「おや、まあ」

晴れ渡る初夏の青空の下に立ち、待つこと暫し。
素朴で牧歌的な木製のドアの向こう、次第に音量を増すおっとりとした足音の、最後。いっそ何か仕掛けでもあるのではと思うくらい(そう、例えば彼の『母親』お得意の魔法とか!)、この屋敷の主だけがたてる事の出来る妙にほんわかした開扉音と、ほぼ同時。零した声に、苦笑された。
するりと合わせた視線の先、薄いグラス越しに青灰の瞳がまたたく。一度、二度。終始おっとりとした挙措は文字どおりのカナディアンタイムで、けれど其れに慣れてしまっている此方もまた、くすぐったい、なんて。

「フランスさん、こんにちは」
「ボンジュー可愛い子猫ちゃん。お前のお兄さんが来ましたよ!‥‥って、本当に可愛くなっちゃってまぁ」
「はは‥‥」

どうしちゃったの。という問いは、本当のところ理由を知っているから殆ど意味のないもので、それをお互いに解っているからの苦笑と、無回答。 開いた扉からおっとりとした動作で身体を横へ引き、柔く笑んだ青灰と身振りで招き入れられた後、フランスは両腕に提げたマルシェ籠もそのまま、両脇から身体を抱くように両頬へとくちづける。髪に顔を埋めるようにしてスン、とひとつ鼻を鳴らせば甘く芳しい匂い。フランスは、口の端だけで笑う。
その拍子たっぷりと食材の詰め込まれた籠が軽くぶつかって、ゆっくりとした速度で閉じかけていた内開き扉の最後の一押しをした。

「買い物、一度家に寄った後からなら僕も荷物持ち出来たのに」
「なに言ってるの。今日のごはんはお前の為の晩餐なんだから、こんなのお兄さんに甘えてていいんですー」
「でもフランスさん、腕ぷるぷるしてますよ?」
「‥‥落としちゃう前にキッチンに置いてきていい?」

腕の中に抱き込んで交わす言葉は吐息めいた密やかさで、お互いのお気に入りだ。
密度が高い恋人距離は、普段どうやっても遠く離れた地に住んでいるぶん愛しく、離れがたい。
と、言いつつも街のマーケットで仕入れてきた新鮮な肉やチーズや野菜について、フランスはその鮮度に必要とされる適正な温度環境を、カナダはその食材が美味しく生まれ変わった未来予想図を思って、出迎えの抱擁はわりとあっさりと解かれたのだけれど。
それもまた、自分達らしいといえば、そうなのだろう。

「街の様子、どうでした?」
「あれ、遊びに出てないの?今年もずいぶん賑わってたよ。セールもいろんな場所でやってたね。あと、飾り付けが結構」
「ふふ。今年は少し華やかにしましょうって、上司が」

するりと片手ぶんの籠を攫っていったカナダの横を歩きつつ、フランスは空いたその手でふわふわ揺れるメイプルシュガーカラーの髪を手櫛で梳いてみた。

「うわぁ、本当にさらッさらじゃないの」
「あっ、ちょっとフランスさんかき混ぜないでくださいってば、絡まる!」
「だーいじょうぶだって、これだけサラサラなら」

言いながらカナダの歩行の邪魔にならない軽さで糖蜜色の髪を梳く。
カナダの髪は『父親』であるフランスに似たらしい、柔らかく毛先が巻いたねこ毛だ。庇護下に置いていた子どもの頃はそれこそ自分と瓜二つの其れだったが、一度手離し再び会えた時には、髪質はそのままに、色合いが少し変わっていた。この地に馴染み深い優しいメイプルシュガーカラーは、宗主国が変わったからというより、彼が『カナダ』になったから、なのだろう。‥‥柔らかなねこっ毛をカナダが持ち続けてくれたことに、複雑な多幸感を持っていることは、秘密だ。
独占欲、巡る血の記憶、手離した手の小ささ、忘れられなかったことへの、安堵? いくつもの感情が入り混じって、この髪に触れるたびフランスは不思議な思いに胸を締め付けられる。決して、言わないけれど。
柔い髪は、するすると指の間を滑って落ちる。
根元に指を差し入れて毛先へと流し梳くが、見事なほどに絡まらない。それこそ玄関を開けて見た瞬間に解る、プロフェッショナルによる手入れだった。
優しく淡いシュガーカラーと相まって、採光窓から差し込む昼の光を吸い込みまるで木漏れ日のような仄かな明色。緩やかに巻いた毛先は自然なのにどこか統一性を持ってカールし、全体的にこざっぱりしたところをみると、鋏も入れられたらしい。くるんとひとつ飛び出た毛は、いつもどおりだったけれど。
フランスは最後にぽすぽす、とその頭全体を撫でるように叩いてから感嘆の息を落として、手を離したものだ。

「ずいぶんと念入りに手入れされたもんだな。誰が?」
「上司の奥さんとか、今いる職場の女の人達に。なんか、いろんなお店を連れまわされました、3日くらいかけて」
「3日!そりゃまた随分な」
「服も一緒に調えてもらったから、セミオーダーで。晩餐用と、式典用」
「あー‥‥」

東洋の島国宜しく、曖昧な相づちめいた言葉に微苦笑がまざってしまったのは許してもらいたい、とフランスは思う。
ほてほてとキッチンへ歩きながら、はふ、とつかれた此方もまた、微妙に笑みを含んだため息だ。

「髪を切るくらいなら僕にだってわかりますけど、肘とか指先とか?よくわかんないお手入れいっぱいされました。顔とか首をごりごり擦られたりとか」
「ああ、ピーリングか何かかな。どれ‥‥あ、本当だ爪が綺麗になってるな」
「すべすべしてるんですけど、これって何か塗られてるんですか?」
「じゃなくて、磨いてあるんだよ。軽く表面を研磨してるんだ。ほっとけばそのうち元に戻るさ。カナが継続して手入れしたいのなら、道具一式あげようか?」
「はぁ、いえ、いいです‥‥。服だってとっかえ引っ換え着せ替えさせられたし。なんていうか、精米所のお米になった気分でした」
「ぶはっ。そ、そうだな確かに、磨き抜かれたって感じだ!」

カナダの珍妙だが実に的を得た例えに思わず噴き出しながら、たどり着いたキッチンのテーブルに籠を置く。どす。と実に色気はないが食い気はそそる、食材の重みが更に笑いを増幅させ、カーテンのない窓から入るたっぷりとした初夏の陽光に温められたキッチンにフランスの笑い声がこだました。

「もう、笑い事じゃなかったんですってば!すっごく大変で!」
「ごめんって。うん、お米ね、お米‥‥くくっ」

尚も忍び笑うフランスを、こちらも食材たっぷりの籠を置いたカナダがぷっと頬を膨らませて睨めつけてくる。とはいえ、その青灰色の瞳にもまた笑みが含まれているのだから、ある種の予定調和のようなものだ。
ちゅっと音を立てるお菓子のようなキスを尚も何か言い募ろうとする唇の端に落とせば、カナダは、むぅ、と子どものように口を尖らせたあとで陸続きの兄弟の其れ宜しく、大きく肩をすくめた。

「なんだ、だから街のほうに出てないんだ?てっきり仕事や式典の準備が‥‥ああ、服や手入れも準備のひとつか」
「うう、いつもならセールでいっぱいメイプルシロップ買いだめしてるのになぁ‥‥」
「はいはい、お兄さんが何本か買っといてあげたから。腕ぷるぷるさせつつ」
「やったぁ!ありがとうございます!」

さっそく、とばかりにマルシェ籠を開ける背中は見慣れた無邪気なもので、フランスは尚も笑みの名残を口の端に刻みながら、「精米所のお米のように」磨かれた恋人をじっくりと眺めることにした。
おっとりと動く後ろ姿の、全体のフォルムというか、スタイルは変わっていないことに先ず安堵する。最近の世界はどこかしら疲れて、身体や体調に影響の出ている国も少なくないのだ。その点カナダはアメリカの不況の影響を受けつつも安定している、と言える。
前回会ったのは4週間ほど前の、欧州は自国の会議場であったが、国体が安定しているといえば聞こえのよい、いつもながらの薄さというかアクのなさで、気が付けば帰国されていたのだ。開催国たるフランスが地域共同体の体制不安から少々張り詰めていたこともあって、個人的な時間を考える暇がなかった。一頻り後始末がついたところでハッと気が付き、愛の国には情けない失態に慌てて大洋を越える電話をしたものだが、いつもながらのおっとりした声で『来月、前日に。』と言われただけで、そうして今。

「あああ、4週間ぶりのカナダだよー。給カナダ中ー‥‥」
「え、ちょっとフランスさん邪魔。まぁいいや、そのまま手伸ばしてフリーザー開けてください」
「‥‥Oui.」

いやいや、お前のそういうちょっとドライなところもお兄さん大好きですよ好みですよ!と、一体誰に対するものやら自身にもわからない弁明を内心で展開しつつ、フランスはぴとりと張り付いた背中から肩越しに腕を伸ばして一人暮らしには随分と立派な大容量フリーザーを開けてやった。

「‥‥カナダさん?この大量のアイスは‥‥」
「今年のアメリカからのプレゼントです!」
「ああ、そう‥‥」

‥‥まぁ、どうせ半分以上は贈り主の胃に収まる事になるのだろうから、よしとしよう。なんて。
抱いた腰の好みどおりの細さをひっそり確かめつつ、みっしりと詰め込まれたバケツアイスの妙な迫力に押されるようにフランスは視線を逸らし、自らが買ってきたフリージングが必要な食材を白い指がおっとりと仕舞っていくのを眺めたものだ。
極北の地を抱える手は白く、フランスのそれよりも既に大きい。少年期を脱したばかりの青年らしい滑らかさと筋っぽさを無理なく併せ持った指先が丹念に磨かれ整えられている姿は、一種名状し難い色がある。
無論、そこに色気を感じるのは自分がこの腕の中の相手と肌を合わせる関係にあるから、というのが大半だろうが、それを抜きにしても彼の「磨かれた」姿は、目を引いた。

国民が『国』を構うのは、一種の本能のようなものだとフランスは考えている。何故なら自分たちは国民の総意であり、一人一人であり、全てであるからだ。
とはいえ、国政や国体が乱れればその限りではない。
相次ぐ内乱や貧困や政治腐敗に、母国を捨てるという選択を取る人間は少なくないのだ。愛ゆえか、或いは絶望や憎悪によるものかの差はあるだろうが、国を捨てる人間がいれば、その『国』に影響する。
そういう意味では、今回のカナダのように構われて構われて構われ尽くした結果のような姿は、実に微笑ましい。息をするようにに愛され、慈しまれているのだと、語っているようなものだ。今回はそれが容姿の手入れになっただけで。

「普段のほんわかもいいけどねぇ‥‥」
「え?  ああ、例年ならわりとほんわかっていうか、ほったらかされてるんですけど。今年はね」

雰囲気と容姿についての言及を、過去のこの日における自分の扱いについてと受け取ったカナダが、笑って応じる。フランスも敢えて訂正はせず、うん、と軽い相づちをうつに留めた。

今年は、幸せなゲストが彼の祝いにやって来る。

連邦という、今となってはごく緩やかな繋がりでしかないが、名目上は上司にもあたる相手。
慶事というのは、殆ど無条件で温かな気持ちにさせられるものだ。全世界に中継されたヴァージンロードは誰の記憶にも新しく、今回の訪問が彼ら新婚夫妻の公式な外遊先第一国というのもこの北米の国内では随分と歓迎され、国民のみならず上司とその周囲の気分もまた大いに盛り上がっているのだと、フランスはすでに聞き及んでいた。
だからこそ、例年であれば少し式典に顔を出したくらいで後は街の催しやパレードを国民に混じって楽しんだり、気安い友好国達を招いて食事をしたりとまるきり市井のひとのような誕生日を過ごすカナダが、こうして周囲の手で「磨かれ」て、明日に備えているのだ。

「式典と、晩餐かぁ。やっぱり一日がかりだね」
「はい。フランスさんは式典に?」
「お前が列席するって言うしね、少しだけ。終わったら一足先に帰って料理の支度するから、明日は車借りてくね」
「はぁい。あ、キーは玄関に掛けてるキーホルダーに入ってますから、外していって」
「ん、わかった」

おっとりとした動作で食材を片付けるカナダの動きを制限しないよう、けれど離すことはなくやんわりと背後から抱いたまま、会話する。
スンと鼻を利かせれば薫り立つ、甘い匂い。

「誕生日、か」

カナダデー。カナダの、誕生日。

自分達にとって『誕生日』という記念日は、必ずしも幸せなものばかりではないことが多い。血と命に塗れた体制の変革闘争、或いは支配国の頚木から開放される為の独立戦争。血と怨嗟に塗れたその中にあって、『カナダ』は比較的多くの国民や国々に純粋に祝福される誕生日らしい誕生日、といっても良いだろう。
強国の支配下にあり、緩やかな連邦の枠内を外すことなく、幾千の日々と幾万の言葉を尽くした末に果たした、独立。‥‥隣国の其れとの落差を史学者は時に指摘し比較するけれど、それは全て、彼ら自身が悩み、惑い、歯を食いしばって選び取った道だ。どちらも、苦しかった。
誰もが、苦しかった。









誰よりも愛した腕を振り払い、立ち尽くす姿を見た。
決して撃てない銃を手に、狂うほどに泣き蹲る姿を見た。
蹲る『兄』に寄り添い、立ち尽くす『兄弟』と決別する姿を、見た。

微笑み見守る兄の膝に抱かれ、小さな身体を二つ寄り添い眠っていた、過ぎ去った幸せの日。

遥かな、というにはまだ足りない、雨の日の記憶。

‥‥ああ、けれど。









「あのね、フランスさん」
「なぁに?」

おっとりとした静かな声に、フランスもまた静かに声を返す。
自らが与えた、幼い頃から変わらない柔らかな髪が頬をくすぐる。すり、と擦り寄るように鼻先を埋めれば、いつものメイプルシロップの甘い匂いに加えて、仄かな、薔薇の芳しい香り。

‥‥玄関を開けた瞬間に気が付いていた。それはきっと、海向こうの『兄』の、精一杯の。

「いろんなお店を連れまわされながらね、僕、たくさんの人に笑顔を貰ったんです」
「そう」
「アメリカも、アイスいっぱいくれて」
「そう」
「‥‥イギリスさんが。薔薇を、贈ってくれて」
「‥‥‥‥そう」
「それから、貴方がいて」

静かな声で言葉を紡ぎながら、白い指先がたっぷりの食材を仕舞っていく。
それらは今夜のカナダの為の、誕生日イブ用の豪勢な食事の材料であり、明日、彼が国民や王族との祝賀を終えて帰宅後の、親しい国達との誕生パーティの為の食材だ。
国民の笑顔、フリーザーに詰め込まれた甘いアイス、贈り主手ずから世話をし、育てた美しい薔薇。
それら全て、彼の誕生を、幸せを。皆が、祝う為。
腕の中の彼が振り向く。青灰色の瞳が、ゆっくりとまたたいて、そして。




「僕、アメリカの兄弟で、イギリスさんの弟で、貴方の、恋人で。‥‥『カナダ』で。幸せです」




丁寧に手入れされたシュガーカラーの髪を梳く。
すっかりと大きくなった身体はけれど昔と変わらないぬくもりのまま、フランスの腕の中にある。幸せだと言う、その言葉ごと、抱き締める。
‥‥ああ、そうだよ、お前は皆に愛されているんだ。
辛かったね、苦しかったね。けれど、忘れることは、なかったんだね。

「お前は、強い、いい子だね」
「うーん、なんだかそれ、子どもみたいな言い方‥‥ン、ぅ」
「子どもには、こんなこと出来ない、なぁ」
「‥‥ばか」

腕の中の優しく強い恋人にキスの雨を降らせれば、くすぐったげに笑いながら身動ぎして、身体を凭せ掛けてくる。甘いメイプルシロップの匂いと、今は薔薇の香りを仄かにさせる体を抱きしめて、フランスもまた笑った。
優しい国民達から笑顔を貰い、兄弟からはアイスを、兄からは薔薇を。‥‥ならば自分が贈るものは、もう決まっている。

「カナダ」
「はい」

呼べば返される言葉と視線に、ありったけの愛を、贈る。

「誕生日おめでとう。カナダ。強く賢い、優しい子。お前の一年が素晴らしいものであるように。愛してるよ」
「‥‥ありがとう」

明日は式典だ晩餐会だと忙しく、家に帰れば親しい者達とのパーティ。
今日も、今夜の二人だけの晩餐のために忙しく料理の下拵えをしなければならないのだけれど、その前に。

「‥‥ね、ごはんの前に、ちょっとだけ。ね?」
「‥‥食材全部、片付け終わったら」

国民に愛された、サラサラになった髪も綺麗に手入れされた指先も、それはそれで新鮮でいいけれど。
甘えた誘いにふい、と顔を逸らして耳の先を赤くする、ほんわかとした遥か昔から変わらない仕草に、フランスは少しだけ笑ってから、テーブルの上の食材を手早く収めにかかったものだ。

「さぁカナ、お兄さんがたーっぷり幸せにしてあげるよぉ?ハァハァ!」
「‥‥今だって十分幸せですよ、もう」
「もっとだよ、もーっと」




そうだよ、もっともっと、幸せになればいい。
幸せに、出来ればいい。
多くの優しい愛に包まれ笑う恋人を抱きながら、フランスは強く強く、祈るように、誓うように。思い、目を閉じた。









la fin.(2011.07.03)

愛される為に生まれてきたの