イギリスさんは、意外なほどに甲斐甲斐しいひとだ。
初めて会ったのはもう随分と前のことではあるけれど、思えばその頃からとても優しいひとだった。(因みにこの発言にフランスさんはなんともいえない奇妙な顔をしたものだ。)
やむを得ぬ状況で刃を交えたこともあったけれど、今となってはそれも昔の話。上司同士の間では様々な思惑が行き交っているのかもしれないが、イギリスさん個人は‥‥もっとも、私達の特殊性を思えば「個人」というのも奇妙なものではあるのだがそれは置いておくとして、そう、彼はいつだって私に紳士的に振る舞うし、優しい。とても、非常に、優しい。
「にッ、日本ッ、よよよよければ俺の家で食事でもしていかないか?!」
‥‥そう、だからこれも彼の優しさなのだ。
例えばイギリスさんが市井の「イギリス人」の一人で、私が単なる「東洋から来た客人」だったとしても、きっと彼はこうして誘ってくれただろう。
何のかんの言いつつ、「イギリス人」は大変世話好きで、総じておもてなし大好きな方々なのである。
「‥‥‥‥これは、イギリスさんがそうだから国民の皆さんがそうなのか、はたまた国民の皆様がおもてなし大好きだからイギリスさんがこうなのか‥‥」
「ん?なにか言ったか、日本」
「いいえ何でも」
「ッ、そっ、そうか!や、気のせいだったな!」
振り返ったイギリスさんに、滅多に見せない全開の笑顔で応えを返す。
そうすれば、この方は照れてこちらから視線を外してくれるという計算ずくの笑顔ではあったのだけれども、ああ、まあ、少々心苦しい。
(まさか全開の笑顔でないと、顔が引きつってどうしようもないから、なんて言えませんからね‥‥)
ダンダンダンッ、と勢い(だけは)好い包丁の音がキッチンにこだまする。
幾度かの改装を経たのであろう、年季はあるが機能的かつ清潔に整えられた台所は、水周りもコンロやオーヴンなども最新型のものだ。‥‥あ、日本製。
そしてそのキッチンに立つイギリスさんはといえばシャツの腕をまくって腰にはギャルソンエプロンという、まあ、ちょっと萌えるコスプレ‥‥もとい、キッチンに立つに相応しい姿なのだけれども。
(‥‥あああなんでそこで小麦粉入れちゃうんですかっ、しかもどばっと!すこしずつ入れて炒めないとホワイトソースはすぐにダマになるのに‥‥!っていうか塩?!何でそこで塩が〜‥‥ッ。それとさっきから思ってたんですけどどんだけ野菜茹でたら気が済むんですかああああ‥‥ッ!)
‥‥ああ、イギリスさんは、優しい。
今だって、キッチンの傍にわざわざスツールを持ってきてくれて私に腰掛けているように言ってくれたし、そもそも夕食のもてなしも彼の純然たる厚意の表れだ。
イギリスさんのお屋敷を訪ねたのは正午を過ぎてから(‥‥つまり、昼食が終わってからの時間だ)。そして用件はといえば至極単純な書類の再確認。イギリスさんが資料を読み込む時間を考慮したにせよ、3時間もあれば事足りる用件であったし、実際時間内に用は済んでしまった。
暇を告げようとする私を引き止めて大変美味しいハイティーを振舞ってくれ、そして晩餐にまで誘ってくれたこのひとは、ああもう、本当に優しいひとなのだ。
「‥‥そりゃ、私だってちょっとでも長く一緒に居たいですけど」
「ん?何か言ったか?」
「いいえ」
「そっか。ごめんな、もうすぐ出来るから!」
「‥‥はい」
オーヴンに放り込んでいた(‥‥下味もなにもつけずにホイルで包んで放りこんだだけだった)ローストベーコンを天板ごと取り出しながら、イギリスさんが笑う。もともと大変見目の宜しい方なぶん、いっそキラキラきらめいているようにさえ見えた。‥‥ああもう、そのキラキラ感が何で料理に転化されないのだろう。
きっと、あのキラキラを料理に表現したら美味しいに決まっているのに。
フランスさんもびっくりの味になるに違いないのに。
「日本。すまないがそこの棚にクロスと燭台があるから出してくれるか?」
「はい。‥‥燭台、ですか?」
「ロウソクの光で食べたほうが雰囲気がある」
「はぁ」
ベーコンを切り分けながらいうイギリスさんの言葉は、ごく当たり前のことをいう口調だった。
言われたとおりの棚を開ければ、丁寧に折り畳まれたテーブルクロスが複数積んである。「シェルピンクのを出してくれ、ジャスミンの刺繍が入っているヤツ」と、背後からかけられた声に従い、薄桃色のクロスを引っ張り出した。布自体がしっかりとした織りなのか、意外にずっしりとした重みのある其れをよく見れば、光沢のある白い絹糸(だろう)でいくつもの小花が見事に刺繍されていた。‥‥ああ、これは。
「‥‥先日、イギリスさんが縫い取りをしてらしたものですか?」
「ッ!!べッ、別にお前が来たときに使おうって作ったわけじゃないからなッ!?ジャスミンもお前に似合うからだとかじゃなく‥‥!俺の趣味だ、趣味!!」
「‥‥‥‥‥‥。」
燭台もとりだす。現代では殆ど見かけないほど繊細で精緻な意匠をこらした銀製の其れは、きっと彼がずっと、大事に大切に使ってきたものなのだろう。
「日本、クロス広げるからそっち持ってくれ」
「は、はい」
「ん。あと、クロスウェイト隅に付けて」
差し出された拳に手のひらを上にして差し出せば、銀製のクリップのようなものを渡される。どうやら燭台とお揃いらしい、これまた美しい意匠だ。
クロスウェイトの重みに従い、小さめのテーブル(二人だけなのだし、メインダイニングではなくキッチンにある小さな食卓で食事にしようということになっていた)に広げられたクロスはシワや縒れを取り除かれ、淡い桃色の布に凛とした印象が載せられる。
テーブルの端から直角に落ちたクロスは優雅なドレープを描いて、その重力が齎す凛とした姿にぼうっと魅入っている間に、イギリスさんは鮮やかな手つきでテーブルをセットしていく。
ランチョンマット(こちらは白地にピンクの糸で同じ小花が刺繍されたものだ)、火を入れた燭台。銀器はコースではないのだから少なめで、けれどテーブルマナーに従った配置。燭台の脇には一体いつ用意したのだろう、繊細なフルートグラスに深い紅のバラが一輪。
「座ってていいぞ」
促され、妙にぎくしゃくした動きで腰掛ける。
それを見届けるように此方を見ていたイギリスさんが、すぐ傍のオーヴンの上に置いていた料理皿を次々とテーブルへ運んできた。大皿から小さな取り分け皿まですべて揃いのものだ。
デザート以外の全ての料理を並べ終えると、イギリスさんは満足したように小さく息をついた。椅子を引いて座る。テーブルの向かいではなく、食卓の角を挟んで斜向こうに。‥‥向かい合うより、距離が近い。
「それじゃ、食べるか」
「‥‥は、い」
応えた私の声は微妙にぎこちないものになったのだが、さして気にされなかったのは幸いだ。
習慣にのっとり、手のひらを合わせる。こっそりとイギリスさんを見れば、彼は胸に軽く手を当てて目を伏せ、食事前の聖句だろう、何事かを呟いていた。
燭台の明かりが淡い金色の睫毛をきらめかせ、欧州のひとらしいミルクカラーの頬に光の影を落としていた。
(‥‥ああもう、何でこのひと無駄に綺麗なんでしょうね)
いや、無駄ということもないのだが。‥‥別に、顔で好きになったわけではないけれど。
「じゃあ、‥‥召し上がれ」
「いただきます」
私の応えに、イギリスさんははにかむように笑う。
テーブルの上には、彼の手料理。‥‥何故か水っぽいホウレンソウとチーズのキッシュ、塩辛いスープ、妙に味のないローストビーフに、粉っぽいホワイトソースのかけられたくたくたの茹で過ぎ野菜。
はっきり言って、美味しくない。‥‥美味しくない、のだけれど。
「ど、どうだ?」
薄桃色のテーブルクロス、精緻な意匠の燭台、銀器。
フルートグラスに活けられた、彼が愛し慈しんできただろう薔薇。
‥‥そのどれもが私の、私だけの為に用意されたものであると。
そう、彼の作る料理はかけらも美味しくない。美味しくないのに、その皿にテーブルに、ありったけ盛られたこの純粋な思いやり、善意、客人をもてなす優しい心。
眼差しに込められた、真摯な愛情。
(ああ、それにどうして応えずにいられよう)
「‥‥き、です」
「え?」
「イギリスさんとお食事するのは、とても好きです、と言ったんですよ」
「ッ、」
紳士の国のひとらしく、手にした銀器を取り落とすなんてことはしなかったけれど。いつもの彼らしい本音と裏腹の文句も、赤く染まった目元を見ればなんとも可愛らしく。
(‥‥お料理が下手っていうのも、まあ、個性の一つですよね)
そうして口にしたキッシュは水っぽかったけれど。
なんとなし、美味しいかな、と思わなくもなかった。
‥‥次は彼を、おもてなししてあげよう。
腕によりをかけた美味しい和食と、ありったけの愛情で。