「少々お待ちくださいね」
そう言い置かれたイギリスの目の前、連続した動きで次々にドアが開けられていく。
‥‥ドア、と言ってもよいのだろうか。否、「空間と空間を繋ぐ仕切り」と定義するならば、ドアなのだと思う。何故なら其れを開け放った先は部屋であったり庭であったり、或いはイギリスには馴染みの無い土間、と呼ばれる空間であったりするからだ。
更に材質ときたらガラスと思えばあちらは木、それも薄いものと厚いものが幾重にも。時には紙でできていたりするそれらを迷いもなしに手際よく、けれど慌しくは無い優雅な所作で次々に開放していく恋人の背中をイギリスは視線で追う。
追いながら、つくづく不思議な間取りの空間を眺めたものだ。
「部屋から続くドアの向こうが、部屋なのか?」
「はは、そうですよ。イギリスさんにはきっと馴染みのないものだと思いますが」
「いや、無くは無いが‥‥」
イギリスの呟きは決して聞かせるつもりのものではなかったが、躊躇いなく無数の扉類を開放していく日本には聴こえたらしく、軽やかな笑いと物言いが木と紙に柔らかく跳ね返るようにしてイギリスの元へと届けられる。言われたことといえば全くそのとおりではあったのだが、さて肯定してよいものか瞬時には判断がつきかねたイギリスは、曖昧に語尾を濁して再び作業を続ける背中へと視線をやった。
面白いものを手に入れましたので、よろしければ見にいらっしゃいませんか。
海を越えたノイズ交じりの国際電話越し、そういって笑う恋人に誘われて断われる男は、きっと変人かその相手を愛していない人物なのだろうとイギリスは思う。
そして自分はそのどちらでもないので(‥‥と、きっと言葉に出したなら隣国や嘗ての弟や或いは恋人本人から過去の酒の席での『変人的な』行状をあれこれ思い出されて渋い顔をさせてしまうかもしれないが)、勿論誘われるままに日程を調整し、仕事や上司とのフットボールやステークス観戦の都合も綺麗に片付けての時差九時間ぶんの渡航後につれて来れられたのは、普段恋人たる日本が住まうこじんまりとした(日本の家屋というのは本当に小さくてラブリーだ)住居ではなく。
「いわゆる『古民家』、ですね」
「コミンカ、」
「古い時代に建てられて残った建物ですよ」
「そういうのなら俺の家にもたくさんあるぞ」
そう返しながらイギリスは、目の前のこじんまりとした、少々見慣れぬ建物を見たものだ。
イギリスの本国では専門の省庁が国内の年代物の物件を(所有者の意向には全く関係なく)管理しているので、国内のいたるところに数百年物の屋敷だの庭だのが無数に残っている。連綿と続く時の流れの内で姿を変えず存在した物は須らく愛しく尊ばねばならぬものであり、海向こうの元弟に古臭いだの懐古趣味だの言われようとも、尊重すべきものなのだ。‥‥因みに幽霊や妖精が棲んでいればさらにベターである。貸し出すにも値段が上がるし、ゴーストの入居証明はともかく年代物のマナーハウスなどは大抵有料で開放して維持費にあてていたりする。
が、どうやら目の前の建物は、そういった観覧目的のものではない、らしい。
「勿論我が国でも文化財指定をして残される建物もありますが‥‥そもそも『壊れる』ことが前提で昔から頻繁に修繕や補強や改築新築をしますし。壊してもう一度同じものを作ることも」
なにせ災害大国ですから。
そう言って笑う国は、確かに火山大国で地震大国で台風大国な、四季と洪水と温泉の豊かな国であった。
ところ変われば品変わるとはよくも言ったもので、数百年前に知り合った時には果てしなく奇異に感じられた木と紙の建物にも、きっちりとした理由があると知ってからは多くは言わないことにしている。奇妙に感じることは止められないが。
そうして連れて来られた建物は、イギリスの知る『現代の』日本とは異なる建築様式のもの。
買い手もなく打ち捨てられ解体される寸前だった建物を、日本が一部を買い取ったもの、だという。
「廊下がない」
「あー、もう少し広い屋敷でしたら、ぐるりを外廊下が伝っているものですけどね。それにここは屋敷の一部をそっくり移設したものです。まぁここも廊下ではなく縁側伝いに外を回れるようにしましたが、本来はこう、離れなどに続く外廊下がありましたよ」
「ふぅん‥‥」
6つほどの四角い小さな部屋をブロックのように隙間(廊下のことだ)なく接ぎ合わせ、それを太いL字に土間がわたる建物だ。きょときょとと、現代の日本の家ではついぞ見かけない高い天井と其処を複雑に絡み合う太い梁を眺めていたイギリスの傍に、ドアを開け終わったらしき日本が戻ってきた。
イギリスが座るのは、土間、と呼ばれる土床で平らかな天井のない場所の、露台のような腰掛けだ。細々とした作業をしていた日本は、一段高く作ってある畳敷き(そちらの部屋は驚くほどに屋根が低い!)の座敷に正座している。小柄な日本と、欧州人としてはさほど大柄でもないイギリスの視線の高さが逆転するのは、どこか不思議で面白かった。
「田舎に移設しましたけれど本来は栄えた宿場町の真ん中にあったものです。そこではこちらの建物は大層な商家でしたので、お客はそちらに座って、商談をしたのでしょうね」
「‥‥?家の中に客を入れるのか?」
「今イギリスさんがいらっしゃるスペースは、いわば共有スペースですよ」
「そうなのか」
そのわりにはいくつものドアを開けたりくぐったりを繰り返してきたし、すぐ向こうに鍋釜を置いたキッチンと思しき煮炊きの出来る空間があるのが奇異に感じられたわけだが、イギリスはこれが異文化というものなのだ、とそのまま飲み込んだ。
西の果てと、東の果て。
嘗て元弟達の住まう『新大陸』が『発見』されていない頃、この国はまさしく金色に輝く東の果ての幽玄郷であった。
不思議なものだ、とイギリスは思う。
自分には、それこそ数百年、数千年来の知り合いがいる。
代表するところでは32キロの海峡を隔てたヒゲもとい隣国であるし、或いは北海を挟んで渡り来た当時は恐怖の対象ですらあった北欧の国々もまた古く近しい存在だ。その手から覇権を毟り取ったオランダやスペインも、過去の経緯から感情を抜けば古い知り合いである、といえるだろう。
翻って、日本である。
なにせ、遠い。
かつて空を飛ぶ術を持たなかった時代にあっては数ヶ月、時には年越しの、命懸けの航海をしなければならなかった果ての島国。
インドや東南アジア諸国を手中に収めた西欧の列強はイギリス自身をはじめ多くあったが、彼の国からは結局締め出しを食らい西欧諸国の往来を数百年も激しく制限するなど、実に奇妙というか稀有というか不思議な一国のみの時を刻み、挙句どこかの子どもにせがまれての渋々の開国後はひたひたと気がつけば西欧列強の足元を削り取らんばかりの成長と、其れが故の血塗れの戦いを経なければならなかった島嶼国家。
付き合った年月は、歴史は、ごく浅い。
「見ない建築方法だ‥‥」
「ふふ、でしょうね。基礎をのぞけばあまり石が用いられてませんから」
でも、うちには木と紙が一番あっているのです。そういって、日本が笑う。
この国の気候風土、小さな島国から溢れる水の豊かさや、鮮烈を通り越して苛烈なまでの気候の移ろいを飄々と過ごす気風、この星の深部が作り上げた奇妙な岩盤の相克が齎す大地の揺らぎ、大陸の果てであるがゆえの季節風と大海に面して立地が齎す息を呑む嵐。
どれこもれも、知らなかった。
知らなかったのだ。存在を知って数百年、彼に出会って百数年、‥‥彼を愛する、数十年前、まで。
「昔は、このような建物が一般的だったのですよ」
「むかし?」
「貴方と知り合う前、知り合った後、しばらく、くらいですかね」
隣りに佇む日本はイギリスへと柔らかな視線を向けつつも同時に、その身の内に抱えた歴史を、来歴を、共に過ごした多くの愛する国民を慈しみ懐かしむ視線で、辺りを見回す。
その姿を、イギリスは静かに見つめた。
「‥‥何故、俺をここに?」
するりとついて出た言葉は、二人を包む古民家と同じくらいに静かな音になった。
日本は予想外のことを、というか実に根本的なことを問われたのが意外だったのか、一瞬きょとん、とその童顔に相応しいあどけなささえ感じる表情でイギリスを見たあとで、うっすらと苦笑めいたものを口の端に上らせて、言った。
「さて?特に理由らしいものはありませんが‥‥。そうですねぇ、敢えて言うなら、」
「言うなら?」
「珍しいものが手に入ったので披露したい子どもじみた自慢と。‥‥貴方を知らなかった頃の自分を、少しなり貴方に、知っていて欲しくて」
見慣れぬ建築様式、見慣れぬたくさんの扉。
今とは全く違う、知らない姿をしていた彼が、住んでいた昔の家。
ほんの僅か前まで知らなかった国、知らなかった恋人が、今こうして目の前にいる、その不思議。
だって、ひとつボタンを掛け違えていたらきっと自分たちは知り合えなかった。‥‥否、知り合えたにせよ、お互いの心を深く知り、通わせることはできなかった。
東の果てと、西の果て。
知らなかった人と知り合えた、奇跡にも等しい出会い。
「そうだな、知らないお前を、もっと知りたい」
ほろりと零した己の言葉に日本がほんのりと頬を染めて俯いたのに、思わずつられてイギリスもどこか気恥ずかしくなる。自分はどちらかといえば回りくどい、ともすれば皮肉っぽい物言いになることが多いのだが、この大人しい恋人にとってはそれでもかなりあけすけに聞こえるらしいとは、恋人同士になる少し前に知ったことだ。
‥‥そうやって、知ることがこれからも積み重なっていけばいい。きっと知らないことはまだたくさんある。
存在を知って数百年、彼に出会って百数年。甘い想いを通わせた、数十年。
そっと触れてきた、少しひんやりとした指先を掴まえる。
その温みは、既に心にも身体にも馴染んだものである、けれど。
これから数十年、数百年と付き合っていく、寄り添いあい、触れた指先の温みを分け合って、愛し合っていく相手であればいい。
「知りたい、日本」
他者を愛することは、他者を知ろうとすることなのだ。
拝啓、西の果てより
the end. (2010.10.11)
実は自慢するにあたり隠し階段や小部屋があるため兄ちゃんやメリカだと
「ニンジャ屋敷!ニンジャ屋敷!!」とうるさそうなので
イギを選びましたよ、とかだと笑えます。