己の恋人がおっとりのんびりカナディアンタイムなのは毎度のことだが、少し珍しいなと思ったのは確かだ。
「うー‥‥ん」
ぱちぱちと、小さな暖炉の中で弾ける薪の音が、向こうを向いたままの彼女のほわほわとした唸り声に混じって響くのを、イギリスは旅装に纏わりつく冬の気配を優しい暖気に払われながら聞いた。
イギリスはまず、帽子と手袋、それからコートを脱いだ。
きっちりと襟まで合わせた装いは、年も押し迫る冬に相応しいものである。
緯度からすればイギリスもカナダもさして変わらない。むしろモントリオールやトロントに較べるとロンドンのほうがずっと北寄りなのだが、己の小さな本国はといえば偏西風の影響で冬とはいえ毎日のように降雪があるということはない。夏も短く冬は長く、そして長い冬は寒いのには間違いないが、そもそも多少の寒さで大げさに震えてみせるなど、英国紳士にあるまじき振舞いだとイギリスは思う。‥‥そうとも、大げさに寒がって見せ「ああ俺の可愛いカナダ、お前のあったかそうなっていうかふわっふわで気持ちよさそうな身体(特に胸のあたり)であっためておくれ!」などとのたまって人の恋人に抱きつこうとする海峡向こうの隣国とは違うのだ。
因みに抱きつこうとする、であって抱きつけた試しはない。抱きつくなら其れ相応の覚悟をしてもらわなければ困る。ブローニュの森を残らず毟られるとか。まぁ毟ったところで恋人たる自分が抱きつかせるわけもないが。
イギリスは隣国限定で不穏な思考を巡らせつつ、帽子は帽子掛けへ、手袋は軽く払ってリングを掛けてから帽子と一緒に揃えて置く。コートはコートハンガーだ。
「んー‥‥」
‥‥コートハンガーなのだが、そのハンガーをいつもであればおっとりと、可愛い声と仕草で差し出してくれる恋人はソファに座り込んで唸っている為、出てこない。
イギリスはそれでも暫くの間(そう、カナディアンタイムな彼女と過ごすコツはポイントポイントでストップモーションを入れることだ)、じっとその場に佇みソファの背凭れ越しに見えるハニーカラーの巻き毛とふわふわと揺れている跳ねっ毛、そして華奢な肩や細い首を眺めていたのだが、動きがないことを見て取ると辺りへと視線をめぐらせ、濡れても平気そうなアルミ製の背もたれをした簡易チェアにコートをたたんで掛けておくことにした。
最寄バスストップから此方の道々に被った雪は玄関先で払いはしたが、チャイムを鳴らしても待てども待てども現れない彼女が若干心配でおざなりになってしまったのは否めない。布張りのソファや木製の椅子だと、コートに残った雪が溶けて染みてしまうことだろう。
「‥‥うん、そっちは‥‥」
もっとも、出迎えがないのはわりとよくあることだ。
イギリスの恋人はおっとりのんびり、ふわふわほのぼのカナディアンタイムを生きている。そんな彼女が玄関チャイムに気がつかないなどまったくもってよくあることで、今更不思議に思うことも苛立つこともない。若干呆れはするが。
大体、玄関のチャイムを鳴らし、ノッカーを打ちつけ、それでも気がついてくれなくとも、イギリスは困らないのである。
皺にならぬようコートをたたみ終えたイギリスは、気がついてそのコートのポケットをさぐる。指先に当たった冷たく硬い感触に一瞬震えてからそれを引っ掛け、取り出した。
シャラリと鳴く、それは鍵が5つほど掛かったシンプルなキーリングである。
内訳は、本国にあるイギリスの本屋敷の鍵、オフィスに近い位置に借りている小さなアパートメント、ロンドンを走るのに一番良く使うミニのキー、薔薇園の入り口に設えた門の鍵と、‥‥先ほど使ったばかりの、恋人の自宅玄関の、鍵。
出迎えに現れない恋人に代わって屋内へと招き入れてくれたその鍵を指先で揺らし、イギリスは少しだけ笑う。
どこかの元弟じゃあるまいし、ハリウッド的に窓をぶち破って侵入(この時点で既に意味がわからない。ハリウッドでは窓をぶち破らないといけないのか。まずは窓を開ける努力をしろ。それ以前に玄関から入れ。)などという行為に及ばなくて済むのは良いことだ。いや鍵がなくともそんな非紳士的行為は絶対にしないが。
「‥‥あれは、‥‥うん、んー‥‥」
イギリスは指先のキーをスーツのポケットへと移し替えると、コートを掛けた椅子を持ち上げ暖炉の前へと持っていき、暖かさは伝わるが近づきすぎない位置に置く。部屋の端に後付けした耐熱ガラス製のミニ暖炉は昔ながらのそれと較べるとこじんまりとして煤も出ず、けれど伝わる暖かさは昔と変わらぬオレンジの炎のぬくもりだ。
思い出されるのは古く重厚な石組み暖炉の前、幼いこどもたちを膝に乗せ、優しい物語を話し聞かせながらあやし、眠っていた遥か昔の穏やかな日々。
あるいは、初めての恋と触れ合いに恥じらう、今よりずっと小柄だった彼女を抱き締めて熱を分け合った、甘い夜。
さて、あれは己の本国屋敷でのことだったか、或いは昔彼女の為に建てていた、屋敷でのことだったか。なんにせよ、随分と昔の話だ。
そう、ずっとずっと、昔から一緒に過ごしてきた。
宗主と殖民地として、母と娘として、兄と妹として。そして今は、恋人同士として。
「ごはんは、うん、大丈夫‥‥あと‥‥、」
ぽそりぽそりと、ソファの上では可愛い声が零れている。
普段からおっとりとした声だが、今聴こえているのはいつにもましてふわふわと、意味をなさない言葉たちだ。彼女はイギリスが此処に居ることに気がついていない、つまり誰に聞かせるためでもない独り言なのだから、それでもかまわないのだが。
そう、かまわない。玄関に出迎えがなくとも、コートを受け取ってくれなくとも、そもそも来客に未だ持って気づいてなくとも、別にいい。彼女は別に、イギリスの世話をするためにいるのではないのだから。
ただ、出迎えの抱擁とくちづけがないのは、恋人としてやはり惜しいとは思う。
「カナダ」
「‥‥‥‥え?ふぇ、え?!イギリスさ‥‥っ、きゃあ!」
ソファの背後から腕を伸べて抱き上げ、柔らかな身体を抱き締めて、くちづけを。
おっとりのんびり、ふわふわとした時間を生きる彼女の唇はふわふわと甘く柔らかい。窓外に広がる白い冬景の綺麗な部分だけ映しとって、後はあたたかな暖炉の温度をした身体。イギリスの、可愛いおっとり屋の恋人。
「んん‥‥っ」
「‥‥カナダ、」
ソファの背に浅く腰をひっかけるように凭れて二人ぶんの体重を支え、腿に軽く乗せるようにして横抱きにしたカナダと一頻りキスを交わす。ふっくらと白い腕がおっとりと己の首に掛けられたところで、最後に柔らかい舌を軽く食んでからイギリスはキスを終えた。
それにふるりと震えた恋人が可愛くて、唇を離すなりクツクツと笑えば、ようやっと思考が現状に追いついてきたのだろう、淡い湖水色の瞳がイギリスをねめつけてきた。もっとも、恥じらいに目元をほんのり染めた其れでは怖くもなんともないわけだが。
「‥‥もぉ、イギリスさん、なに、急に」
「や、お前がいつまでたっても気がつかねぇからな」
「え?」
少し拗ねたような声は照れ隠しの甘えだとわかっているので、くちづけに上がった息を整えながらの可愛い文句には肩をすくめて応じる。
イギリスの言葉に、自己申告の年齢よりも若干幼く見えるやや甘い顔立ちのカナダがきょとんとした表情を乗せ、無意識になのだろうことりと小さく首を傾げて、から。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あれ?イギリスさん、何で居るの?」
心いくまでカナダな返答に、堪らずイギリスは盛大に吹き出した。
笑うと同時若干力が抜けたせいか、彼女を抱く腕が緩んだのを抱かれている本人のほうが先に気づいて首に掛けた腕に反射的に力が入ったので、イギリスはなおも笑いつつしっかりと恋人を抱きなおしてやる。
きゅ、と寄せられた身体はいつものとおりに甘い匂いで、ふにふにぷるんとあたってくる女性らしい感触は単純に男心に非常に優しい。
だがしかしそれ以上に。本当にどこまでもカナディアンタイムなのだなと実感させられるような、おっとりとした可愛さが。‥‥なんというか、言葉にならない。
「いや、結構前から居たんだがな。お前、全然気がつかないし」
「ふぁ、え、ええええ?!」
判り易く慌てるカナダにイギリスはニコニコニヨリ、理知的で爽やかだがどこか意地の悪いものを含ませた笑みで応じたものだ。
「断っておくが、玄関のチャイムは鳴らしだぞ?勿論ノッカーもだ。十分に雪を払って、お前から貰った鍵でドアをゆっくり開けて、帽子と手袋も手入れしてから置いて、コートはハンガーがなかったから椅子に掛けて。‥‥あとはやることといえば恋人にキスして抱き締めてくらいだからな、そこでお前を掴まえた、わけだけど?」
「あ‥‥ご、ごめんなさい」
突然現れた眼前の恋人におろおろと慌て、皮肉交じりの現状説明にふるふると震え、最後にしょぼんと俯いて謝罪を口にした恋人を、イギリスは一頻り堪能‥‥もとい眺めてから、今度こそ優しく笑ってその俯きがちの額にくちづける。
「お前がぼんやりでおっとりなのは今に始まったことじゃないからな、これくらいどうってことでもない」
「‥‥イギリスさぁん」
語尾を引く、少し甘えた声は昔から変わらないようでいて、仄かに恋人仕様の特別な甘さが加わって聴こえるのは、さて母で兄で初恋の相手で現恋人の彼を隠さずひたむきに好きだと告げてくる彼女のせいだろうか。
‥‥いや、自分のせいかもしれないな。
イギリスは、彼女を愛している。
玄関に出迎えがなかろうとコートを受け取ってくれなかろうと来訪に気がつかれなかろうと、それが何ほどのものかと思える程度には。
イギリスは膝上に抱き上げていた彼女をもう一度腕に横抱きにし立ち上がると、先ほどまで彼女が座っていたソファへと並びあって座りなおす。膝や胸元に寄りかかっていた温もりは肩に移行し、そっと肩から腰へと手のひらを滑らせて抱き寄せれば素直に優しい重みがもたれかかってくる。
恋人を迎えて早々の(いや、イギリスからすれば結構な時間を彼女を眺めて過ごした後の、なのだが)ほんのり甘い触れ合いに恥ずかしがってか甘えてか、イギリスの肩に小さな頭を摺り寄せてくる可愛い恋人の仕草に内心でニヨニヨしながら表情はきっちり英国紳士の装いで、イギリスは可愛い恋人に問いかけた。
「さっきから座ったまま、なんか呟いてただろ?どうした、何かあったのか?」
そう、彼女がおっとりのんびりとしているのはいつものことなのだが、さすがに今日はおっとりし過ぎだと、彼女の後姿を眺めながら不思議に思っていたのだ。
さすがに年末の一ヶ月は宗教上も政治的にも様々な行事が目白押しで、イギリスは海を越えることはおろか満足に電話も、メールさえも出来ていなかった。
彼女は彼女で忙しいながらも、隣国の元気が良すぎるきょうだいに付き合って世界屈指のレーダー網でサンタクロースを追いかけてみたり、楽しいクリスマスシーズンを過ごしていたようだけれど。
けれど、恋人であるイギリスとは、会えていなかった。
祈りの日の25日を越してようやっと貰えたクリスマス休暇に、こうして海を越えてきての、久しぶりの逢瀬。
「なに、考えてた?」
玄関に出迎えがなかろうがコートハンガーがなかろうが、来訪に気づかなかろうが、別にかまわない。
おっとりのんびり、カナディアンタイム。そんな彼女を、愛しているのだけれども。
(‥‥できれば、今日くらいは、なんて?)
待つ余裕なんて、かけらもない。
普段は構わないカナディアンタイムな彼女が、イギリスに気がつかないのに焦れて無理やり抱き上げて振り向かせるほど。
けれど紳士にあるまじき心の狭さは、年上の意地で綺麗に隠す。
優しい声を心がけてそれでも妬心を抑えきれていない気がした問いかけに、ぱっと上げられた恋人の頬が、ほんのりと薔薇色に染まった。
想いが言葉ではなく色になって伝わってくるような、甘い優しい頬の赤み。イギリスが愛する、おっとり屋のカナダ。
「えっと。‥‥イギリスさんがいらっしゃるから、何日か前から、お掃除、してて。全部済んだんですけど、残したところないかなとか、あと今日のお夕食、イギリスさんの好きなカレーにしようかなとか、会ったらどんな挨拶しようかなとか、は、早く会いたいなとか‥‥、その‥‥イギリスさんの、ことばっかり、考えて、ました」
おっとりのんびり、カナディアンタイム。
なのにこんなにも激しくイギリスの心を掴んで揺さぶる、可愛い恋人。
「‥‥‥‥カナダ。今晩、カレー食べたいか?」
唐突なイギリスの問いかけに、ぽそぽそとおっとり答えたきり恋人に抱き寄せられるまま力を抜いていたカナダが、やはりおっとり顔を上げた。その表情はきょとんとして、うっすらと開いた桃色の唇のなまめかしさも、本人には解らないのだろう。
まぁ、当然といえば当然だ。むしろこれ以上意識的に可愛さを出されては、心臓に悪い。こちとら結構年なのだ。
「へ?え、食べたいっていうか、イギリスさんがカレー好きだから、今日はもうカレーにしようって、材料も全部、」
「そんじゃそのカレー、俺が作ってやる」
「‥‥えっ!でッでも今日は私が、作ってあげたいっていうかっ」
微妙に焦った風な受け答えにイギリスも思うところがないでもなかったが、そこは元弟に倣ってあえて読まないでおく。ついでに彼女の手料理に未練がなくもないが、まぁ休暇は年明けまで。時間はたっぷりある。
‥‥その、たっぷりとある長い休暇の始まりを、こんな風にはじめてもいいだろう。
「ちょっと、我慢が利きそうにない。疲れさせると思うから。‥‥好きだよ、会いたかった、カナダ。悪ィけど、カレーより先にお前食わせてくれ」
終わったら寝てていいし、だからカレーは俺が作ってやる、と。
ふんわりとソファの座面に広がったハニーカラーの巻き毛を一房掬ってくちづけて囁けば、のんびり屋の彼女の顔が一瞬で真っ赤に染まったので。
イギリスは、今回ばかりはカナディアンタイムな返答は待たずに、恋人の熱く甘い身体に集中することにした。
そうとも、玄関に出迎えがなかろうが来訪に気づかれなかろうが、構うものか。
性急にその甘い身体を暴いていく中で、おっとりとイギリスの背に回された腕の優しさと、恋人たる己だけに許される、とびきり熱くとろとろに甘い声を聴くことが出来るのであれば。
「あん、ン‥‥ッぁ、そうだ、あの」
「ん?‥‥なんだ?」
「えっと、いらっしゃいませ、イギリスさん」
「‥‥‥‥。ああ、暫く世話になるな、カナダ。‥‥挨拶も済んだし、ほら、こっち集中、な?」
「ひゃ、ぁん‥‥ッ!」
なんともカナディアンタイムな時間差挨拶に、深く肌を合わせながら言葉を返すのも。
おっとりのんびり、そして可愛い恋人との付き合いならではというものだ。
久しぶりの恋人宅のキッチンに立ち、手つきだけは意外に良い腕を振るうイギリスの背後、リビングの暖炉で薪の爆ぜる音がした。
椅子に掛けたコートはすっかりと乾いている頃だろうが、結局ハンガーの在り処がわからないので、そのままにしておくことにする。
ちょっと焦げ臭いカレーの匂いに、気だるげな動きで起きだしてきた恋人が、おっとりとした動作でハンガーに掛けてくれる姿をなんとなし思い描いて、イギリスは小さく笑った。
FLUFFY
end.(2009.12.27)
「うん、明日からは私がごはん作りますね!」
「ああ、まぁ‥‥いいんだけどな‥‥」