凛々と深い黒。端然として上げられたその面差し。
潔く美しく、横顔を密やかに眺めた。
‥‥そうだ、俺はその眼差しが、
其れに気がついたのは、知り合ってからもう随分経った頃だった。
実のところ確たるものがあって発言したわけではない。不確定要素が多すぎる、有り体にいえば、勘。文字どおり「なんとなく」。曖昧を好まない自分にしては随分珍しいと、頭の隅で他人事のように考えたものだ。
「視線を合わせないな」
零れた言葉は居心地の良い静寂で満たされた純和風の室内に、淡いゆらぎを残して霧散した。
そのとき日本は手元でなにがしかの書き物をしていて、此方はといえば彼の屋敷の蔵から拝借してきた古い和綴じの医学書を日本が用意してくれた現代語訳版と較べつつ読んでいる最中だった。
その状況のどこにも掠らない、脈絡の無い台詞。何を言っているのだと言われてもおかしくない台詞であったのだが。
「おや、気がつかれましたか」
手元へ視線を落としたまま恬淡と紡がれた言葉で、こちらの意を正確に読み取ったことを知らせてきた。
欧州では基本的に、他者と会話するときには相手の目を見る。
見つめる、あるいは見据えるといってもいい。会話中に視線を揺らさないのは社交上のマナーだと言い切る国が殆どだ。視線をそらす或いは視線を合わせない、それ即ち不誠実と受け取られても仕方がない。動く目に動く心という成句もあるほどで、それだけ視線を合わすことは重要な役割を持っているのである。‥‥はて、日本にも似たような成句があったと思ったのだが。
「簡単に言えば、国民性です」
ぽんとそんな台詞が寄越された。‥‥待て、俺はまだ何も言っていないぞ。
「‥‥目は合わさなくても心は読めるのか」
「特技は空気を読むことですから」
そういう日本はいつもの如く上品に微笑んでいる。
書き物をしていた筆を僅かの音も立てずに置き直した。伏せ目がちに、やはり視線は合わせられない。
「先ほど申し上げましたとおり、我が国では国民性としてあまり目を合わせないのです。なにしろ千年ほど前は御簾越しに、目線どころか対面してさえ喋りませんでしたしねぇ」
「‥‥しかし、千年経っているだろう」
「ええ。最近では国民の皆さんも欧米の皆様に倣って目を見ての会話を練習されてますよ。とはいえ、国民性などそうそう変えられるものでもないですしね、大抵の場合はネクタイのノットか、額の辺りに視線を合わせます。勿論、目も見ますけど」
そう言って、日本が此方へと目を遣ってきた。遣ってはいるものの、よくよく注意すれば彼の発言どおり微妙に視線がずれている。
そのずれを無理やり合わせるように、俺は日本の目をひたと見つめた。
‥‥深い、深い色の目だ。瞳と同色の真っ直ぐな睫毛がその縁をくっきりと縁取っている。
いつだったか、まるで極上の絹糸にくるまれた黒曜石のようだと言ったのは、あれはイタリアだったろうか。
欧州にも無論黒瞳の人間はごまんといる。が、どういうわけかアジア系、とりわけ日本の黒い瞳というのは、そのどれとも違うように感じられるのだ。どう違うのか、と問われると返答に困るのだが。
その黒い瞳は、俺の其れと合わせられない。
此方を見ているにも関わらず。
不意に、腹の底にいわく言い難い衝動が湧き上がった。
それはひやりとしているようで、酷くぐらぐらと煮え滾っているようにも思えた。置いていかれるような言い知れぬ不安感と、意に沿わぬ態度に対する苛立ちにもにた衝動。何処からともなく体内へと現出したそれらが、神経をギリギリと締め付けてでも居るかのような圧迫感を与えてくる。
なんだ、これは。
ただ目があわせられない、それだけで。
例えば日本が不誠実から目を合わせないのであれば、きっとこのような衝動は湧き起こらない。
彼は誠実だ。知り合ってからこちら彼はいつだって誠実に、俺やイタリアと交わした盟約をたとえその身体が砕けようとも果たそうとしたのだ。その壮絶なまでの誠実を疑うことなど出来やしない。彼を疑うことは、共に戦ったあの日々全てを否定することになり兼ねないとさえ思う。‥‥彼は、真実、誠実だ。
‥‥そう、だから、これは彼が言うとおり彼の国民性に違いないのだ。目を合わせるのを良しとしない、そういう民族。果ての島国という立地も関係しているのだろう。
‥‥ああ、けれど。
「俺はお前の、目がみたい」
(俺はお前に、見つめられたい)
ふ、とごく小さな、息を吐く音が聞こえた。
この部屋には家主である日本と客の俺しかいないので、つまりは俺でない以上そのため息は日本のものなわけだが、‥‥ため息?
「日本?」
「『目は口ほどにものを言う』」
「え?」
「ドイツさん、日本にこのような成句があるのをご存知ですか?」
「‥‥なに?」
突然の問いかけに、改めて日本を見る。
先ほどと変わらない、恬淡とした口調。こちらへと顔を向けて‥‥先ほどまでこちらへ当てられていた瞳は、閉じられている。いつの間に。
「先ほど少しお話ししましたが、我が国では過去にあっては姿さえさらさぬまま交流を為す文化がありました。御簾や衝立、あるいは扇を使い、顔をさらさないで。姿を晒すのはごく限られた人間のみにでした。それは何故だと思いますか?」
「‥‥解らんが、」
日本は瞳を閉じたまま話している。
欧州の者たちとは骨格からまるで違うほっそりとした肢体、真っ直ぐな絹糸の如き黒髪。細い首筋、アジア系らしい彫りの浅い顔立ち、扇状に伏せられた黒い睫毛。‥‥その下の、深い黒瞳。
「姿を晒すのは、即ち『おのれ』を晒すことです。ありのままの姿形、その内に納められている精神を晒すことです。目は口ほどに、と申しました。幾千の言葉より目は己が心を晒す。ですから姿を、‥‥目を。晒すのは、ごく限られた相手だけです。愛情深い親、寄り添って眠ったきょうだい、心通わす親しい友、そして」
ゆっくりと、瞼が上げられる。深い、深い想いを宿した黒瞳が、ひたと。
「心を捧ぐ、愛しいひと」
ああ、俺はこの眼差しが欲しかったのだ。ずっと。
「‥‥日本」
「はい」
その口調と同じく恬淡とした仕草で、日本は再び手元の書き物へと視線を落とした。俺も、読みかけの本へと視線を落とす。
それでなくとも古い和綴じの本は、丁寧に扱わなければ容易にばらけてしまうため、丁寧にページを繰らなければならない。
‥‥繰らなければならないのだが。
「‥‥すまないが、この本は次に来たとき読ませてもらってもいいだろうか」
「それは構いませんよ。‥‥何か?」
「手が震えて、本を壊しそうだ」
急激に上がった心拍数に震える手をなんとか宥めて丁寧に閉じた本を脇に置けば、日本は驚いたように目を見張って一呼吸、肩を震わせて笑い出した。
「‥‥笑うな」
「はい、‥‥いえ、ふふふ」
「日本、」
憮然とした声で名前を呼べば、顔が上げられる。‥‥目が、合った。
少しうるんだ、深い色合いの黒い瞳。そこに在るのは笑みと、それから。
「『目は口ほどにものをいう』、か」
「ええ。‥‥言えてますでしょうか?」
「ああ、そうだな」
そうですか、と。
普段の恬淡とした口調に、微かな甘さが乗せられた返事に、言葉で応えるより先に、手を伸ばした。
俺の青い眼にも、彼への想いが滲んでいるのだろう。
もっとも、ゆるりと瞼を伏せた彼には、この時見えなかっただろうけれど。
ならばせめてこのくちづけに、彼への想いをありったけ。
ケラトゥムピリカ
das ende.(2008.06.19)
タイトルはアイヌ語で「心すこやかに」
ところでこの日本の手元の「書き物」が 同 人 原 稿 だったらどうしましょうね?
(雰囲気ぶち壊しだ)