「‥‥?」
彼の地に足を踏み入れた瞬間から、なんとなく感じていた。
無機物と最新のハイテクノロジーが支配する空港から、緑と黒がしめやかに彩る古式ゆかしい彼の屋敷に着くまでの、全ての場所で。
空気がさわついている、とでも表現したらよいのだろうか。
その気配は次第次第に濃くなっていく。
かといって人間たちの狂的な喧騒に溢れているわけではない。
街も人々も静かなまま、イギリスを迎え入れている。
だが。
ぴょこりぴょこりと飛び跳ねる、小さな角を生やした頭に小さな笠や冠を載せた小さな影。
艶やかな白銀の鱗をした大蛇が道沿いの家々を撫でるように訪なう。
立派な角を頭上に抱く黄金の鹿が頭をもたげ歩いていく。
地面につくほどに長い白髭を蓄えた禿頭の老人が緩やかに舞っている。
それを見守り笑いさんざめくのは、箒や旗のようなものを携えた、背に小さな翼を背負った者達。
錦の縁取りも鮮やかな衣を纏った仮面の女達が家々の屋根や生垣に腰掛けて、微笑みながら何やら密やかに話している。
静かな街を彩るかのように、誰も彼もが謡い踊る。
街も人々も静かでありながら、人ならぬ者達の言祝ぎが凛々と響き渡っていた。
イギリスはそれらをごく普通に見るともなしに見ながら、彼の屋敷への道を辿っていた。
彼にとり、人ではない者達は決して遠い存在でも恐れる者達でもない。
むしろ、人間よりもよほど慕わしい存在だ。
どのような地にも数の大小はあれども原初の昔から棲まう、小さく大きな者達。無邪気で時に残酷、しかし計算を必要としない彼らは、謀略と闘争の中に身を置かざるを得ないイギリスには、一種の安らぎともいえた。
この土地に初めて足を踏み入れたときも、そういった小さな者たちに思わぬ歓待を受けたものだが‥‥。
「にしても、今日はずいぶんと騒いでるんだな‥‥」
「何がですか?」
「ッ、」
生垣の向うに立派な庭を拵えた屋敷の玄関灯篭の上にちょこりと座ってイギリスへと手だか尾だかを振っていた、妙に陽気な小さな者に気を取られていたからか、やや斜め下からかけられた人の言語と柔らかな温度に思わず肩を震わせて、風を切る音がしそうな勢いで振り向いた。
振り向いた先には、見慣れた艶やかな黒髪と、見慣れない、驚きに見開かれた黒瞳。そして、結果的に振り払った形になった小さな手。
「すッ、すまない日本、振り払うつもりじゃ、」
「ああ、いえ‥‥急に声をかけたのは私ですし。驚かせてしまいましたね、申し訳ありません」
「あ、いや‥‥」
腰を折ってこの土地の流儀に沿った謝罪をする小さな和装姿に、イギリスは言葉を詰まらせる。頭を下げる彼が悪いわけではないことは百も承知だが、巧い返礼をする自信もなかったので、わたわたと手を振り言葉を濁して日本が頭を上げるのを待った。
サラサラと音がしそうな黒髪が緩やかに揺れて、小作りの端整な面立ちが顕わになる。やんわりと微笑んで此方を見上げてくる美しい佇まい、自分達西洋の者のエキゾティズムの粋とも言える美しさにイギリスは今更ながらの感動を覚えつつも、其れを素直に表すことが出来ないまま、素っ気無い声で再会の言葉を呟いたものだ。
背後や遠くの屋根や木々から冷やかすような笑いが聴こえたことは、とりあえず無視しておく。
「ひ、久しぶりだな」
「ああ、そういえばそうですね、イギリスさんが我が家にいらっしゃるのは。‥‥もっとも、電話会談や何やであまりお久しぶりの感じはしないのですけれど」
言葉の後半部分は殆ど独り言に近かったようで、日本にしては珍しいほどはっきりとうんざりした口調だ。しかしながら彼の言葉はイギリスにとっても尤もな感想であったので、緩く苦笑して同意する。
「まあ、もう少ししたら落ち着くさ。アイツはまだ子どもだから、許してやってくれ」
「はぁ、それはまあ‥‥というか、イギリスさんにそういわれてはどうしようもないと申しますか」
微妙な顔をした日本の遠まわしな言い方に、イギリスは苦笑を深めた。
海を挟んだ隣り住まいの元・弟がやらかした金融ショックをまともに引っ被って昏倒しかけたイギリスに言われては、確かに比較的傷が浅いとされる日本がそれ以上何かを言うのを封じたも同然と取っても仕方がない。そんなつもりはなかったものの、これ以上言及してやぶ蛇になるのは避けたかったので、「また今度フランスからドル供給のことで連絡あると思うから」と一言足して、ほっそりとした肩を撫でるようにたたいて話題を終わらせた。
と、同時にその手のひらになんとなくの違和感を覚えて、パチパチと瞬きをする。
「‥‥イギリスさん?」
「あ?ああ、いや‥‥ええと、日本、今日は少し着物が違う、のか‥‥?」
ほろりと零れた言葉はさして確信があったわけではなく。
ただ、静かなのに浮かれた雰囲気漂う街の、人ならぬ者達の言祝ぎにしっくりと馴染むかのような、何かを感じた気がしたのだ。
さやさやと周囲の空気が揺れる。
不意に、美しい金色を鱗粉のように纏いつかせた小さな者がほわりと出現し、先ほどイギリスが撫ぜた日本の肩にことりと舞い降りた。‥‥日本は、それに気がつかない。
街を闊歩しさんざめく彼らは、日本に見えていない。
ずっと昔、彼がまだ子どもだった頃には見えていたのだと。繊細な水かきと艶々と濡れる緑肌をした存在が切なげに呟いていたのは、一世紀近く前。愛しさと諦めに満ちた声音に、胸を突かれる思いをしたものだ。
小さいながらも目にも絢な煌びやかな衣で身を包み両耳の上で髪を結い上げた金色は、けれど気がつかない日本の頬や髪に触れては、心から嬉しそうに、にっこりと笑っている。例え日本が己に気がつかなくとも、遠い昔から自分たちが慈しみいとおしんで存在だと解っているのだろう。
ふと辺りを見回せば、日本の存在に気がついたのか、或いははなから彼の後をついてきていたのか、人ならぬ存在の気配が其処此処に漂っていた。その中にはイギリスが見えていることが解っているのだろう、彼に向かい、ふっさりとした尾やシャラリと美しい音を立てる錫杖を振っている者までいる。
愛嬌のある仕草に、思わず微笑み返して手を振ろうとしたところで、不思議そうな目で此方を見上げてくる日本に気がつき慌てて上げかけた手のひらをきゅっと握りこんだ。‥‥彼らが見えていない日本からすれば、イギリスの行動は意味不明極まりないだろう。
「あー、いや、その、‥‥き、生地が上等っぽく感じたからな!だからだ!別に何かちっせぇヤツらが肩にいたからとかそういうわけではなく‥‥っ」
「‥‥確かに、今日は普段着より少し上等な着物ですよ」
わたわたと言い募るイギリスの台詞の大半は聞こえなかったことにしたのだろう。日本の常識の範囲で捉えられる部分をクローズアップさせての応答に、イギリスはうんうんと頷いてみせる。
金髪の大国が見せるその仕草に可笑しみを誘われたのか、日本は口の端にうっすらと笑みを沿えて言葉を足した。
「今月は、秋の大祭の月なので。少し気分を出してみようかと思いましてね、10月は衣替えの時期でもありますから、帯と合わせてお召しを袷で新しく誂えたんです」
「大祭‥‥?Festival か?」
「そうですね、国柄でイギリスさんのお宅とは少し意味合いは違うかと思いますが。収穫祭とか、田守りの神様や冬を迎える前の神様を送り出したり迎えたりとか‥‥。宗教行事ではありますが、今ではどちらかといえば祭りの雰囲気をのんびり楽しむような感じです。場所によってはたくさんの方でにぎわいますが、この近辺では静かなものですよ」
「へぇ‥‥」
たしかに、彼の言うとおり通りには人間の姿はあまりない。
日本の言葉から察する「祭り」はイギリスでいうところのカーニヴァルあたりなのだろうが、仕事を放り出して一日中陽気な音楽や可憐な花々、軽やかな踊りや歌がこだます自国に較べると、同じ「祭り」と言うには無理があるような気さえする。まして、普段からおとなしやかな日本の家の人間が賑やかにしている姿自体が想像できなかった。
もっとも、それは歌い騒ぐのが「人間である」という制約があれば、の話であるが。
現に今も、そこここで様々な風体の存在が軽やかに舞い、美しい旋律の言葉を紡いでいる。それは古い日本語なのか、イギリスには何を言っているのかサッパリであったが、察するに収穫を喜ぶ歌であるとか、そんなところだろう。
(でも、日本には見えないんだよなぁ‥‥)
柔和な笑みを浮かべて佇む日本には、普段と変わらぬ閑静な住宅街としか見えていないのだろう。
それはなんとも残念で、切ないことだと思った。
日本を愛して歌い踊る彼らにとっても、愛されながらも姿を見ることがない日本にとっても、だ。
肩にとまったままの金色は、今も嬉しそうに日本の耳や頬に身体を摺り寄せては笑っている。
足元には、まだ生まれたばかりなのか白銀というには半分以上透明な小蛇が鎌首をもたげて日本を見上げ、もさもさとした毛玉のような者達がころころと転げまわってはサラサラと美しい音をたてている。
日本が好きで好きでたまらないと、こんなにも彼らは身体中で表現しているのに。
「‥‥でも、好きなんです」
一瞬、イギリスには日本の言葉が理解できなかった。
否、シンプルな言葉だから間違いなく聞き取れたのだが、その言葉が示すところが、いまいち解らなかったのだ。
「え?」
「‥‥あ、ちょっと唐突過ぎましたね」
そんなにも不思議そうな顔をしていたのか、イギリスと目があった日本が照れたように笑って言った。ほんのり赤くなった彼の頬を、軽やかに空を駆けてきた4本足の大柄な獣がべろりと舐めた。厳めしい顔つきは、けれど日本を害することなど微塵も考えていないと解る愛情と叡智に満ちた表情で、黄金色の豊かなたてがみが日本の小さな身体をふわりと温めるように包み込んだ。周りの小さな者達が笑い歌い、さんざめく。
日本には勿論、そのような光景は見えていないはずだ。
筈なのだが。
「季節の移ろいが顕著な我が国ですが、とりわけ秋は、好きなのです。何故かと問われると困るのですが‥‥。秋祭も、昔に較べるとどこも規模を縮小してしまいましたし、何があるというわけでもないのですが。ただ、少し‥‥」
「少し?」
継ぐ言葉を捜すように黙した日本を、イギリスは見つめた。
ふわふわと舞う金色、寄りそう霊獣、歌いさんざめく人ならぬ者達とともに。
ただひとり、愛しい存在を、ひたりと。
「‥‥木々は枯れ、日々寒くなる寂しい季節な筈なのに、温かい気がするのです。私は決して、独りではないのだと‥‥いえ、一人なのですけれど、独りで生きているわけではないのだと。ただ、何となく思うのです。‥‥いい季節で、だから、好きなんです」
「‥‥そうか」
ふんわりと微笑んだ日本に、イギリスも笑みを返す。
次の瞬間、日本が驚いたように目を見開いてからぱっと視線を外したのだが、日本の笑みに周囲の人ならぬ存在がどっと歓声をあげたのに気を取られたイギリスは気づくとこともなく。
凛々と響き渡る美しい旋律はいよいよ高らかに街を、この国を満たす。
日本の肩に座る金色がおもむろに立ち上がり、両手を広げてなにごとかを謳い始めた。紡がれる美しい音色はイギリスには解らない言語ではあったのだが、‥‥何を言っているのかは、今はもう解る。
「確かに、いい季節だな。‥‥俺も好きだよ」
「‥‥ありがとう、ございます」
小さな者達が繰り返し紡いでいるのだろう、同じ言葉を。
手を伸べながら、イギリスも紡いだ。
小さな手がそっと触れるようにのせられる。
それを握り込むようにしっかりと繋げば、繋がれた手づたいに日本の周囲を舞っていた小さな存在がイギリスの肩や頭へと駆け上がってきた。
日本には解らない微かな重みと肌をくすぐるようなステップに、イギリスは柔らかく微笑む。そして、イギリスにとっては慕わしい、小さな者達を纏いつかせながら、恋人の屋敷へと、手を引いて歩き出した。
半歩ぶん後ろ、手を引かれながら歩く日本が、常にはない優しく優雅なイギリスの微笑を目にして顔を赤らめるのを、黄金のたてがみで彼を柔らかく包んで寄りそう霊獣がじっと見つめる。
べろりと赤い大きな舌が、恋人と繋がれた日本の指先を舐めた。
「‥‥?」
「‥‥日本?どうかしたか?」
「あ、ああいえ、なんでも。‥‥あ、今日は栗金団を作ったんですよ。食べていってくださいね」
「栗きんとん、っていうとあれか、正月に出してもらった」
「あれもそうですが、今回のは小さなお菓子ですね。蒸してすり潰した栗に餡を足してまとめたものです。紅茶にもあうんじゃないでしょうか」
「へぇ、じゃあ俺が紅茶を入れてやるよ。‥‥楽しみだな」
言葉どおりに楽しそうに笑ったイギリスに、日本も赤味の引いた頬を緩めて笑みを返す。年を経てもどことなくあどけないこの人は本当に可愛らしい、とひっそりと思ったものだ。
そんなイギリスの笑みに気を取られた日本は、さらりと指先に触れられたような気がしたことを忘れてしまう。
それでも霊獣は嬉しそうに日本の身体へ寄り添い、愛しい子どもの身体を暖かに包んでいた。
そなた想ひし秋によせ
the end.(2008.10.05)
秋祭りがあったので。日本ほど祭り好きな国もめずらしいと思います