『ドイツに本社をおく自動車ブランドはこの度、ミニ、二輪を含む全車種に「天候対応型自動洗浄装置」を実装すると発表した。
外装に搭載された降雨感知システム(国際特許出願)により降雨時において装置内からの発泡性洗浄液を射出し、雨水を利用して走行中の快適な自動洗浄を可能とした画期的システムである。』
「‥‥‥‥‥‥ほほう。これはまた‥‥」
丁寧に切り分けたクーヘンを、やや小振りな皿に丁寧に盛り付ける。
自分を尺度とすれば些か小さ過ぎるほどに小さく作り、かつ小さく切り分けたクーヘンだが、提供する相手の体格を鑑みればこれくらいでちょうどいい。実際、彼の国で幾度か饗された菓子類はどれもこれも小さく繊細で、且つ大変に美味だった。
もっともその菓子が真実美味かったのかは、実のところ判断がつかないでいたりする。
その菓子を用意し、穏やかな笑みと落ち着いた声の会話でもって持て成してくれたのが、日本、だったからこそ美味かったのではないのかと、考えているからだ。
「その、朝焼いたものだ。食べるといい。コーヒーも」
「‥‥‥‥あ、はい」
お気遣いありがとうございます、と。
テーブルに皿を置いたのに合わせてほんの少し下げられた頭は、東洋人特有の絹のような黒髪をさらさらと揺らした。しっとりと落ち着いた声は、あの美味な菓子を饗してくれたときと寸分変わらぬものだった。
だがしかし、どこかぎこちなくか細く聴こえたのは、気のせいではないだろう。
明らかに、落ち込んでいる。
というか、落胆している。もの凄く。
‥‥ああ、一体どうすれば!
「あー、その、済まなかったな、ちょっとした冗談のつもりだったんだが」
「‥‥いいえ。他愛のない素敵な冗句を真に受けた私こそ、野暮でした」
エイプリルフールなのを、すっかりと忘れておりました、と。
菓子と茶を用意し終わり隣に座った俺へと横目に視線を一つ、言いながら苦笑した後、ほ、と一つため息をついてクーヘンに添えた銀器を取り上げたものだ。
膝上に抱いていた、車一台ぶんの代金が詰められたアタッシェケースを傍らに下ろして。
4月1日。万愚節に国内の自動車メーカーがジョークCMを流したところ、目を見たことも無いほどに輝かせた遥か東方の住人が、代金片手にやって来た。
「ああ、素晴らしい機能ですね!うちの皆さんの作られる車もとても素晴らしいのですが、今回のドイツさんのお宅の新車種新機能については真に斬新で‥‥!是非とも私個人として手に入れたく、参上致しました」
そういえば、このにっこりと笑う小柄な恋人は、世界に冠たる自動車のトップブランドを数多く抱えた、新技術が大好きな国だった。
普段から感情の抑揚の少ない人にしては珍しいほどにはしゃいだ様子の日本を、とりあえずと招き入れた自宅の応接室。純粋に、この上も無く楽しげに新車を楽しみにしている恋人へと真相を明かさざるを得なかった俺のいたたまれなさを、どうか察して欲しい。
ああ、そうだ。本来ならばこれは、この状況はまさしく「してやったり」という状況なのだろう。
実際この嘘に騙されたのは日本だけではない。この秀逸なジョークを繰り出した企業本社やディーラーでは、実際に購入したい旨を告げる電話が鳴り響いているらしい。しかも発信先は国内外を問わないというのだから、実に完成度の高い嘘といっていい。
普段の自分であれば、企業としての信憑性がどうの、企業倫理が云々と、思ったことだろう。
だがしかし今日は4月1日。エイプリルフール。
万民そうじて愚かなり、全力でついた嘘が、全力で誰かを躍らせて、少しだけ笑いあう。
‥‥筈、なのだが。
「本当に、すまない」
「ああ、いいえ。そんなに謝らないでくださいな。‥‥ええ、年甲斐も無く騙された爺が悪いのです。ふふ、まったく2600年近く生きているというのに冗句も解せない私ときたら。愚かと申しますか、野暮な始末でみっともないお姿をおみせしました。ごめんなさい、ドイツさん」
「む、いや、そんなことは‥‥、」
苦笑しつつクーヘンを口にする日本を前に、俺は言葉の接ぎ穂に困って黙り込んだ。
優雅な所作で銀器を扱う日本は、気持ちの切り替えが済んだのか真相を告げたときの驚きと落胆から既に脱し、普段どおりのやわやわと抑揚のない喋りと曖昧な微笑で、自分の隣りに収まっている。
新技術や機械が大好きな彼のことだ、相当期待しての渡航だったろうに、今はすっかりと気を取り直して「美味しいですね、クーヘン」などと、居心地悪そうにする此方に気を配ってくれてさえいる。
例えば、これが西の隣国であったなら。
揶揄から愛の告白までこなす、滑らか過ぎて時折引っこ抜きたくなる舌と言葉でもって、もっと気の利いた嘘の種明かしなり何なり、巧く彼の気分を浮上させたことだろう。
或いは、その西の隣国の海峡向こうの島国。
日本は大概アイツのことが気に入っていて、きっとこのニュースが彼の国発信であって国に行くなり嘘だと明かされようとも、『自分の嘘を信じた友人たる日本』の存在に紅茶など振舞いつつおろおろとする姿を見るだけで、素晴らしい笑顔で「ご馳走様です」とでも口走りそうだ。
イタリアであれば大きく笑って「美味しいピッツェリアに連れてってあげるから許してよー」とでもいうだろうし、アメリカならば「うん?よし日本、それじゃ一緒に本当に開発しようよ!反対意見は認めないぞ!」などといって日本を困らせて、気を紛らわせるくらいはしそうだ。
翻って、俺ときたら。
‥‥いや。口下手だの何だのなど、それは言い訳に過ぎない。
悪気は無かったとはいえ、というか騙せたのは成功とはいえ!
まさか遥か東方まで、巡り巡って恋人を騙すことになろうとは!
高度情報化社会とは恐ろしいものだな‥‥。いやいや、こんなことを考えている場合ではない!
「その、日本」
「はい、なんでしょう?」
クーヘンを載せた皿を片手に、先ほどまでとは較べて段違いに機嫌の良くなっているように見える(‥‥そんなにクーヘンが美味かったのだろうか。よし、帰りには包んで渡そう)日本が、呼びかけにこたえて小首を傾げ、俺のほうを向いてくれた。‥‥問答無用で可愛らしい仕草だ。出来れば俺以外の相手には見せないで欲しいものなのだが、なにせ居住地域が違いすぎる。
過ぎる、のだが。
「‥‥その、‥‥あれだ、車が汚れたなら、俺を呼べばよかろう」
「は?」
常日頃から感情曲線がフラット気味な恋人が、珍しく見たままに驚いている。
綺麗な黒瞳を此方に向けて瞬きをしながら、手にはクーヘンを載せた皿と少し齧ったクーヘンが刺さった銀器という、至極珍しい、若干間の抜けたポーズ。
‥‥ああ、そうだ。遠方に住んでいる俺達は、こんな些細な遣り取りさえ普段はなかなか交わせないのだ、と。不意に思った。
高度情報化社会。そうとも、今は電話もメールもある。リアルタイムの画像を送信でき、ウェブカメラを使えば顔を見ながら話すことさえ出来る。他愛もないジョークは一日と待たず地球を5分の2周して届いてしまう、そんな世界。
けれど、こうして姿を、熱や匂いを伴った実体を、ソファが沈み込む重みも、クーヘンが美味しいと笑って皿を抱えたまま固まったりするのも、会わなければ出来ないことなんだ。
ただ、会いたかったんだ。
他愛のない嘘で、恋人を騙してでも。
「洗車機能が欲しかったのだろう?ならば俺を呼べばいい」
「え、え?いや、あの」
「自動感知システムは無いからな、お前からの連絡が必要だが」
「えーと、ドイツさん?」
「よし、うちで開発した洗剤を持参しよう、環境に配慮した非界面活性剤でだな、オレンジオイルを配合した優れものがあるんだ。‥‥む、そうだなとりあえず一度俺の洗車技術をみておくか?日本も心配だろう愛車を洗わせるのだから」
呆気にとられているのか、普段より若干驚いた風な恋人が此方を見上げているのに頷き、掠めるだけのくちづけをしてから立ち上がる。その拍子、小さな手からクーヘンの乗った皿と銀器をそっと取り上げて机に戻し、空に浮いた小さな手を一瞬握ってから、そっとその膝の上に直してやる。
‥‥よし、たしか今車庫には先日イタリアに貸したせいで酷使された(アイツの運転はあの性格と欠片も見合っていない点がどうにかならないものだろうか‥‥)ワーゲンが入っている筈だ。洗車がてら整備して、‥‥日本を連れて少しドライブにでも出かけようか。
せっかく、遠方住まいの恋人が、俺の家を訪れてくれたのだし。
自動洗車機能つきの車の代わり、美しい我が祖国の風景を提供しよう。
目を輝かせて喜んでくれたらいい。心の洗濯にはなるだろうから。
「よし。日本、俺は洗車の準備をしてくる。少ししてから車庫前に来てくれ。場所は‥‥ああ、兄貴に案内させよう。‥‥兄さん!兄さんちょっと来てくれ!」
「んぁ?‥‥ぁんだよ、呼んだかーヴェスト」
扉のないドアの向こうから、呼び声に応えて姿を見せてくれた兄とその頭上の小鳥に日本の案内を頼み、俺の声に反応したらしきアスターとベルリッツの頭を軽くなでてから、俺は洗車に見合った服装に着替えるべく、私室へと足を向けた。
「‥‥えええええ、な、ちょっ、何なんでしょうかもうあの人ほんとう可愛い‥‥!」
「『エイプリルフールの嘘に騙された』という嘘」をつきに遠路はるばる迫真の演技つきでやって来た恋人が、座っていたソファの座面をぱすぱすと叩いた挙句、普段にない主の恋人の姿を不思議に思って近づいた犬達を抱き締めながら悶えていたという件については、だ。
以来数回恋人の愛車を洗う為に渡日して、ドライブをしたり食事を振舞われたり肌を合わせたりといったことを若干浮かれて繰り返した後、今日も今日とて恋人に贈る小さめのクーヘンを焼いていた俺に、微妙な笑みを浮かべた兄が教えてくれた事だった。
まぁ、何を言われたところで翌日の渡日予定は、変わらないわけだが。
「それでは兄さん、あとは頼んだ」
「おう。ケッ、せいぜい恋人の為にキリキリ働いてきやがれ」
「了解した」
さぁ、手荷物の中には小さなクーヘンと洗剤と、可愛い嘘つきの恋人への愛だけ詰めて、会いに行こう。
the end.(2010.04.03)
おじいちゃんが途中ケーキ食べつつ機嫌よくなってるのは
どいちゅが首尾よく騙されたからです(・∀・)
あと冒頭の嘘記事は結構前にBMW(ドイツ)がエイプリルフールに本当に発表した嘘がモトネタになっています