太陽を背負う後ろ姿、離した指先。
揺れる大気に手を伸ばせないまま、‥‥今一度、と。
この国の夏は、水の中をたゆたっているようだ。
水を含んだ大気がしっとりと身体に絡みつくように、それを時折吹く風がゆらめかせては溶けていく。
歩を進めるたび足元には太陽に灼かれた砂塵、視線の向うには陽炎がゆらめき立つ。
降り注ぐ夏虫の鳴き声は潤んだ大気に反響して、あたかも波の音。
寄せては返す、それでいて決して触れることは叶わない。
(まるであの日離した指先のように)
汗を拭ったハンカチはじっとりと、その水分だけ重みを増す。
ついた息さえ焼けそうな、そんな季節だ。自国ではない、この国の夏。
白い光の下にひっそりと佇む門扉をくぐる。
玄関へと続く短い小道には傍らに緑、下には目の細かい玉砂利が敷かれている。水を撒いたらしい、黒光りするそれらがシャリシャリと音を立てた。
革靴の底は傷むかもしれないが、この音が俺は結構好きだ。
もう何度聞いたか知れない、彼のもとへと向かう道が、俺は好きだ。
初めてこの屋敷を訪れてから、既に100年を越した。
あの頃とは自身の動機も周囲の情勢も全く異なる現状。けれどこの音だけは、不思議なほどに変わらないままだ。
無機物の立てる音だ、当たり前といえば当たり前なのだが、やはり、少しだけ不思議だと思う。羨ましいとさえ、思う。‥‥思惑一つで瞬く間に築き上げた関係も終わる、この身を思えば。
ばからしさに失笑する。言っても栓ないことをくだくだしく考えたところでどうしようもないものを。
‥‥白く優しい気配の傍ら、密やかに笑いあった。
あの日離した指先を。そう、もう一度、‥‥
「もう一度、」
零れ落ちた言葉は、夏虫の声波に攫われて消える。
我に帰って、ひとつ息をつく。熱く潤んだ大気が、体内を巡る。本当に水の中のようだ。この身体をしっとりとつつむ潤んだ大気、潤んだ、気配。
開け放たれた玄関の、濃い陰の奥に。
「‥‥日本?」
イギリスさん、と隣りに座した彼が呼ぶ。
「 」
潤んだ大気を震わせた、彼の言葉に震えながら手を伸ばした。
あの日離した指先を、今触れることが叶った指先を、強く握りこんだ。
零した涙は吹き抜ける風が攫って、夏の大気へと溶けて還った。
title/風待
end.(07./2008)
帰ろう、あの時へ。そして再び、いざ。
『片蔭』とセット。タイトルは夏の季語、陰暦6月のこと