縁側に、夏の日差しが影絵を描いている。
年を経ることで飴色に姿を変えた板材は、不可視の陽光によってまるで切り分けられたように明度を変え、そうして描かれた陰影はあたかも美しい透かし文様だ。その上に、庭に植えた庇代わりの夏木が水影のごとく淡く揺らめく影を落とす。
まるで天然のキャンパスだね、歌うような口調でそんな素敵なことを言ってくれたのは、数年前に訪れてくれた地中海に愛された太陽と芸術の国の友人だったろうか。
感情豊かで陽気な旧友を思い、日本は影の部分を足音を殺して進みながら、密やかに微笑む。淡い浅葱色の夏足袋は薄い仕立てなせいか、陽光に熱せられた縁を歩くのは結構に辛かったりするのだ。
はて、これは温暖化の影響か、はたまた自分が軟弱になったせいか。
携えた盆の上に据えた麦茶の氷が鳴く。その傍らには糖蜜と練乳、小豆餡、冷やした果物を添えた素朴な夏氷。熱い季節にはうってつけの菓子だ。
ほんの十年、五十年前まで、エアコンはおろか今はこんなに簡単に手に入る冷菓を冷やす冷蔵庫すらなかった時代の夏を、今ではどうやって過ぎ越してきたのか、忘れてしまった。

‥‥さて眼前の、竹筵を敷いた縁側に憩うひとは、五十年前も百年前も変わらない、暑さを感じさせない涼しげな佇まいをしていたのだろうか。

「イギリスさん」

呼び声に、緩やかな所作でイギリスが視線をめぐらせる。
初夏を思わせる翠緑の瞳は、涼しげな外見とは裏腹にこの暑さにかなり参っているのだろうことが窺えて、日本は申し訳ない気分に駆られた。
携えていた盆を金の彼の傍らに置くと、日本は足早に彼の後ろを行過ぎて奥に立てかけていたよしずを引き出し、庇へと手早く立てかける。燃える太陽は既に中天を越してはいたが降り注ぐ日差しは日盛の其れだ、暑くないわけもない。
よしずを掛けたことで影絵の舞台は影一色に染まり、夏日陰にきらめていた金髪も淡く色を落としたところで、日本はほっとひとつ息をついたものだ。
それから改めて、ひとり座していたひとの傍へと、歩み寄った。




「日本」

縁側越し、声をかけられるのは夏の訪いの常であった。
風通しのよいように屋敷内の戸という戸、扉や屋根まで替えてしまう夏仕立ての館は、確かに玄関からかしこまって訪いを告げるより、開け放した木戸をくぐり打ち水をした庭の飛び石を踏んで気軽に声をかけるほうが似合いな気がする。‥‥まぁ、年がら年中玄関といわず窓と言わずハリウッド仕込みのアクションで飛び込んでくる子どもは別として。
果して、暑気に仕事も趣味も進む気がせず絽の単衣を着崩して畳に寝そべっていた日本を起こしたのは、縁側に現れたすっきりと整った麻の夏衣も美しい、涼しげな色合いのイギリスであった。
慌てて居住まいを正し菓子と茶を用意する名目で台所へと引っ込み、菓子を用意する傍ら襟や帯を直して戻るまで、確かに僅か数分程度ではあったのだが。

「イギリスさん、縁側は暑いでしょう。中に入っていてくださって構いませんでしたのに。‥‥どうぞ」

若干苦言めいた口調になるのを抑えられないまま、日本は先に置いていた氷菓子を載せた盆を座るひとにすすめたものだ。
それでなくともこのひとは、というか世界の大半の友人は、この国の高温多湿の夏に慣れていない。日本ですら年々暑くなっていくように感じる極暑をようやっと越している身なのだ。此処よりも緯度の高い、爽やかな風の似合う西の果てに住まう彼にとっては辛いばかりだろう。
とはいえ、そこで了解したとばかり上がりこむ遠慮のなさを持ち合わせているひとでもない。パーソナルスペースに対する意識が高いお国柄なのだ。せめて先に靴を脱がせてから台所に行くべきだったと、今も裾から覗く上品な靴下と革靴の足を敷石に揃えて下ろしているのを見遣って、日本はひっそり反省した。

よしず越しの日差しが器の氷に反射してまたたく。
菓子に伸ばされる指先は、透き通るように白い。

この色味だけならばとびきり涼しそうなのに、と日本は埒もないことを考えた。
日陰にあってもなお輝く金色、芳しい風を思わせる森の緑。アジア系である己よりは大きいが、欧州にあっては小柄な痩身。
どれもこれも己が身とは縁のない色と形で、そんなひとが今このとき、己の隣に座りぼんやりと夏氷を口にしているのが、不意にもの凄く不思議なことに感じられた。
五十年前も百年前もこの姿であっただろうひとの、二百年、三百年前を自分は知らない。‥‥否、遠き海の果てに「在る」ことは心得ていたが、それは『このひと』ではなかった。不意に訪れ、縁側でぼんやり菓子を共にするような、彼ではなかった。
果ての覇権、世界を従えていた、太陽の沈まぬ大帝国。

きっと、会うことなどないと思っていた。‥‥心通わすことなどないと、思っていた。

「美味いな、これ」
「‥‥え?」

声を掛けられたことで、己が物思いに沈んでいたことを日本は悟る。
はっと寝覚めにも似た意識の切り替えでそのひとを見遣れば、端正な面差しを少しだけ緩めて、銀器に掬った削り氷を見ていた。思いのほか甘味を好むイギリスの舌にあわせて練乳と糖蜜をたっぷり入れたのがよかったらしい。くわえて、削った氷の目が細かくなるように水から砂糖を加えてある甘い氷なのだ。この味は頻繁に遊びに来る北米の若者にあわせたものだが、そういえば彼らはもとより兄弟の縁を持つひとたちであった。
三百年前、四百年前。その頃の彼らを、自分は知らない。
あの若者を折に触れかまいつけ甘やかしたがる素振りを見ていれば、フランスやスペインらに聞く当時の溺愛ぶりも想像できはするけれど、やはりそこは想像でしかない。
四百年、五百年前の彼は、どんなひとであったのか。それは、日本には知りようのないことだけれど。

「‥‥ああ、氷の、おかわりをお持ち致しましょうか。お暑い中いらしたのですから、水分を摂らないと」
「ああいや、まだあるから」

いい、と言う手元には確かにまだ氷が残っていた。
かみ合わない台詞に自分がぼんやりとしていたことを改めて意識して、日本は恥じ入る。客たる相手の前で気を抜くなど、あってはならないことなのに。
日本はふ、と息をつくと庭に視線を飛ばしがてら、ぺちぺちと頬を叩いてみる。炎天が齎す熱にうっすらと浮かんだ汗が手のひらをじっとりと濡らしたのに、もう一度ふ、と息をつく。
と、不意に隣りから小さな笑い声が零された。
油を注いだように照り輝く緑の庭に飛ばしていた視線を返せば、匙を器の縁に置いたイギリスが小さく小さく、笑っている。‥‥凛然とした面差しは笑うと存外幼くなるのに、このひとは気がついているのかいないのか。
思わず見つめてしまったことで、非礼を咎められたと思ったのか笑みを収めたイギリスが心持ちばつが悪そうに日本をちらりと見遣ってから、僅かに目を伏せた。
金色の睫が白い頬に、影を落とす。己にはない色彩。
氷に温みを奪われたのか、僅かに赤みを落とした唇がそっと動くのを、見つめた。

「‥‥えっと、すまない、疲れてたんだよな」
「え?」
「その。急に、来ちまったから」

バカンスなんだ、と。
小さな声で言われた言葉に、ああそういえば、と日本は他人事のように思う。実際他人事ではあった、この国では、夏だ冬だと何週間も休暇をとるような習慣はない。
これも文化の違いの一つであろう、いっそ西欧化が進んだ時代に自分の家にも根付けばよかったのに、などと思いもしたが、休みが取れたからと軽やかに遠出するようなメンタリティをしていない自分も同時に思い出し、日本は思わずふきだしてしまった。‥‥布団に包まってぐだぐだしながら、仕事がないことにそわそわしている自分の姿が目に浮かぶ。
唐突に笑った日本に、今は麦茶入りの切子グラスを手にしたイギリスがきょとんとした視線を向けてくる。

「日本?」
「ああ、いえ。申し訳ありません。少し思い出し笑いを」
「そ、そうか」
「それになんだか新鮮でしたので。ええ、どこかのすっとこどっこいなどからは天地がひっくり返ってもでてこなさそうな言葉ですし」
「‥‥‥‥。」

八つ橋にくるんでいるようで全く包まれていない言葉に、自らの教育について思うところがあったのだろう、麦茶片手に難しい顔をするイギリスに、日本は最後に軽く声を上げて笑い、収めた。

「そうでしたね、イギリスさんのおうちのほうにはバカンスがあるんでした」
「あ、ああ。そうだ。お前んちにはなかったんだよな。‥‥もっと休めよ、身体壊すぞ」
「葉月の半ばにはお休みがありますよ。でも、お気遣いいただきありがとうございます、嬉しいです」
「なっ、べ、別にお前が働きすぎて倒れるんじゃねえかとか心配じゃなくって、いっ、いろいろ国際会議なんかで支障がでたら俺が困るからな!俺のためだ!」
「はい、倒れないように気をつけますね」

そろそろ聴き慣れた彼らしい照れ隠しを、日本は笑みを沿えて軽くいなす。初めて似たようなことを言われたときには困惑したものだが、付き合いが深まるにつれ、いっそ微笑ましく温かな気分にさせられるようになった、イギリスの言葉だ。
温かな気分を笑みにかえてそのひとを見遣れば、薔薇色に染まった白い頬が、ふい、と向こうへ逸らされる。
赤い耳の縁と襟足。金の睫が落とす影、指先の白。
己にはない、美しい色彩。‥‥見惚れるには十分な、鮮やかな姿。

百年、二百、三百年。
ほんの数百年前まで、このひとを知らなかった。
ほんの数百年で、このひとに、恋をした。

「バカンスですか‥‥。では、暫くこちらに?」
「あ、ああ。ホテルも取ってある」
「おや、そんなつれない。どうぞ拙宅にご滞在くださいませ」
「えっ、いや、でも悪いだろ、急に」
「‥‥その台詞をどこかのすっとこどっこいに聞かせてあげたいところです」
「‥‥‥‥‥‥すまない」
「すまないと思うならばどうぞ家へいらしてくださいな。爺の独りと一匹住まいです、たいしたもてなしは出来ませんが」
「そんなことない!この菓子すごく美味いぞ!」
「おやおや、恐れ入ります」

今度こそおかわりをお持ち致しましょう、そう言って空になった器をさらえば、振り向いたイギリスの驚くほどに真っ直ぐな緑の視線が追いかけてきた。
潤む空気に揺れる鮮やかな金、あでやかに澄んだ翠緑。己にはない、見惚れる色彩。‥‥それは、相手にとっても、と。




出会って数百年、この色に己は恋をして。‥‥この色に、己が恋をされているのにも、気がついてはいるけれど。




「に、日本」
「はい、なんでしょう?」
「‥‥‥‥なんでもない」
「そうですか」

薔薇色の頬と雄弁すぎる緑の瞳に柔らかく微笑んで立ち上がれば、主張の激しい眉の端が微かに落ちて、金色の睫が頬に優しい影を落とすのが見て取れた。‥‥ああ、なんという可憐さ!
思わず快哉を叫びたくなるような姿に、けれど日本は笑みを一つ残しただけで台所へと足を向ける。立てかけたよしずの影から出た縁側の先には、彼を知らなかった数百年前とも変わらぬ影絵。

百年、二百年、三百年。
彼を知らずに過ごしてきた年月は長く、恋を知って過ごした年月もまた、長く。
そうしてこれからも、長い長い年月を共に過ごせていければいい。
‥‥いつか何かまた、違う関係性になれるだろうか?

「さてそれは、百年、二百年、三百年後、ですかねぇ?」




「日本」




呼び止めた声、抱き締めてくる白い腕。縁側の影絵が二人、重なる。




「好きなんだ」
「はい、私もです」









違う関係性の始まりは氷菓子の解ける間もない、ほんの数秒後のこと。









  夏  暁 





終 (2010.08.07)

歳時記シリーズ・夏
麦茶、夏氷、よしず、極暑、夏日陰、日盛、竹筵など他にも
おじいちゃん同士がゆっくりした恋愛してるのは可愛いと思います
にっさまがイギの色に見惚れてるのと同様、イギもにっさまの黒髪黒瞳に見惚れてるという設定