天上に瞬く恋人達に、ひとつ教訓でも貰おうか?









「つまり、ビジネスにプライベートを持ち込んだ結果、ペナルティを科されたという話か。‥‥当然とまでは言わないが、仕方のないことだな」

ふんわりと澄んだ声音で語られた物語の終止符を機に、とりあえずの率直な第一印象を述べたところで、朗らかな笑い声がドイツの耳を打った。
一呼吸置いてから自らの隣り、身長の差だけやや下方に、ちろりと視線だけを遣る。
古式ゆかしい日本造りの縁側に並んで腰掛けた小柄な身体が、見慣れた民族衣装の袂でゆるく口元を隠しながらも、特に声を殺すでもなく笑っていた。

「‥‥日本」
「ああ、いえ、申し訳ありません。‥‥ふふ、ドイツさんならそんな風におっしゃるかなと少し予想していたのですが、あんまりその予想と貴方の発言が同じだったものですから」

私の想像力も捨てたものじゃありませんね、と。
朗らかな笑みをそのやんわりとした口調に残しながら話す日本に、ドイツはそれ以上言葉を重ねるのも大人げないと、口を噤んだ。
数百年の時を渡った身で大人げ云々というのもおかしな話ではあるが、相対する者はと言えば優に二千年を越す時間をその身に宿しているのだ。彼にしてみれば、自分などまだようやく立って歩き始めた子供くらいにしか見えていないのかもしれないとまで考えて、もやりとした気分のままにそっぽを向いた。‥‥大人げなくとも別にいいだろう、実際年下だ。

「ドイツさん」

困惑の中にどこか甘く宥める調子を滲ませた声が、静かな夜の空気を震わせる。本国に比べ段違いに湿度の高い空気はそこはかとなく潤んで纏わりつき、ともすれば水の中をたゆたっているようにも感じられた。
鬱陶しいものですがこうでなければ夏を実感できないんですと、その実ちっとも鬱陶しくも暑そうでもない涼やかな佇まいで言っていたのは、今日の昼に行われた会議の合間、ほんの少しだけしか言葉を交わすことができなかった、僅かな休憩時間だったか。
と、そこまで考えて勢いここ数日こなした一連の重苦しい会議を反芻してしまい、ドイツはげんなりとした。
一年に一度行われる世界レベルの大会合が日本で開催され、つい先ほど終了した。
山積する問題の中、折衝に折衝を重ねそこにそれぞれの妥協と打算をぶち込んで、何とか整合性を保つ程度の体裁を無理やりつけた主要議題。会合自体は閉幕したものの、これから先も延々引き摺ることは必至とあっては、内心ため息をついてしまうのも仕方がないというものだろう。
一見和やかな空気を保ちながらも、一つの単語に幾重もの意味を込めた丁々発止のやりとりが議場内を飛び交っていた。勿論、日本とドイツの間にも、だ。慇懃な言葉の中に互いの譲れぬ主張が込められ、まさしく火花が散りそうな意見交換をしたのは、ほんの数時間前のことでしかない。恐らくそれぞれの上司達は明日に帰国を控えた深夜になろうという今もまだ、水面下での調整や文言を交わしているのだろう。

(‥‥寝る前に、一度部屋を訪ねてみるべきか。帰国後の公務日程は‥‥)

と、そこでドイツの思考は中断された。
精確には、させられた、だろうか。

「‥‥日本」
「ペナルティです」

開口一番そう言った恋人に、ドイツは何事かを言いかけて、結局口を噤んだ。
間近にある、少しだけ開かれたままの、くちづけに潤んだ唇が艶かしい。

「今はプライベートですよ。ビジネスのことは忘れてくださいね」

その口調は年長者らしく言い諭すようであり、恋人らしく甘えと他愛ない妬心を滲ませているようでもあり。それに合わせるかのように揺れた、星明りを宿して輝く黒曜の髪が頬を掠める。その感触にドイツは思わず身体を震わせた。
大腿と肩に手を添えて、殆どドイツの膝に乗り上げている体勢の日本にもその震えは伝わったのだろう。ふわりと夜色の瞳が笑みに緩んだ。

「すまない」
「素直でよろしい。‥‥ふふ」

するりと滑り落ちた謝罪に、ほんの少しおどけた言葉と笑みが返される。
しっとりと潤んだ夏の空気にしっくりと合う日本の笑顔を前に、ドイツの口の端にも自然笑みが浮かんだ。半端な体勢だった恋人の身体を軽々と抱き上げ改めて膝の上に横抱きにして、戯れるように軽いくちづけを幾度も交わす。

「‥‥先ほどの話と逆だな」
「牽牛と織女ですか?」

互いの頬や瞼をやわやわと食むような戯れの合間に、短い会話を入れ込む。
先ほど聞いたばかりの耳慣れない単語は、物語の主人公たちの名前。ドイツはぼんやりと聞いたばかりの恋物語を反芻した。




‥‥恋人たちは、恋に溺れ仕事を疎かにした咎で引き離される。星の大河に隔てられた二人は、しかし年に一度だけ許されてつかの間の逢瀬を 楽しむ‥‥




「‥‥やはりビジネスはきちんとこなすべきだ」
「はい?」

空気や行間を読むのに長けた日本も、台詞の飛躍にさすがについていけなかったらしい。鼻先に啄ばむような軽いキスを落としてのドイツの発言に、一度顔を離すときょとんとした表情でドイツの顔を覗き込んできた。

至近距離に保たれた恋人の容貌を、ドイツはまじまじと見つめ返しながら、綺麗だな、と至極単純に思う。
‥‥そう、彼の物語の主人公も、思ったのだろう。
己の恋人は、世界の何者よりも美しいと。
この心を捧げるに相応しい相手だと。

(しかし、それで会えなくなるなど愚の骨頂だ)

いかなるときも、恋人に相応しくあるように。
その隣りに立つ権利を得る為ならば、仕事なんていくらだってこなしてやる。そうして、その上で恋人との‥‥日本との時間を確保するのだ。
誰にも文句など言わせない。

「俺は、ペナルティなど貰わない」

そして堂々と日本に会いに来る、と。
言外に滲ませた言葉の意を汲んだ恋人が、とろりと甘く蕩ける様に微笑んでくれたので。

とりあえず、ビジネスから解放された今夜は蕩けるようなプライベートを楽しもうと、ドイツは日本を抱き上げ立ち上がると、寝室へと足先を向けた。









天上に輝く恋人達は潤んだ大気に美しく瞬いて、甘い微笑みを交わす地上の恋人達を、静かに見送った。









 夜の金蓮花





end.(2008.07.11)

七夕の夜の話。
金蓮花の花言葉は「有能な人」