体で抱き締めてくれる、フランス。
けれど目の前にいるのは、カナダを放り出して書類に目を通す、イギリス。
カナダはその端正な姿を暫し眺めてから、ふ、とひとつ息をつき。

「イギリスさん」
「あと数行だから」
「好き」

さらさらと走っていたペン先が一瞬ぴたりと止まって、また動き出す。
その一連を視界に収めてから、カナダは身体をソファに深く凭せ掛け、目を閉じて、‥‥少し、待つ。
署名を最後に走らせていたペンを置く音、書類の端を調えるやや乱暴な音、椅子を引いて立ち上がり、絨毯を食んで早足で近づいてくる、靴音。

そして。




「‥‥‥‥仕事中にそんなん言われても、抱きしめらんねぇだろ。あんまり困らすな」




少しぶっきらぼうな、けれど年下の恋人を宥めて甘やかす甘い口調、抱き締めてくる強い腕と、少し低めの体温に。
お仕事お疲れ様です、カナダはふんわりと花のごとく笑って言い、寄せられる唇を瞳を閉じたまま、迎え入れたのだった。




「‥‥美味しい菓子と、服か?」
「そうです」
「紅茶淹れ替えてくる。‥‥明日、買い物に行くか」
「パリのお店チェックしてるの。フランスさんが付き合ってくれるって」
「‥‥‥‥わかった、俺が付き合うから。フランスを呼ぶな、フランスを。‥‥あンのクソ髭、いっつもカナダにベタベタベタベタしやがって‥‥なにが『俺のカナダは可愛いね』だ可愛いのは同意だがテメェのじゃなくて俺のだっつのいつか毟るぜってぇ毟るむしろ呪う」

一頻り甘い恋人のキスを交わしてから最後に頭を一撫でし、言葉どおりに紅茶を淹れ替えるために立ち上がったイギリスが、海峡向こうの隣人にとっては不穏すぎる言葉を淡々と呟きつつ、キッチンへと向かうべく書斎のドアへと足先を向けた。
その、細身ながらも凛と伸びた端正な背中を、蕩けるほどに甘かったキスの余韻に浸りつつ、カナダは見送りかけて。

「イギリスさん」
「ん?」
「大好き」

即座に振り返って恋人の傍へと舞い戻り、華奢な身体を少し強引に抱き締めて先程よりもずっと深いくちづけを仕掛けたイギリスは、その唇にとろりと蕩けて息が上がってしまったカナダの少し潤んだ瞳を覗き込んで、低く囁いた。




「だから。仕事中じゃねぇからすぐに抱き締めてやれるけどな。‥‥煽るな、それだけで終わらなくなる」
「‥‥はぁい」




今度こそ紅茶を淹れるために部屋を後にしたイギリスの、遠ざかっていく少し早い足音を遠く聞きながら、カナダはうっすらと口の端を微笑ませたまま携帯電話を取り出した。
フランスには、行けなくなった事を謝罪する電話を。
本国で待つ上司には、

「『‥‥少し、書類を調えるのに時間がかかりそうなので、今日と明日はこちらに泊まります』‥‥と」

ぽちぽちとおっとりした指先でメールを打ち終え、暫し待つ。直ぐに来たリターンに、自分の望みどおりの言葉が記されていたことにカナダは笑って、ちゅっと携帯に軽いキスをしてから、携帯を閉じてソファの上に放った。
メイプルリーフをペイントした携帯は、ちょうど先に投げ置いていたフランスのファッション誌の上にぽたりと落ちる。




‥‥俺のカナダは可愛いね、そう言われてフランスに抱き締められたその一瞬後にやってくる強く自分を引き寄せて抱き込まれる恋人の腕が嬉しくてフランスにくっついてる、なんて。フランスはフランスで、慌てて走ってくる腐れ縁をからかいたくてやっている、なんて彼が知った日にはどうなるんだろ?




「ほら、紅茶。‥‥どうした、ずいぶんご機嫌だな?」

ワゴンを押して入ってきたイギリスに、カナダはふんわりとした笑みを向ける。

「あのね、上司が明後日まで、こっちにいてもいいよって。イギリスさん、今日と明日こちらに泊めてもらってもいいですか?」
「ん?そりゃ勿論。明後日はヒースローまで送る」
「ありがとうございます」

会話の間にもサーブされるのは、紅茶だけではなくて銀器に丁寧に盛り付けられたティーサンドを始めとする、菓子類。教科書どおりのアフタヌーンティのセットだ。

「サンドイッチとヴィクトリアサンド、この前お前が美味しいって言ってた店のな。ああ、スコーンは自作だけどあっためてきたからさくらんぼのアイスと一緒に、あ、メイプルシロップかけるか?」
「かける!」
「ん。‥‥で、他には?」
「ふぇ?」

目の前に広がった(‥‥イギリス手製でなければお菓子は美味しいのだ)素敵なお菓子類にきらきらとした視線を当てていたカナダは、す、とソファの隣が沈み込んだ感覚と近距離の深緑の瞳に、ぱっと顔を横へと向ける。
そこには、少し拗ねたような呆れたような、それでいて余裕を感じさせるシニカルな笑みを浮かべた恋人が、肩を優しく抱いてくれながら此方を見ていた。




「美味しい菓子と、服は明日な。‥‥で、他に、必要なものは?」
「イギリスさんが必要です。傍に居て」




いい答えだ。笑った恋人の強くて優しい腕と、甘い声。
瞼を伏せれば、そっと唇を寄せられる。
甘くて美味しいお菓子、綺麗な服。‥‥どれも欲しいものではあるけれど。









そのキスは、きっと目の前に広がる甘くて美味しいお菓子より綺麗な服より、ずっと甘くて自分が欲しかったもの。









 コケティッシュジムカーナ!





end.(2009.05.21)

少しだけ書き足しました
カナちゃんの甘えは女の子の可愛い計算。
イギは8割くらいそんな計算とわかった上で対応してます
だって解ってても可愛いもんは可愛いだろっていう。
英にょ加はカナちゃん視点なので、イギが妙にカッコよくなります^^
『meidens fistivity』と似ちゃったのは、要精進。