美しく晴れ渡った青空、辺りを満たすのは甘い香り。









「日本、いくらかバラを分けてもらえないか?」
「いいですよ、どうぞお持ち下さい」

軽く答えたその翌日、こうして私はイギリスさんの背中をずっと見ています。
さくさくと慎重に土を掘る音、座り込んで丸まった背中。辺りを満たすのは、甘酸っぱい香り。
土の上に躊躇いもなく膝を突く彼は、いつものスーツ姿ではありません。
淡いベージュのコットンパンツに開襟シャツ、それから手袋。欧州の方にしてはほっそりとした腰で結わえられた、前掛けのリボンが妙に馴染んでいます。その上から、剪定鋏や移植ごてを纏めて下げた、何でしょうか、ホルダー?ホルスター?を、腰に巻いています。ちょっとガンベルトみたいですね。アメリカさんあたりがコスプレ‥‥もとい装着してらしたら、西部劇っぽかったかもしれません。

風はさやさやと甘い香りを乗せてたゆたい、空は正しく皐月晴れです。
それとも今日ばかりはイギリスさんに敬意をはらい、薔薇晴れとでも申しましょうか。

「日本、そっちにある藁縄切ってくれるか」
「これですか?ええと、どれくらいの長さでしょう」
「ええと‥‥ああ、そう、それくらい」

肩越しの視線を受けながら言われたとおりの藁で綯った縄を繰り、「それくらい」といわれたところで鋏を入れて彼に手渡します。thank you と綺麗な発音の素直な言葉が返されたあたり、どうやら普段のツンデレを発動する余裕もないほどに今の作業に集中している様子です。

「縄は、どうやって使われるのですか?」
「ん、根を傷めないようにな、周りの土ごと固定するんだ‥‥ホラ」
その言葉どおり、彼は私の目の前で、鮮やかな手つきで土ごと掘り返したバラの根に巻きつけていきました。どこをどうやったものか、縄なのに根元を半球形に保ったまま固定されます。あっという間の作業で、ちょっとした手品を見ている気分です。
辺りを見渡せば、そうしてイギリスさんの手に掛けられたバラの株が複数、丁寧に並べられています。大きな株から頼りない若木まで様々。中には花をつけているものもあり、白い素朴な花弁が掘り出されたにも関わらず瑞々しさを保ったまま5月の風に揺れています。
‥‥しかし、私が思い浮かべるバラという花に較べると、よい香りではあるものの、些か素朴に過ぎる気がするのですが。

「ところでイギリスさん、この花はどうなさるのですか?」
「え?家に植えるつもりだけど」

‥‥うう、ものすごく不思議そうな顔をされました。いや、当たり前ですね何も株ごと持って帰って「実は魔術の材料に!」とか言われても困りますし。いやいや、だがしかし。

「‥‥あの、ですけどイギリスさんのお宅にはもうたくさんバラが植えられていると思うのですが」

言いながら、もう幾度も足を運んだ彼の本国でのお屋敷を思い浮かべます。
重厚でありながら瀟洒な石と煉瓦造りのお屋敷をぐるりと囲むように整えられた花壇には、愛らしさを醸すものから大輪の豪奢な品種まで様々な薔薇が丹精され、まさに薔薇屋敷と言うに相応しい華麗なお住まいだったはず。私のところにいらっしゃるときも必ず薔薇の花束を持っていらっしゃいますし。屋敷のごく近い辺りは可愛らしいコティジ・ガーデンでありながら、一旦視線を転じれば(お屋敷の裏です)私のところでは考えられないほど広大な(個人が所有する庭が100エーカー以上ってどういうことなんでしょうと驚いたものですが、聞けば彼のところではそう珍しいことではないのだとか。文化の違いとは大きなものですね‥‥)英国式庭園には木立あり丘あり小川あり、花ばかりか木苺にベリーといった小果樹まで、濃淡様々な植物が織り成すまさに緑したたるお庭なのです。

そこに更に、これといった特徴もなさそうに見えるこのお花を持っていっても‥‥。

と、そんな考えが無意識に顔に出ていたのでしょうか(私もまだまだ修行が足りませんね)、イギリスさんはすっくと立ち上がると私のほうへと向き直って、言葉を継いでくれました。

「日本はバラの自生地として世界的にも有名なんだぜ?俺のところやフランスなんかでやってる品種改良の原種にもよく使われてる」
「おや、そうなんですか」

なんと。思わぬところで私の家のものが活躍していたのですね。
私もそう手先の不器用なほうではないですし、我が家の花卉産業に従事される方がアメリカさんやフランスさんのお宅で頑張ってらっしゃるというのは知っていたのですが、植物自身も頑張っていたのですね。

「これは、不勉強で。お恥ずかしいかぎりです」

己の不明を恥じ頭をさげると、慌てたようなイギリスさんの声で「ベ、別に謝られることじゃ‥‥!つーか俺ン家の品種改良が素晴らしいってだけで‥‥ッ!」とお返事です。いつものことながら可愛らしい方だなぁ‥‥とまぁそんな本音は今度こそ顔に出さず、やんわりと笑みを添えて軽く頷けば、イギリスさんもひとつ咳払いをして落ち着かれました。少々お顔に赤味が残るあたり、やはり可愛らしい方です。

「ま、まぁ‥‥何だ。だから家に植えるって言っても、半分くらいは改良の原種にするんだけど。でも、庭にも植えるぜ」
「はぁ」
「好きなんだ。素朴で、可愛いしな」
「はぁ」
「日本みたいだし」
「‥‥は?」
「え?‥‥て、あ?!」

‥‥ええと、ちょっと今もの凄く、その、恥ずかしいことを言われた気がするのですが。ていうかイギリスさん、なんで言った貴方のほうがそんな照れまくってるんですか、私が照れられないじゃないですか!!

「‥‥‥‥ええと、その」
「いッ、いやそのッ可愛いっていうのはコイツのことでだからこんな可愛いのが自生してる日本も可愛いとかってそういうことじゃ‥‥ッ!!!」
「えと、その、‥‥イギリスさん少し落ち着かれて」
「俺はおおおお落ち着いてるぞ?!」

あからさまに落ち着いていない口調でイギリスさんが言い募られるので、私のほうは逆に落ち着いてきました。平常心平常心。日本男児たるものこれごときで慌てたりはいたしません。さっき思いっきり慌てていたなんて記憶にありません。ないったらない。
‥‥と、そうこうしているうちにイギリスさんも落ち着かれたようです。はたはたと前掛けに落ちた葉や土を払って、2回咳払い。さすが紳士の国の方です、立ち直りも早いですね。

「まあ、その。‥‥綺麗だからな」
「ああ、はい、ですよね可愛い花ですよね。大事にしていただければ私としても嬉しく‥‥」
「花もだけど、その、に、日本も可愛くて綺麗だから!‥‥好きだ」
「‥‥ッ!」




‥‥‥‥ええい全く、この人は‥‥ッ!!




「そ、その私、お茶を持ってきますから!イギリスさんもお疲れでしょうし何か甘いお菓子とか‥‥ッ、失礼致します!」

着物の裾を翻し、一目散に屋敷へと走ります。ああ、草履にしていてよかった、下駄だったら転んでいたかもしれません。
敵前逃亡?いやいやイギリスさん敵じゃないですけど。そう、言うなればこれは戦略的撤退です。一旦退いて態勢を立て直すだけです、あとお茶とお菓子と‥‥。

「日本、」
「‥‥ッ」

‥‥撤退失敗です。某RPG的にいえば「しかしまわりこまれてしまった!」。いえ、正確には回り込むよりもっと直接、真後ろから腕どころか腰ごと持っていかれて、抱き締められたのですが。‥‥ああ、甘い香りがする。

「‥‥香りが、移ってます、イギリスさん」
「ん?‥‥ああ、バラの」

香りの強い種だからなハマナスは、と言い添える彼は、とても淡々とした口調です。
先ほどまで盛大に照れてたくせに。あれほど慌てていたくせに。慌てどころが違うんじゃないですか貴方。何で人のこと抱き締めて、あまつさえ耳元で囁くように話すとかって、なに淡々としてるんですかこの人は。

「日本」




ああもう、全く。
本当に。




「‥‥バラを。また、見に行ってもいいですか?」
「ああ。いつでも。‥‥いつでも、歓迎する」
「また、ハマナスが咲く頃に」
「咲かない頃にも、だ」
「‥‥はい」

頷いた顎を掬われます。
目を閉じる寸前に見たのは鮮やかな翡翠の瞳と美しく晴れ渡った、薔薇のようなあでやかな青空でした。

「‥‥好きだ、日本」









美しく晴れ渡った青空、辺りを満たすのは甘い香り。
私を絡め取るのは、甘い香りの優しいくちづけと、甘くて優しい彼の言葉。









  恋に零れた薔薇のフラグメント










the end.(2008.08.03)

作中の薔薇はハマナスです。因みに実も美味しいよ(固いけど)。
100エーカー以上の庭はさすがに狭いとは言いませんが、びっくりするほど
広いってわけではないのだそうです。因みに上野公園、128エーカー。
タイトルはウォン・ウィン・ツァン『午後に落ちた薔薇のフラグメント』から。