概して動物は人間に較べて気配に鋭いというけれど、どうやら当家のぽちくんも例外ではないようです。
書き物をしていた私の隣に蹲り、すよすよと眠っていた彼がとたとたと足音を立て、風を通す為に襖を取り払った入口から廊下へと出て行きました。それを特に何を言うでもなく見送ります。ふわふわしたしっぽがするりと消えた先は、

カラリ。ワン。

玄関の引戸の音。それから、ぽちくんの声。さて、どなたかいらしたようですが。‥‥はて?

「‥‥どなたでしょうね」

我が家にいらっしゃる皆様は、すっとこどっこい、いえ、アメリカさんを筆頭に、私が出迎えに立つ前に上がってこられる方ばかりなのですが‥‥(どうでもよいですけどアメリカさんの「お邪魔するぞ!」という言葉、彼絶対意味わかって使ってませんよね‥‥いえいえ、それも今は置いといて)。さて、そうでないとするとこれは‥‥けれど、彼だとしたら声をかけてくれるのですが。
まぁ、行ってみればわかるでしょう。そもそも出迎えるのが礼儀なのですから、不精してる場合じゃありません。

「はい、どちら様でしょう」

廊下に出ると、ふわり、ひと風。
玄関から屋敷奥へと風を通す造りの我が家です、ああやはり玄関が開いているのですね。ワン。ぽちくんの声です。‥‥ぽちくんの声だけしか聴こえないのですが‥‥。

「‥‥って、おや、ドイツさん」

やっぱり、という言葉は喉元で収めます。
我が家にいらっしゃるお客様の中では群を抜いて慎み深い人の姿が玄関にありました。ありました、というか‥‥あの、ドイツさん、なんで固まってるんでしょうか?
恐らく玄関を引いた体勢から動いていないのでしょう、引き手にかけた指先もそのまま。凝視するのは‥‥

ワン。

「‥‥ええと、ドイツさん、ぽちくんと会うのは初めてでしたか?」
「初めてだ」

‥‥。これまた珍しい。結構に(そう、彼の同居人と同じくらいに)礼儀にうるさい彼の第一声が挨拶ではないなんて、ここ暫くはなかったことです。
けれど、ともかくも言葉を発したことで動作停止が解除されたのか、少しだけ頭を屈めて玄関へと入っていらっしゃいました。外の光に金髪がキラキラと光を灯したように輝いています。あ、綺麗。

「‥‥あの、ドイツさん?」
「‥‥ん?あ、いや、失礼した、久しぶりだな、日本」
「あ、はい、お久しぶりです。あの、どうぞおあがりになって下さい」

とまぁ、玄関先でのやり取りとしてはごく一般的な会話を交わしたのですが‥‥ええと、ドイツさんの、視線が。

ワン。

「‥‥犬、お好きでしたか」
「大好きだ」

‥‥断言ですか、そうですか。

淡々とした口調ながら即答での断言に、なんとなく目を逸らして一方のぽちくんを見ます。
彼はといえば、初対面だと言う大柄な金髪青年の凝視(まさしく!)にも特に臆した様子もなく、ぱたぱたとふわふわのしっぽを緩く振っています。まぁ、もともと人懐こいコではあるのですが。アレですか、犬には犬好きが解るとかいうアレでしょうか。

「えー、と‥‥ぽちくん、ドイツさんを居間にご案内してくださいね。あと、一緒にいてあげてください」

ワン。

賢い彼の返事を聞きながら、なんとなく、‥‥そう、なんとなく居たたまれなくて、私は踵を返しました。いえ、もてなしに茶やお菓子を用意しようという理由もあったのですが。
飴色の廊下を奥のお勝手へと、ぱたぱたと走ります。背中にふわり、風があたって、なんとなく振り向きました。
大きな手のひらが、小さなぽちくんを掬いあげるように抱き取っていて、‥‥やはり、私は居たたまれなくて目を逸らしたのでした。




夏屋敷の良いところは、襖を取り払っているのでいちいち携えた茶器を一旦床に置いて襖を開けて、という所作が省略できるところ‥‥なのですが。

「‥‥ドイツさん、お茶どうぞ」

私が入室したことすら気づかなかった彼の為、コトリと、普段より若干音を立てて茶器を置けば、そこで漸く私に気がついたらしいドイツさんがハッと顔を上げました。‥‥そこで微妙にバツの悪そうな顔されても、此方も困るのですけど。
内心でそんなことを呟きつつ、けれども顔にはおくびも出さずに彼の向かいへと私も座りました。カロンと麦茶に入れた氷がひとつ、涼やかな声をあげました。お客様に先んじて、一口。するりと喉を滑り落ちる冷たく香ばしい感触。‥‥そう、これで落ち着けばよい。

そうして、一呼吸置いてから向かいに座るひとを見遣ります。
一旦私へと向けられた視線は、今はまた元に戻されています。彼の胸元、というか胡坐をかいた、その間。ふわふわとした、毛並み。

ワン。

朗らかな声で鳴くぽちくんを、大きな手のひらが意外なほどに優しく撫でています。
ゴツゴツと節くれだっている指の隙間をふわふわとした毛が滑らかに掻い潜って、ときおり耳の辺りを擽るように指先で掻いたり。
ふんわりしたしっぽが揺れて、半袖からむき出しの、みっしりと筋肉のついた腕をぱたしぱたしと叩いています。そのまま視線を上げれば‥‥うーん、素敵な仏頂面。もといドイツさんのデフォルト表情。‥‥の、中にどこか和やかな色。
ぽちくんはいいこですから、どんなひとにも大抵は大人しく懐きます。小さな身体ですから、ネコのように膝に載せても重くなんてないですし。まぁ、ドイツさんなら大型犬でも膝に乗せそうですけど。うーん‥‥。

「ドイツさん、犬、お好きなんですね」
「大好きだ」

ああ、二度目。大事なことだから二度言いました、的なアレですか?いえいえ、私が二度訊いただけなんですけどね。

大好き、ね。断言ですか、そうですか。
うん、ちょっとそれって。‥‥ねえ、ドイツさん?




「‥‥ぽちくん、こっちいらっしゃい」

私の声に、ぽちくんは即座に反応してくれました。
どれだけ人懐こかろうと、客は客、飼い主は飼い主。ぽちくんの愛情は私が一番なのです。
居心地が良かっただろう、がっちりとした胡坐から飛び降りて、とととと、私のほうに走ってきてくれました。ちょこりと私の隣に座り込んで見上げてくる、つぶらな瞳に微笑を返して、そっと抱き上げて膝の上。あったかい、ちいさなふわふわの身体。

ワン。

「ドイツさん、だっこしたいですか?」

言ってから、視線を上げました。ふわふわの、大好きな犬を取り上げられてちょっと残念そうな、ちょっとふてくされたような表情。本当に犬がお好きなんでしょうね。‥‥可愛いひとだ。
膝の上のぽちくんをゆっくりと撫でてあげます。
小さな身体は温かくて、信頼そのままの瞳がとても愛しい。




‥‥目の前の、ちょっとふてくされた瞳の恋人と、同じくらいに。




「ドイツさん、犬、お好きですか?」
「ああ、大好きだ」
「では、私は?」
「‥‥愛してる」

‥‥うん、まぁいいでしょう。ぽちくんに大好き大好き言う前に、そう言ってくれていればもっとよかったのですけれど、一応及第です。

そう言ってにっこりと笑えば、赤くなって俯く可愛いひとに、ですからとびきり甘い声で言ってあげましょう。




「ドイツさん、だっこしたいですか?」




「飼い主ごとでよろしければ、どうぞ」




ワン。

ぽちくんの朗らかな声と、ドイツさんのがっちりとした腕が伸びてくるのとどちらが速かったのかは、‥‥まぁ、秘密ということで。









  犬と貴方と幸せ生活










終(2008.08.14)

ぽちくんを膝に乗せた日本を膝に乗せるよ!