彼此の狭間に棲まう異形の者達。
優しく無邪気で悪戯好きな彼らを、イギリスは心より、愛している。









妖精は棲んでいる場所によってかなり姿形が違う、とイギリスは思う。

自国の身近にいる彼らは小さな者から大きな姿のものまで様々いるが、どちらかといえば人の姿に近いものが多い。勿論生粋の人間には在り得ない緑色の髪や虹色に透きとおる羽根などを持つが、やはり母国であるからか距離が近く最大限の好意を受け、彼らの言葉を聞き取ることも出来て、親密な意思疎通さえ出来る。
対して、いつだか南の島で出会った精霊たちは、もっと原始的というか、ふわふわでもしょもしょでもっさもさだった。あれはあれで愛くるしく、何より突然現れた自分にも無邪気に好意を示してくれた点がよかった。

‥‥そして、いくつもの大陸を越えてやってきた、極東の島国では。




「‥‥わッ」
「え?」

咄嗟に零れてしまった声に、先行していた日本が振り返る。
露を含み冬に向けて熟していく落ち葉の降り積もった地表を食んだ草履が、どこか不可思議だが落ち着く音で鳴いた。
その音に、今度は反射的に目を閉じて顔を押さえ俯いたイギリスが、顔を上げる。
カチリと合った視線の先、驚きに見開かれる夜色の瞳を見た。

「‥‥え?!イ、イギリスさん、どうかなさいましたか?!何か、どこかお怪我でも、」
「ああ、いや、そうじゃないんだ」

手のひらで頬から口元を押さえるイギリスの姿に、かなり驚いた様子の日本が慌てた風に踵を返す。和装の裾を翻して走る彼に、数歩ぶん開いていた距離を一気に詰められた。さすが自宅の庭先という慣れた場所であるからか、慌てた足元にも不如意な部分はない。
小柄な身体、少しだけ見上げてくる目線。
しっとりとしてどこか仄甘い、けれど心を落ち着かせる彼の匂いがイギリスの鼻腔をくすぐる。

「ッ、」
「イギリスさん?」

‥‥前言撤回だ。多くのひとの心を落ち着かせるだろう香りは、けれどイギリスの心だけをいつだって激しくざわめかせる。

「あの、何か」
「いや!本当になんでもないから!‥‥ちょっと驚いただけで」

尚も眉の端を落としてこちらを見上げる黒瞳に、イギリスはきっぱりと否定の言葉を返した後で、もそもそと言葉を付け加えた。
そう、少し、驚いただけだ。
頭の中で呟くように言葉を形作って己を落ち着かせ、顔を覆っていた手のひらを慎重にはずす。瞬間、ひやりとした感覚は、いわゆる気化熱というものだろうか。

「あの、イギリスさん、お顔に‥‥」
「ん、ああ。‥‥上から、零された」
「え‥‥」

言いながら視線だけで日本を誘導すれば、違わず彼の細い頤がついと持ち上げられて、上向く。
その動作によって晒された喉元の白さに一瞬目を奪われたあと、イギリスも合わせる形で軽く仰のいた。

そこにあるのは太い幹から無数の枝葉を広げる、大樹の懐だ。
夏の滴る緑を残す青葉と、冬の眠りの季節を控えて色を落としていく秋の葉達。
数え切れない多くの葉は僅かにそよぐ秋風にまるで秘密の話をしているかのように微かにさわめき、その向こうから降り注ぐ陽光をまるで光る海のように瞬かせる。
街中の家に構えられた庭木であることを思えば驚くほどどっしりとした根を張る幹は黒々と美しく、さんざめく葉達を抱きこむようにして泰然と佇んでいる。
声なき生命力とでもいうのか、その息を呑むほどの存在感を、イギリスと日本は暫し無言で見上げた。

「‥‥夜露の名残、でしょうか?このところ昼夜の温度差が増してきましたから‥‥」

ほろりと、静かな声が零される。それはイギリスに対する言葉というよりは、日本自身が納得する為に零された独り言めいた響きをしていた。事実、その自身の言葉に安心したかのようにほぅ、と息をついた日本は、仰のかせていた頭を戻して、イギリスへとやんわりと笑いかけたものだ。

「失礼致しました。‥‥夏も終わりですね、植物はいつだって正確に季節を教えてくれます」
「ん、そうだな」

客人に対し、なんらの害を与えなかったことに安堵したらしい日本に、イギリスもまた口の端を上げて声を立てぬ笑みを返す。する、と頬から零れ落ちるひんやりとした感触に、指先で其れを拭った。‥‥少しだけとろみを帯びた、透明な液体だ。
それを見るともなしに見たイギリスの視線を追って、日本もまた客人の指先へと視線を当てる。それから、くすりと笑った。
不意の笑みに、イギリスは一つ瞬いて友人へと視線を遣る。

「日本?」
「ああ、いえ。‥‥猿酒でしょうかね?」
「は?」

聞き慣れない異国の言葉に、イギリスは思わず問い返したものだ。
日本はくすくすと笑いながら袂から懐紙を取り出すと、イギリスへと手を伸べてくる。その意図を知ったイギリスは、内心甘く震えた心を綺麗に押し隠して、ごく自然に、少しだけ身をかがめた。
近くなった距離、ふわりと、彼の匂い。

「‥‥サルザケ、ってなんだ?」

頬や口元をそろりと懐紙で撫でるように優しく拭ってくる指先に心を半ば持っていかれながら、イギリスは先ほど聞いた言葉を問うた。日本とは欧州の連中と較べればずっと浅い年月しか付き合いはないのだが、年月のみが関係の深さと比例するわけでもない。けれどその中でもついぞ聞いた覚えのない言葉に、興味を覚える。
イギリスの素直な興味が現れた台詞に、日本もまたやんわりと微笑む。
白い肌を拭い終えた懐紙を袂へと戻し、ふ、とひとつ息をついてから、先程より寄り添うように近くなったイギリスに、にこりと笑いかけた。

「猿酒と申しますのは、猿が樹木の洞や岩のくぼみなどに木の実を蓄えておいたものに雨や露がたまって、自然に醗酵して酒となったものを指します。その味は甘露の如し、五臓六腑に染み渡る万病の妙薬であり不老長寿の霊酒だとか」
「‥‥‥‥この辺は街中だが、猿がいるのか?」

滔々と歌うように語られた言葉への返答に、けれど日本は噴き出すようにころころと笑ったものだ。

「いいえ、単なる俗説、口碑の類ですよ。まあよほどの深山にでも行けばあるかもしれませんが、さて、猿の皆さんがお酒を好むかどうか」
「飲むんじゃないのか?酒は美味いぞ」
「おやおや、イギリスさんがおっしゃると妙に説得力がありますねぇ」
「どういう意味だコラぁ」

真面目な口調での軽口に、イギリスも凄んだふりをして言葉を返す。
予定調和めいた遣り取りは気安く、控えめに笑い続ける肩に触れれば、そっと身体を凭せ掛けられた。

視線を、交わす。

小柄な身体は和装と秋風につつまれてしっとりと、温かだ。
絡め合わせた指先は互いの体温を分け合って、心地よい。
触れ合わせた唇は、柔らかく熱く、いとおしい。

恋の妙薬とは限らないけれど

「‥‥甘露、でしょうかねぇ」
「さぁ?‥‥甘くはあるな」
「猿酒が?」
「分かりきったことを聞くのは、この口か」

くすくすと零れる笑い声に密やかな睦言を織り交ぜて交わすくちづけは、酷く甘いものだった。




甘やかな交歓を続ける恋人達の頭上では、秋を迎えて眠りの季節を待つ大樹が低い声で秋風に歌っている。
深い夜色の目を伏せて腕の中に納まっている恋人へと、優しく甘い愛撫を繰り返しながら、イギリスはちらりと一瞬、露を零した美しい大樹の葉陰へと、柔らかな視線を投げた。

翠の瞳に映るのは、艶やかな衣装を身に纏い枝に腰掛ける異形の者達。
その白く長い腕には、仄かに明滅する徳利が抱かれている。

そこから再び、ほろりと雫が零された。
木陰を通り抜け様に樹上から掛けられた軽やかな呼び声に、上を向いたイギリスの顔へと零されたものとはまた姿を異にして、ふわり瞬く霊酒は長く尾を引き恋人達の頭上をきらめかせたあと、星屑のように散って消えた。
‥‥大樹の精霊からの贈り物は、彼らの愛する黒髪のこどもとその異国の恋人を祝福してくれたものなのか、それは言葉を聞けなかったイギリスには、正確には解らなかったけれども。

「‥‥甘いな」

柔らかな唇を啄ばむように落としたくちづけに笑った日本の姿に、彼らもまた、笑ったから、それはそれで、きっと。




異国で出会う、彼此の狭間に棲まう異形の者達。
優しく無邪気で悪戯好きな彼らを、イギリスは心より、愛している。









勿論、腕に抱く恋人への深い想いとは、較べようもないけれど。









  秋甘露





the end.(2009.09.06)

猿酒かかんばせを打つ滴あり(阿波野青畝)
猿酒は秋の季語。酒に関する季語は結構たくさんあります
秋だと、「新酒」「濁酒」「猿酒」「古酒」。^^
因みに「甘酒」が夏の季語というのは、現代人にはちょっと不思議な感じがしませんか?