いつのことだったかなんて、忘れてしまった。
覚えているのはとても天気が良い日だったこと、子供みたいに笑った彼の笑顔。









「アンタの目、奇麗だよな。オリーブみてぇ」

湿度の高い極東の祖国とは違う青く爽やかな空から降り注ぐ太陽の光、それらを反射して輝く冴えた緑の木々達。黒く豊かな大地。

そして、それら全てを受け継いだ彼らも、また。

「それは、初めて言われました。しかしオリーブというと、私てっきりロマーノさんの目のような色を思っていたのですけど。‥‥ああほら、其処の木全部、オリーブでしょう?」

そう言って指し示した木々には、太陽の光を受けて照り輝いている緑色の果実がたわわに実っている。てっきり、あれがオリーブだと思っていたのだが、違うのだろうか。
訊ねるようにその目を覗き込めば、その瞳と同色の実をちらりと見遣ったひとは、奇麗な表情のまま口の端だけで笑って、ああ、と事も無げに肯定した。

「そう、あれオリーブ」
「ええと、でしたらかなり色が違うと思うのですが。‥‥確かに、ロマーノさんの目のようで奇麗な色ですけど」
「んー?そうだな、オリーブカラーってのはよく‥‥」

言われる、とでも続けようとしたのだろうか。だがしかし、彼の言葉は背後からとんできた(比喩ではない。本当に跳んできた)彼の弟によって、リアクションごと持っていかれた。

「だよねー!日本もやっぱりそう思う?!兄ちゃんの目ってオリーブカラーっていうか美味しそうな目っていうか?舐めたらあまそーな色してるよね!」
「‥‥いえ、甘そうかどうかはわかりませんが‥‥あのイタリアくん、それより」
「ッだああああっ!!!バッカ弟!重い!ウザイ!!退けコノヤロー!」
「ヴェッ!」

‥‥あああもう、そうなることは解っているのに何故懲りないのだろうか。
派手な音を立ててはたかれた頭を手のひらで押さえ、涙目になって逃げ回る弟を、叱り飛ばしながら追いかける兄。よく似た外見のこの兄弟は、内面はといえば結構な差異があった。

「待てこのやろッ!」
「ヴェー、ごめんってば兄ちゃーん!お詫びに今日パスタ作るから」
「‥‥‥‥。」
「さっきジェノヴァソース作ってたんだぁ、あっちにいた可愛い女の子がバジル分けてくれてね。あ、日本も食べよーね!」
「え、あ、はぁ」

いつもながらのほわほわした笑顔で言われた言葉に曖昧に返事をした。‥‥というか、さっきって、彼はドイツに走ってくるよう言われていたのではなかろうか。訓練をさぼっていた罰で。

「イタリアくん、あの、ドイツさんは‥‥」
「あーっ!シェスタの時間!隊長っ、もう寝る時間であります!」

故意なのか単純に話を聞いていないのか、判別が付きかねる台詞に口を噤む。隊長と呼ばれた彼の兄も先ほどの拳交じりのじゃれあいなど忘れたかのように「よし、そんじゃ寝るか」とあっさり頷いて、数歩向うにあったオリーブの木陰へと歩いていった。すとんと座り込むやぱたりと倒れて寝る体勢、‥‥否、もう寝ている。
先ほどは内面は似ていないと思ったものだが、この切り替えの早さ、さすが兄弟だ。

「あの‥‥」
「日本!日本もいっしょにシェスタしよー」
「は?」

応える間もなく腕を引かれ、木陰へと連れてこられた。
よく葉の繁った木陰は涼しく、地中海近くらしいよく乾いた風が吹きぬけて心地よい。その風に思わず息をついたところを、下方から腕と腰を取られて、そのまま地面にダイブ。

「ッ、」
「わはー驚いた?でも気持ちいいでしょ」
「‥‥はい」

反射で受身を取ろうとした身体は、けれどふわふわと笑う盟友がクッションとなってくれて(非力だとドイツは言うが、やはり彼は自分より身体が大きいのだ)、欠片の痛みもなく地面へと横たわることが出来た。

そうして、感じた。



「‥‥奇麗ですね」



肌をくすぐるやわらかな草、水を含んだ大地の匂い。
吹き渡る風はどこか甘い、花の香り。
天を見上げれば葉の隙間から零れ落ちる光、その向うに広がる高い高い空、まるで地中海をそのまま映しとったかのような。

‥‥ああ、これが、世界を魅了してやまない、イタリア。

「えへへ、奇麗でしょ。好きなんだ」

視線を横に返すと、こどものように笑うイタリアの姿があった。
うつ伏せに寝そべって、顔だけ此方へ向けて、無邪気に笑っている。薄い茶色の髪が光を透かして、温かそうな金色に見えた。
そして、柔らかく笑みゆるめられた目。

「‥‥イタリアくんの目は、この大地の色をしていますね」

とても奇麗です、そう言うと、彼はほんの少しだけ目を見張ってから、鮮やかに笑った。

「わはー、そう?ありがと!日本もねー、奇麗な黒い目だよね!オリーブみたい!」
「ああそれ、お兄さんにもそう言われましたよ。けど、全く色が違うと思うんですが」
「あ、それはねー、兄ちゃんの目みたいなのはまだ熟してないオリーブの実でね。熟すと、黒いツヤツヤした色になるんだぁ」

その答えに、なるほどそういうことかと納得した。もっとも、黒く熟したオリーブの実は見たことがないので、自分の目と同じ色かどうかは分からないが。

「ああ、そうなんだ?それじゃあ今度さ、オリーブ畑見に行こうよ!すっごく広くってねー、もうどっち向いてもオリーブばっかり。木も大きいし。緑と黒の実がふさふさなってて、ほんとに奇麗なんだよ。それを収穫してね、歌なんか歌いながら石臼で丁寧に挽いていくんだ。オリーブオイルを採るんだよ。その時は、農園いっぱいにオリーブの匂いが広がってねー‥‥」

歌うように話す彼の声が眠気を誘う。
次第に霞がかってくる意識の縁で、肌をくすぐる草を、甘い風を、鮮やかな空と太陽を感じた。いい天気だ、とぼんやり思った。

「‥‥日本?寝ちゃった?」

そういう彼の声こそ眠たげで、少しだけ笑いたくなったけれど、其れより先に意識が眠りへと落ちていった。
瞼の裏に広がる白い、けれど鮮やかな世界。鮮やかな、彼らの笑顔。
少しだけ泣きそうになったことを覚えている。









自分がいて、彼らが居て、とても天気の良かった、あの日。
もう、いつのことだったかなんて忘れてしまったけれど。









焼け焦げた街に独り、立ち尽くす。

よく晴れた日だった。
湿度の高い祖国の夏、ギラギラと燃える太陽が怖いほどに青い空へ熱を振り撒いていた。空の高いところをたった一機、飛行機。
たった二発、その名は死。
あっという間に街を紅蓮の炎嵐と断末の絶叫で押し包み、数時間前までは確かに在った筈の営みはものの見事に薙ぎ払われた。
全ての水分を失うまで炭化した、アレは建物だったのだろうか、それとも人間か。わからない。どっちにしろ、今はもう。
自分は果してちゃんと立っているか。痛い?それもわからない。だって、痛くないところなどもはやないのだから。殺し殺され、もうこれが普通だ。

白と黒の、単調な世界。
生命という生命を根こそぎ失った世界は、とてつもなく静かだ。
いっそこのまま静寂に飲み込まれてしまおうか。

ガツリと鈍い音がした。何だ、自分が膝を突いた音か。ついでに膝蓋が砕けたのだろう、ということは自分はこれまできちんと立っていたのか。
そしてもう、立てないのか。
金属の硬い音もした、これは日本刀。血脂がまわってもう使い物になどなるまい。刃ももうぼろぼろだ。どの道もう使えまい。
北から煩わしい声が聞こえる。まったく、面倒くさい。大人しくひっこんでいればいいものを、あのひとは。
無邪気な声が何事かを言っている。‥‥ああ、あの方は若いから、およそ手加減と言うものを知らない。まだこどもだから、仕方のない事か。
遠く、上司の声がする。
ラジオから聞こえる雑音交じりの言葉が、よく晴れた音のない世界に広がっていく。その音を追うように仰のいて、そのまま倒れた。
瓦礫ばかりの国土。支えてくれる手は、無く。
死体と瓦礫の上に寝転がる。よく晴れた、いい天気だ。
あの日も、いい天気だった。けれどあの日の空の色を、今はもう思い出せない。



オリーブの木は今も青々と葉を繁らせているだろうか?
見渡す限りの緑の畑、空は鮮やかに青く草は柔らかに、風は甘い匂いを?



だったらいいな、と思う。そうだ、早くに投降した彼らだから、きっと大丈夫だろう。良かった。‥‥本当に、良かった。

身体の感覚は、もうない。意識が霞んでいく。
意識の向こう、遠く彼の歌うような声が聞こえた気がして、少しだけ、笑う。こどもみたいに笑っていた、彼らを思う。
血に塗れた静寂の世界で、思う。









ああ、もう届かないあの場所には、世界の美しいもの全てがあった。









  追憶のオレア





終.(2008.06.22)

オレア:Olea オリーブの学名 Olea europaea
平和や勇気の象徴

血に塗れて思い出した、それは平和の証