麗らかな昼下がり。
玄関チャイムが来客を告げたのに、湯気と共に甘い匂いを振り撒く大鍋を窺っていた日本はひそりとひとつ、瞬いた。
夜色の視線の先、湯気に曇る大鍋の中には、鮮やかな色をした南瓜だ。
少し甘めに仕上げた煮物は、後は水気がなくなるまで煮きれば完成する。大鍋の横にはガラスの蓋の小さな鍋。水蒸気に濡れたガラス越し、見えるのは鳥そぼろとタマネギを煮詰めて作った餡である。
季節柄に合った旬の菜、夕食の彩りになり且つ経済的な、なかなかの出来栄えだ。
日本は自らの料理の出来を、普段どおりの淡々とした表情で確かめた後、うっそりと視線をあげた。
あわせる形で揺れる筈の黒髪は、けれど今は輪ゴムでところどころ固定されている。
まとめ髪(といってもまぁ輪ゴムだが)、普段着の和装の上に着古した割烹着、手には玉杓子と味見用の小皿。なんとも古風なスタイルだが、こじんまりとした水場と土間で構成された古き良き日本のお勝手という背景に、ごく馴染む格好である。
日本は無言のまま暫し視線を空に迷わせたあと、手にした杓子の尻で傍らの、一見なんの変哲もなさそうな木壁をノックした。途端、そこに音もなく美しいイルミネーションまたたくタッチパネルが現れる。家のセキュリティを統括するコントロールパネルだ。
以前、北米の快活すぎる若者が訪れた際に何の気なしに使ってみせたところ、「ワォ、クールだね、まるで秘密基地みたいだぞ!」と大層喜んでいたのを思い出す。自身こそ最新のテクノロジーを抱える超軍事大国なくせ、そういった無邪気なところが憎めないと思ったものだ。
なんとなし思い出した、快活に笑う姿に日本は小さく笑う。‥‥もっとも今日この日の彼は、おそらくホラームービーを見たときの比じゃないほどに泣き叫んでいることだろうが。
うっすらと口の端に笑みを刷いたまま、日本はパネルを杓子の尻で次々に操作していく。そして、最後のキーをコンと人差指の第二関節でノックすれば、軽やかな電子音と共にディスプレイ上に動画が映し出された。玉砂利、苔、庇。少し離れた位置に門代わりの木戸。
アイカメラが捉えるのは、普段どおりの玄関先。
そして、敷石の上に鮮やかな色をまとった、客人の姿。
日本は、杓子の柄で髪の輪ゴムを弾いてとりながら、うっすらと笑った。
普段であれば、すぐにマイクをオンにして穏やかな声で来訪を歓迎する言葉を告げるところ、なのだが。
日本はパネル上の音声スイッチを押しかけた指先を一瞬手前で留めると、くすりと一つ笑ってから、パネルの上に手早く指先を滑らせて、別の操作を行った。と、玄関先を映していたカメラがズームアップされ、ディスプレイいっぱいに訪問客の姿が映し出される。
「‥‥おや、また随分とクラシックな装いで」
ぽつりと零された言葉を聴くのは、コトコトと甘く煮られている南瓜のみだ。
画面上、映し出されているのは金髪も美しい正装姿の青年だ。
白いドレスシャツにタイ、白手袋、上下は勿論揃いの黒。正式な晩餐に出ても通用するスタイルだろう。それになんともクラシックな丈の長いマントを羽織り、そして片腕に抱いているのは鮮やかな、赤い薔薇の花束。
まるで古い映画の世界から抜け出してきたかのように美しい、英国紳士の佇まい。‥‥はて、これでどうやって彼の子どもを驚かせてきたのやら。『恐怖』の勘所が微妙に違う彼らは、未だ持ってよく解らない。
とまれ日本はひとつ笑ってから、ほう、と感じ入ったように息をついた。
恐怖の勘所は微妙にずれていようが、美意識の中核は世界に共通するもののほうが多い。
美しい、西洋の礼装。どうやっても、どれほどこの国が西洋化しようとも、こればかりは真似の出来ないスタイルだとつくづく思う。
日本はディスプレイに映し出された姿をニヨニヨと笑いながら堪能した。‥‥今現在映されている相手には決して見せるつもりはないニヤけ顔だが、まぁ独りで楽しむ間くらいはいいだろう。思いながら、コトコトと煮詰められていく大鍋へと手を伸ばした。そろそろ水気も切れてきたようだ。
日本は一旦視線を鍋へと返すと、味見用の小皿に玉杓子で少なくなった煮汁ごと南瓜の欠片を掬い上げる。
白い湯気をヴェールのようにまとって転がる南瓜は鮮やかなオレンジで、杓子の代わりに手にした菜箸がするりとその内側へと沈んでいく。しっかりと内側まで火は通っているようだ。
菜箸で小さくカットし、ひとかけを口に含む。
柔らかな甘みは旬の菜ならではの豊かな味わいで、西洋のお菓子にも劣らぬ
甘さだ。
口の中に広がった幸せに日本がほろりと笑み崩したところで、もう一度、玄関チャイム。
チラリとディスプレイに視線をやれば、凛と伸びた背筋はそのまま、けれどどこかそわそわした雰囲気で客人が玄関先に、立っている。
というか、自分が待ちぼうけを食らわせている。
本来であれば、直ぐにでもマイクをいれ、応答の遅れを詫び、出迎えに立たねばならないところなのだが。
日本はひっそりとした笑みを浮かべて、そっと、ディスプレイに指先を滑らせる。
先ほどの衣装と姿を観賞したときの笑みとは違う、笑み。
割烹着を脱いで、手早く身じまいをする。
男の身だ、化粧が髪型がと世の女性のように慌てないですむのは正直とても楽である。絡げていた振りを降ろし、着慣れた普段着の襟足を軽く正せば支度は完了だ。‥‥ああ、けれどやはり。
「そこは、気持ちの問題でしょうかねぇ」
三度目はないチャイム。幾度も鳴らすのは紳士としてどうかだとか、薔薇の花束を抱えて考えているのだろう。
クラシカルな紳士の衣装、涼しい顔を装って、そのくせいつまで経っても応答しない家主に、留守なのだろかだの、忙しいのだろうかだのと、内心でそわそわぐるぐると考えているに違いない。
‥‥可愛いひとなのだ、まったく。
そんな、可愛い恋人を。それもかつての弟を思う存分驚かせて上機嫌なまま、我が家に立ち寄った可愛いひとを、そして今は自分という恋人を、そわそわと待っているひとを、今日この日に迎えるのならば。
こちらとしても、相応に。
台所を出る直前セキュリティパネルを終了させる傍ら、鍋の中から甘い南瓜を口の中にひとつ放り込む。
玄関のインターフォンには応答せず、そのまま直に廊下を進み、既に玄関先に座って待っていたポチくんが見上げくるのに、不慣れなウインクを一つ。
そうして格子ガラスの玄関扉を、開け放ち様に。
「ににににっ、に、日本!"trick or treat!" ええっと、今日はハロウィンっつってだな、」
「ええ、存じ上げております」
「へ?‥‥ん、んん?!」
礼儀正しい英国紳士から薔薇の花束を差し出される前に、その襟首を引っ掴み、驚いて見開かれる森の緑をした瞳に、いたずらっぽく笑んでから。
「イタズラか、お菓子かを、差し出すのでしょう?‥‥さて、英国紳士殿。甘い味つきのイタズラは、いかがですか?」
待たせた時間は自分のイタズラの、仕込み時間。
南瓜の甘煮味のキスは、果たして甘いイタズラと受け取って貰えたのか。
それは敷石の上に落とされてしまった艶やかな花束と、翻ったクラシックなマントと。
あっという間に家の奥へと連れ去られた飼い主を見送ったつぶらな瞳だけが、見届けたわけだ。
勿論、それ以上に甘いイタズラの応酬は寝室の内側、恋人達だけの秘密である。
the end.(2009.11.08)
夕ご飯はカボチャの甘煮鳥そぼろ餡かけです。