犬という生き物は、本当に鋭いものだ。
例えば彼らは、足音でそれが何者であるかを判断するのだという。
ドアの向こう遠く離れた場所、主人の足音を聞きつけて、玄関先で待っていたりだとか。あるいは、慌てたような足音に危機を察知して駆けつける、だとか。
彼らは優しく忠実で、素敵な生き物だ。
無論、この家に住まう彼とて、例外ではなく。
「寧ろ、特別なくらいに賢いんじゃないですかね、ポチくんは」
動物の飼い手であれば誰しも一度は真面目に思案したことがあるであろう発想を、例に漏れず日本も大真面目に考えつつ、ふわふわしたしっぽを見送る。
場所は日本邸、炬燵が置いてある(夏には扇風機だ)居間。
時間は、9時56分。日々の時間差はプラスマイナス10分で。
朝から炬燵に篭ってダラリと過ごしていた日本の傍で、ふんわりと丸まっていた飼い犬はしかし飼い主と違い今日も勤勉だ。
飼い主の傍から立ち上がり、少しだけ開けたままの襖を器用に引き開けて(まあ、閉められないのは仕方がない)トタトタ、カチカチと彼の爪が軽く廊下を叩く音が次第に離れていって。
わん。一声。それに応じる快活な声、バイクの排気音。
ああ、祝日の本日も働く国民の皆さんに幸あれ!
カチカチ、トタトタ。小さな彼の足音と。
サリサリサリ。彼が携えてくる、手荷物をひく音。
「‥‥はい、ご苦労さまですね、ポチくん」
炬燵におさまる飼い主の傍まで来て「其れ」を差し出した飼い犬に、日本は労いの言葉を掛けつつその小さなふわふわした頭を撫でる。
くぅ、と甘えた声を出す彼を抱き寄せて膝に乗せ、首に掛けて持ってくる、彼専用に誂えられた郵便屋袋に入れられた郵便物を取り出した。
そもそもは毎日決まった時間に訪れる郵便屋のバイクの排気音、郵便屋の声掛けに「はい、はい」と応じて彼の傍を離れていた飼い主たる日本の行動を彼が見覚えたのが原因だった。どうやら彼の中に、『あの音(バイクの排気音)がすると玄関に出る』公式が出来上がったらしい。‥‥ああ、本当に賢いものだ。
日本は膝上におさまる小さな身体を撫でつつ、彼に微笑みかける。提げた袋には様々な形式の郵便物が、今日はたっぷりと。
‥‥結構に重かっただろうに、ああ、まったく彼は賢くて優しい!
とまあ、これまた世間一般の飼い主達と寸分違わぬ感想を持ちつつ、日本は卓上に置いた袋へと視線を遣った。
たっぷりと郵便物が詰まった其れは、小さな犬の身体に掛けられるように持ち手(掛け手?)がつけられた、小さめの袋だ。引き摺っても大丈夫なように丈夫な帆布製。且つ、日本の郵便屋なイメージで熟れた苺のような綺麗な赤に「ゆうびん」と平仮名で丁寧な刺繍が施されている。
最初にこの袋を肩に掛けた飼い犬の姿の可愛さに写真を山のように撮影したのも、まあ世の飼い主の正しい姿、といえなくもないだろう。
その時のことを思い出して苦笑しつつ、卓上に郵便物を纏めて取り出す。
「‥‥‥ああ、いいものですねぇ」
呟いてからそっと手に取った、メッセージカード達。
飼い主の呟きに反応して、膝の上の温みがそっと耳を震わせた。
とりどりの色が乱舞するような大判のカラフルなミュージックカードは、歳若い大国。電子音で奏でられる馴染み深い可愛い曲、少し癖のある字で『今度ハンバーガーおごるよ!』と。どれほど大国になろうとも稚気の抜けない、可愛いものだ。
堅苦しい白い定型状は、やはり歳若い、しかしかつては苛烈な戦場を共に駆け抜けた欧州の友人から。『おめでとう』、彼の国の言葉と日本語で。一見素っ気無い不器用さがいっそ可愛いと思うのは、年長者の特権だろう。
美しいフォルムに鮮やかな色彩の絵が書き込まれたものは、やはり欧州の美しき友人兄弟。世界を魅了する土地の歴史そのままに軽やかで美しい彼らを思わせる、パステルの風景絵に色止めした綺麗な花弁が貼り付けてある。『パスタ食べにきてね!』はい、是非とも。
凍てついた大地の夜を思わせる藍色のカードは、北の大国より。メッセージはなし。決して仲が良いとは言い難い相手だが、藍地に映える銀の月と雪の結晶を散りばめたカードは素直に美しい。朴訥としたあの方らしいといえば、そうなのだろう。
兄弟の国に似てカラフルだけれども少しだけ控えめな、大判のカード。『おめでとうございます』はい、ありがとう。開いた瞬間に甘い香りがしたのは気のせいなのかそうでないのか。縁に箔押しされたメイプルリーフの繊細さが、案外最初の養い親ににた美的センスを感じさせて素敵だ。
少し小ぶりのシックな色調のカードは、その養い親だ。中央にシンプルな一文。世界一美しい自国言語をこよなく愛する彼らしく、彼の国の言語を流麗な装飾レタリングで『愛は光。貴方の愛に満ちた日々を祈る』。ええ、華々しくはないものの、それなりに満ち足りた日々を送っていますよ。
どのカードも、どの方も。
心優しい、気遣いに溢れた素敵なものばかり。
膝上の温みを撫でながら、一通一通、ゆっくりと目を通す。
誕生日にカードを贈りあおう、といったのは、何時の席で、誰だったか。
火種は各所で根深く燻りつつも、それでもどこか安穏とした平和らしきものを享受できるようになった頃。交流が制限されていた旧同盟国ともやり取りができるようになり、そして血で血を洗う戦闘を繰り広げた面々とも、手を取り合うことが出来るようになってから。そう、言ってみればごく最近のことだ。
誕生日とはいっても、自分たちにしてみれば歴史上の通過点であって、『国家』としてはともかく『個人』として必ずしも嬉しいばかりでもない者も多い。あるいは、そういった日さえ制定していない国もある。
けれど、それでも。それでも、折に触れ言葉を告げあえることを楽しむのは悪くはないと、頷いたのだ。
以来、ぽつりぽつりと届くようになったメッセージカード。
政情や様々の思惑に振り回されつつも、年を追うごと増えていった。
新たに仲良くなった国。ずっと昔から仲が良かった国。
‥‥ずっと、待ち望んでいた国。
最後に手に取った一通。
「ああ‥‥」
オフホワイトの封筒に、薔薇の封蝋。
優しいオールドローズのカードに濃い黒のインク。少し堅苦しい、けれど丁寧な筆記で。
心優しく、気遣いに溢れ、‥‥心を震わせる、言葉。
一度は、袂を分かった相手だ。苛烈な戦場にあって刃を交えもした相手。一方で自然を愛し、どこか寂しがりの子どもにも似た瞳で此方を見ていた。優しいひとだった。優しい言葉をくれたひとだった。いつだって。
遠い海の向こうから。‥‥今も、まだ。
「私も、です」
思わず、零れた。
ひょい、と膝の上に座っていた温もりが立ち上がった。
ふるりと小さな身体をひとつふるわせ、飼い主を見上げてくる。
「どうかしましたか、ポチくん?」
問いかけには、当たり前だが言葉は返らない。
ただ、彼はいつだって持ち前の鋭さで、飼い主の心を察する。
トトト、と膝上から降りた彼が持ってきたものに、日本は苦笑した。そして、そっとその小さな頭を撫で、『其れ』を受け取る。
犬と言うものは本当に鋭い。優しく忠実で、‥‥時に飼い主の背中を押す。
「あなたは、本当に賢いですねぇ。‥‥そう、言葉は、伝えなければ」
彼がそうしてくれたように。数十年の時を経て、再び告げられた言葉へ、今、返さなければ。
賢く優しい小さな身体から手に落とされた携帯電話を、ゆっくりと操作する。
片手には淡い色に想いをのせたカード。
ぱたぱたと小さなしっぽが揺れて、甘い声音で話す飼い主を見守った。
「もしもし、‥‥お久しぶりです、イギリスさん」
『誕生日おめでとう。貴方の存在が私の温もり。いつも、いつまでも愛しています。』
リトルナイト
the end.(2009.02.11)
誕生日に寄せて
戦後からこちら付き合いがなかった設定で
まあ、この設定はにーに相手とかのほうがしっくりくるのですが(苦笑)
どの年代かはつっこまないでください
すっきりしないのでそのうち手をいれるかもです