イギリスは意気揚々たる足取りで自宅へ続く道を歩いていた。

今年もまた、海向こうの元弟を心行くまで泣かせることができた。
去年こそ思わぬ不覚を取ってしまった自分だが、ちょっと本気になればあの子どもを泣かせることなど造作もないことなのだ。嘗ての大英帝国を舐めるな。
体調も好いし、ああまったく今日は実に良い日だ!

「ああ、お菓子はうちについてからな」

ふわふわと彼の帰国を知った妖精たちが纏わりついてくるのを優しい言葉でいなしながら、歩く足取りは軽やかそのものだ。
正装にマント、手には魔術書を持ち、周囲には仄かにまたたく人外が取り巻く彼を、英国民は驚きもせずにすれ違う。時折駆け寄ってくる子ども達(おそらく早く菓子が欲しくて擬態した妖精たちもいただろう。可愛いものだ)に、アメリカで買ってきた菓子を手にしたバスケットから取り出して渡しながら、イギリスは自邸の門扉へとたどり着いた。彼が手を触れる前に開けてくれた家守りの精霊に古い言葉で礼をいいつつ、そのまま開けておくように頼む。今日はハロウィンだ、近所の子ども達もやってくるだろう。
そして敷地内へと足を踏み入れると同時、屋敷に張り巡らせた結界に触れた優しい感触に、イギリスは口の端だけで笑った。
兼ねてから『今日そちらへ行きますから』と宣言されていたものの、それでもその存在を実感できれば、喜びはまた新たになるというもの。
お菓子の詰まったバスケットを、妖精たちが棲むコティジガーデンへと続く薔薇のアーチへと引っ掛けてから、玄関へ。

「カナダ?」
「あ、おかえりなさい、イギリスさん」

リビングのソファへと腰掛けて本を読んでいた恋人へと歩み寄り、腰をかがめてふっくらした頬へと触れるだけの挨拶のキスをする。それにくすぐったそうに笑ったカナダが本を閉じてテーブルに置くのを見届けてから、今度は目を合わせて、恋人のキスだ。

「‥‥ン、ぅ」
「‥‥‥‥お前、口ン中甘いな。菓子でも食ってたのか?」
「え、ああ、ここ来る前にフランスさんに会ったとき、ショコラ貰ってきたんです。美味しかったですよ」

残念ながらイギリスさんが帰ってくる前に全部食べちゃいましたけど。
そう言って悪戯げに笑う恋人に、イギリスは肩をすくめてから最後に白い額にキスをひとつ落として、彼の隣りへと身体を投げるようにして腰掛けた。大きく息をつく。ちらりと視線だけで隣りを見遣れば、カナダは大きく身体を反らせて伸びをしていた。結構長い時間、待たせてしまったのかもしれない。

「で?今年の首尾はどうだったんですか、って訊くまでもないですねその笑顔」
「ハッ、あのメタボごときに負ける俺じゃねーっての。大体アイツの仕掛けと来たら‥‥」

去年は完膚なきまでに負けたことを綺麗になかったことにして傲然と言い放つイギリスに、恋人はこっそりと苦笑したようだが、そこはスルーする。‥‥去年のアレは、ちょっとしたミスだ、ミス。日本をブレーンにつけるとか卑怯だろ!
そんな去年の話はともかくとして、一頻り今年のアメリカの負けっぷりを話した後、イギリスはようやっと恋人に茶も出していないことに気がついた。先に彼のほうが屋敷に来ていたとはいえ、持て成し好きの英国人にあるまじき失態だ。
イギリスは内心慌てつつ、けれど態度だけは優雅に見えるよう立ち上がると、仮装と召喚に用いた術士用のマントや軽い仮装を解き、キッチンへと向かうことにした。
ソファに掛けたままのカナダが、マントやボウタイを解いていくイギリスを見つめている。

「イギリスさん、お菓子は持ってないんですか?」
「ああ、玄関に置いてきた」
「ふぅん」
「なんだ、お前も欲しかったか?」
「いりません」

マントや小物類を向かいのソファに投げ置いてキッチンに向かう。
暇だったのか、後ろからカナダもついてきた。

「紅茶、何がいい?」
「イギリスさんのお奨めで」

今日の気分にあったティーセットを取り出し、慣れた手つきで紅茶を淹れる。なにか茶請けになりそうなものがないかと戸棚を見たのだが、あいにくここ数日ハロウィンの準備(というか、召喚)に追われて碌にキッチンに立つ事もなかったせいで、何も見当たらない。
先ほどまでお菓子の詰まったバスケットを思い出したが、あれはこれから来るだろう子どもらと、庭の妖精達のものだ。

「悪ぃな、何もつまめるものがねぇ。サンドウィッチでも作るか?」
「いえ、いいですよ。僕ショコラ食べたばっかりですし、結構量もあったし。おなかいっぱいです」
「お前なぁ‥‥。無理して食う必要ねーだろ。ていうか俺に残せよ」
「えー?」

ポットにコゼーを被せつつ、呆れたように振り返れば、妙に楽しげに笑うカナダと目が合って、にっこりと微笑まれた。今日のカナダは随分と機嫌が良いらしい。
砂時計をセットすれば、後は其れが時間を告げてくれるのを待つばかりだ。
ふと、沈黙が降りる。
キッチンに作りつけた窓からは、薔薇園に続く小さな庭の様子が見て取れる。外はこの国らしい薄曇、けれど冬前の鮮やかな緑に降る陽光は澄んで暖かだ。時折、お菓子を抱えた妖精が窓越しのイギリスに笑いかけてくる。何事か歌っているのかもしれない、菓子を饗した礼だろうか。
それに目線だけで挨拶をしながら、遠く通りから聞こえる、子ども達の声を聞いた。例の決まり文句だ。そのうち家にも来るだろう。妖精たちが菓子を全部持っていっていなければよいのだが。
軽やかな、子ども達の声。

「"Trick or treat."」

おっとりと甘い声での決まり文句が至近距離から聴こえて、イギリスは窓の外へと飛ばしていた視線と意識を、並んで立つ恋人へと向けた。

「カナダ?」
「‥‥外から聞こえたから」

決まり文句なんでしょう?そう言ってふわりと笑った彼に、イギリスは一瞬見惚れる。
面差しだけならば、今朝自らがたっぷりと脅かして泣かせてきた人物とそっくりと言ってもよいのに、こんな風に見惚れるのは、カナダだけだ。快活に笑い盛大に泣いて驚かされたことに心の底から悔しがる、元弟も可愛くはあるのだが、見惚れたことなどついぞない。不思議なものだとなんとなく思う。‥‥これが恋というものなのか、なんて。

「‥‥?イギリスさん、顔赤いですよ?」
「えっ、あ、いや、‥‥なんでもない、なんでもない」

きょとんとした顔でイギリスを見つめるカナダから顔を逸らし、意志の力で赤らみかけた頬の色を平静に保つ。‥‥恋だのなんだの、俺は思春期の乙女か。いや確かに彼と、恋を、しているのだけれど。

「イギリスさん」
「や、本当になんでもないから。ああ、決まり文句か‥‥。あれ、そういえば、お前は?」
「はい?」

不意に過ぎった考えに、イギリスは不明瞭な問いかけをする。
当然なんのことだか判らない、という顔をしたカナダがことんと首を傾げる。子どもめいた、どこか幼い仕草に僅かに苦笑しつつ、イギリスは言葉を継ぐ。

「お前は、ハロウィンのパレードとか参加しなくて良かったのか?去年は確か、アメリカやシーランドと遊びに行ってただろ」

去年は確か、イギリスを驚かすのに成功したアメリカが、ハイテンションなままカナダとシーランドを引っ張って街のパレードに参加していたはずだ。仮装もして、写真を見せてもらったこともある。楽しそうに、笑っていた。
言っているうちに詳細を思い出した。‥‥今年は、良かったのだろうか。
イギリスはカナダをざっと検分する。気に入りらしいパーカーにジーンズ、足元はバスケットシューズ。どこからどうみても、ごく普通の格好だ。
勿論、恋人である彼が自分のそばに居てくれるのは嬉しい限りなのだが、若者らしく賑やかに遊びに行くのをとめてまで自分のところへ来るように言うほど、偏狭ではない。
イギリスは妙に焦った気分になる。
おっとりとしたこの恋人を、自分だって楽しませてやりたいのだ。

「あ‥‥っと、どっか出かけるか?うちの国はそんな華やかなことはしねぇけど、街に出たら何かやってるだろうし、ああ、それに茶請けの菓子もないから、なにか買って‥‥」

言葉の続きは、ショコラ味の唇に吸い込まれた。

可愛らしい音をたてるキス、その間合いで覗き込んだ湖水色の瞳に、驚いた間抜けな自分の顔が映り込んでいる。一呼吸。それから、恋人のイタズラっぽい笑みに、やっぱり見惚れた。

「ですから。お菓子はいらないんですってば」
「‥‥え?」

するりと首に腕を掛けられ、甘い匂いのする身体を預けられて、イギリスはそれを殆ど反射で抱き締めた。キッチンのカウンターに腰が当たって、そのぶん密着率が上がる。

「"Trick or treat."‥‥僕、言ったでしょう?」

肩口に顔を埋めるように凭せ掛けたカナダの密やかで甘い囁き声が、耳にそっと流し込まれた。

「お菓子を持ってないイギリスさんに、今日は僕がイタズラする日なんです。だから、お茶請けは、いらないの」









窓から差し込む光は暖かい。
その硝子窓の向こうを、お菓子を抱えた妖精たちが舞っている。
愛らしい姿の彼女らは、お菓子をくれた家主にお礼を言おうかと窓のほうをチラリと見たのだけれど、皆一様に肩をすくめて、視線を外す。お礼は後日にしようと、優しい葉擦れのような声で話したものだ。

何故といって、どうせ今お礼の歌を歌ったところで、恋人と甘いイタズラをしあうイギリスの耳には、恋人の甘い声以外は届かないだろうから。














the end.(2009.10.31)

「お前もお菓子持ってねェんだから、おれがイタズラする権利もあるよな?」
「お菓子なんて、持ってたってあげません。どれだけ頑張ってフランスさんのショコラ食べたと思ってるんですか」
「‥‥いや、努力の方向が全然わかんねぇんだけどそれ」
「お菓子よりも、いたずらを楽しみに待ってたって言ったら、どうします?」
「‥‥楽しみに待っててくれたぶんだけ楽しませてやるよ」

"Please trick and no treat"な感じ(´∀`)