金色の滑らかな生地が空を舞う。
それにあわせて慎ましやかに纏まっていた其れが、まるで初めての恋を知った少女にも似た可愛らしさで花開き、極上の絹布にも似た輝きと厚みで絶妙の真円へと形を変えていく様を窺うのが、好きだ。
輝く太陽と肥沃な大地に育てられた小麦と、マンマの愛情にも似た深い場所から湧き出た水で練り上げた、素朴な食べ物。
余計なものなんて要らない。余計なものなんて、入りようがない。それはきっと神様の計算でしかありえない、運命みたいな出会い、世界で一番の絶妙の配剤。
ああ、神様とこの土地が生み出すものはこんなにも素敵だ、なんて。
思いながら生地を扱えば、ほら。
「ふわぁ‥‥!」
甘い甘い声は彼女の好きなメイプルシロップよりも甘やかに、青灰の瞳は地中海の太陽よりもまばゆい光を宿して、イタリアの心をこの上もなく高揚させる。
勿論、その間も生地を扱う腕は止めない。ピッツァの生地作りは時間との勝負でもある。一分にも満たない時間、一瞬が全て。
太陽を宿した金色の小麦そのままの色の生地に、真っ赤に熟れたトマトと白いモッツァレッラ・ディ・ヴァッカを手早く乗せて、連続した一動作で鉄の天板に乗せて熱く焼けた石釜へ。自宅に設えた石焼き釜は、実のところそう遠くない昔漸く一緒に暮らすことが叶った兄が細部にまでこだわり抜いて設えたものなのだけれど、それは言わないでおこうと思った。何故といって、自分達は本来二人揃って『イタリア』なのだし、なにより。
「イタリアさん、凄い!」
「Grazie!」
恋人の称賛は独り占めしたいってそれくらいの打算、きっと世界中の恋を知る人になら笑って許してもらえると思うから。
「はいっ、これで終わりだよ!あとは少ししたらバジルを入れるね、ペーストはともかく、葉っぱは最初から乗せると焦げちゃうから」
重い音を立てて石釜のドアを閉じたイタリアは歌うような声で告げながら、軽やかに身体を反転させた。釜の熱気にやや汗をかいた額へ張り付いていた亜麻色の髪が、持ち主の動きに合わせて解ける。くるりと一巻きした一ふさは動きに合わせてふるんと揺れて、まるで陽気な恋歌を踊りながら歌っているかのようだ。
もっとも、それ以上に踊りだしたいほどに陽気なのは、その髪の持ち主であるイタリアだったのだけれど。
「すごい、イタリアさん。私、ピッツァ作りをこんなに近くで見たの初めてです!」
「あははー、カッコよかった?」
おっとりと甘い声で紡がれる素直すぎる称賛に、イタリアは上限知らずに高揚する心のまま身体を揺らしながら笑う。
ぱちぱちぱち、なんて可愛らしい拍手は、たっぷりと柔らかな胸元近くから。手を打ち合わせるのに合わせてぷるぷると揺れるまろみの上には、お下げに結ったメイプルシュガーカラーの巻き毛だ。
曲線ばかりで構成された女の子の身体をキッチンの固いスツールにちょこりと置いて、きらきらとした青灰色の瞳で見上げてくる姿に、イタリアは全世界に向けて快哉を叫びたい気分ですらあった。
だって、こんなに可愛い女の子が、俺の恋人だなんて!
そう、今この時にイタリア宅の厨房で、ピッツァ作りの実演を目にして楽しそうに笑っている彼女ことカナダは、目下イタリアが夢中の、最愛の恋人なのである。
「えへへ、カナダーカナダー」
「あっ、駄目ですよイタリアさん、エプロンつけたまま」
「えー?」
くるくると踊らせていた身体を心のままにカナダを抱き締めることへと向けようとしたのだが、それは当のカナダに止められてしまった。柔らかな身体を抱き締められない、それはとても残念ではあったのだけれど、仕方のない話だ。それに、小麦粉だらけのエプロンで可愛い服を汚してしまうのは可哀想だし。
‥‥けれど、抱き締めたいなぁ。ぎゅってハグしたいなぁ。
「駄目?」
「‥‥もう、イタリアさんの甘えっこ」
滑らかな頬にほんのりと、アドリア海を染める夕焼けを刷いたみたいな色を乗せて、柔らかな身体がそっと寄り添う。ハグはしない、けれど触れ合う寸前まで寄り添った服を通して白い柔肌の温みが伝わってきそうな距離から、天使の其れより可愛い、キス。
「ヴェー、ありがとカナダ!」
「‥‥ふふ」
ハグの代わりに互いの頬にキスの交換、そしてそっと指先でイタリアの手元に触れてきた手を絡めとるように繋いで、揺らす。
子どもの戯れのような他愛のない、けれど子どもにはあり得ない甘さを込めた遣り取りは、恋人と、カナダとするから意味がある。
世界中の女の子はみんな可愛くて、綺麗で、素敵だけれど。
世界中の中のたった一人の恋人、世界で一番のカナダとだから、嬉しいことなのだ。
「イタリアさん?」
「うん?あ、バジルいれないとね」
絡めていた指先を最後にきゅっと一つ力を入れてから解き、バジルを一掴みしてから石釜へと向き直る。体内時計を確認しながら素早く釜に近づいて、ミトン越しに焼けた鉄の熱を感じながら扉を開けた。
熱に焼かれた空気が渦を巻いてイタリアにぶつかってくる。けれどそれは決して攻撃的なものではなく、命を育む食を生み出す偉大な熱だ。
まだ焦げ目はない生地の上、こちらは既に程よくとろけ始めたモッツァレラと焼かれて照りを増したトマトが食欲をそそる匂いを釜の中に循環させている。いい出来だ。
イタリアは慣れた手つきで釜から半身だけ取り出した生地をくるりと回しながらバジルを撒くように乗せて、最初の生地の位置から180度方向を替えてから、再び釜の中へと戻す。瑞々しいバジルの青が瞬く間に水気を飛ばされ熱に踊るのを目の端に留めたのを最後に、再び鉄扉を閉じた。
チリチリと肌を焦がすような熱気が遮られたことに、イタリアはひとつ息をつく。
それから、きっと邪魔をしないようにという配慮だろう少し離れた位置から此方を窺う恋人に、イタリアは肩越しに笑って見せた。
「あは、そんなに離れてなくたって大丈夫だよー。もっと近くで見ててもいいよ?」
「え、でも‥‥。やっぱり、お邪魔になったらいけないですし‥‥私、とろくさいから、ぶつかっちゃうかもしれないし」
「そんなの!カナダが近くで見ててくれるほうが俺もーっとやる気でるから、すっごく美味しいピッツァが作れると思うんだぁ」
だから、ね?こっち来て。
ちょいちょいと手招いたイタリアに、カナダはほんの少し困ったように眉の端を下げて躊躇っていたが、やがておずおずと恋人へと近寄っていく。
のんびり具合ではイタリアも人のことを言えた義理ではないが、万事がおっとりのんびりとしたカナダは確かに忙しい食道の厨房にでもいれば、なるほど動きの妨げになってしまうかもしれないけれど。そもそも今日は自分たち二人だけ、なにより此処はイタリアの住み慣れ使い慣れた自宅の厨房だ。
何より恋人を邪魔に思うだなんて世界で一番愚かしい振る舞いなど、イタリア男の名が廃るというもの。
そろそろと此方を窺うように見上げてきた恋人にイタリアはにっこりと大きな笑みを返してから、隣り立つよう彼女の為の場所を空けると、そこにゆっくりと身体を持ってきたカナダににっこりと笑いかけた。
壁に半分を埋め込むように作り付けた石釜は、内部を巡る熱とは裏腹の静かさで恋人たちの眼前に、太古の賢者の如く鎮座している。
「石焼き釜、カナダのうちにはないよね?」
「ええ、今の家には。ずっと昔、フランスさんと住んでた頃にはあった気もするけど‥‥」
『父親』と過ごした幼かった頃を思い出しているのか、ふんわりと笑って言うカナダに、イタリアも笑みを返したものだ。
「そっかぁ、フランス兄ちゃんのごはんも美味しいよね!」
「はい、とっても」
「でも俺んちのごはんだって負けないからねー」
「あっ、それはその、勿論!あの、どっちがどうって言ってるわけじゃなくって、」
「あはは、わかってるよ、大丈夫」
較べてしまったとでも思ったのか、大きな瞳を瞬いておろおろと言い募るカナダが抱き締めたいほど可愛くて、イタリアはそわそわと身体を揺らしながら話す。抱き締めたいけれど、それは先ほど止められたばかりだ。それにもう僅かもない間に、ピッツァが焼きあがる。
恋人を全身で可愛がりたい内心を綺麗に隠し朗らかに言ってのけたイタリアに、誤解されなかったと安堵したのかほっとひとつ息をついたカナダが、静かにピッツァを焼き上げていく石釜へと視線を向ける。
鉄製の扉のため当たり前ながら内側を窺うことは出来ない。だが、まるでその内側にあるイタリア特製ピッツァが見えているかのようにきらきらとした待ち遠しげな瞳は、本日の料理人であるイタリアにとっては歌いだしたいくらいに嬉しいものだ。
「ピッツァかぁ。私、自分では作ったことないんですけど、なにかコツとかあるんですか?」
石釜かなぁ、あ、材料かも。水加減?トマトは、おうちの畑で作れるかなぁ‥‥。
ふわり、ほろり。おっとりと甘い呟きが、焼きあがっていくピッツァの香ばしい匂いと混ざり合い、厨房とイタリアの心をよりいっそう温かなもので満たしていく。
「うーんと、そうだなぁ手早く作ることかな?生地は触りすぎるとだれちゃうから」
「手早く、ですか」
「うん。本職のピッツァ職人なんかになると、まとめた生地を広げて具材乗せて釜に入れるまで数十秒っていうよ」
「わぁ‥‥」
そう応えたものの、イタリアはピッツァ職人ではないし、この石焼き釜を自宅に据えた兄と比較しても実のところピッツァ作りが飛び抜けて巧いわけではない。今日はカナダに見せて楽しませる、という点に重きを置いたのであの作り方をしたが、普段はめんぼうで伸して作ったりピッツェリアで食べたり買って帰るほうが多いくらいだ。
とはいえ、そこは伊達に長く生きているわけではないので、多くのピッツァ職人と交流してきた経験から、ピッツァの美味しい作り方は心得ているわけで。少し恋人にしたり顔で気取って見せる程度の回答は出来るのである。
‥‥それにとっておきの、世界で一番のピッツァを焼く方法も知っているから。
凄いなぁ、と感嘆のため息をつきながら恋人の言葉を聴くカナダに、イタリアは内心でひっそりと笑うと、そのとっておきを披露するべく口を開いた。
「あとはね、カナダだと思うこと」
「‥‥はい?」
イタリアの言葉に、カナダが綺麗な青灰の瞳を瞬く。
なるほど、確かにイタリアの言葉は、カナダにはさっぱり意味が解らないことだろう。
何故といって、其れはイタリア自身の為の、世界で一番のピッツァを焼くための、特別レシピだから。
「イタリアさん?」
ほんの少しだけイタリアより低い位置からの、裏表のない素直な視線。
女性らしい優美な曲線で構成された身体が、素直で一途に向けられる胸が痛くなるほどに愛しい心が、想いが。イタリアをこれほど絡めとっているのを、きっと彼女は知らない。
石釜の中のピッツァはもうあと数分もないうちに食べ頃に焼きあがる。
だから、ほんの数分、数十秒。ピッツァを美味しく作り上げるために使う、一瞬が全ての時間のうちに、想いを告げてしまわなければ。
世界で一番の、彼女に。
「ピッツァ生地はね、いきものだから。小麦と水と神様の愛で出来たいきものだから、恋人を扱うように愛情を込めないと、機嫌を損ねちゃうからね。‥‥そして、愛情を込めれば込めるだけ、美味しくなって、応えてくれるんだよ」
そうでしょう?‥‥そうして、君は俺の愛情に、応えてくれたでしょう?
ふわり、と。
まるでピッツァの上で世界で一番美味しそうに横たわっているトマトのように顔を赤くした恋人が、ばかぁ、と小さく呟くのにイタリアはアドリアに輝く太陽のように笑った。
「さぁ、焼きあがったよー!」
てきぱきとした動作で釜の鉄扉を開ければ、辺りを満たす香ばしい幸せの匂いがたちまち恋人達の頬を緩ませる。
焦げ目のついた白いチーズと焼き上がった真っ赤なトマト、そしてバジルの爽やかな緑は、イタリア伝統のレシピだ。
「わぁ、美味しそう!」
「ピッツァは焼きたてがいいよねー、うん、今日もいい出来だよ!」
神様がめぐり合わせてくれた小麦とトマトとチーズの食べ物は、作り手の心を一緒に焼き上げて美味しくなっていく。
「カナダーカナダー、もう料理も終わったしエプロンも取ったから、ハグして、ハグ!キス!」
「もう、甘えたさんなんだから」
「えへへぇ、‥‥いっぱいハグしてキスしてピッツァ食べてから、シェスタとエッチなことしようね?」
「‥‥甘えっこ。」
抱き締める、柔らかな身体と素直な心は甘くて香ばしい匂い。
彼女がピッツァを焼いたなら、きっとカナダそのままにどこか甘くて柔らかい、優しい味になるのだろう。
そしてそれはイタリアにとって、世界で一番美味しいピッツァなのだ。
Buon appetito!
end.(2010.12.11)
「っつかお前、pizza Margherita(ピッツァ・マルゲリータ)って俺んちのレシピじゃねぇかコノヤロー」
「えええ?いいじゃん兄ちゃんだって Cotoletta alla milanese(ミラノ風カツレツ)とか Bistecca alla fiorentina(フィレンツェ風ステーキ)とか
女の子に食べさせたげるってナンパしてるじゃん!北部と中部!」
「‥‥『お前の名前冠したピッツァ焼いてやろうか?』ってカナダ口説かれたいのか」
「もースペイン兄ちゃんにいいつけるよー?チュロスいろんなとこに突っ込まれても知らないんだから」