可愛いは正義、といったのは誰だったか。
シンクの中、浄水器から流れ落ちる水がやや早い夕刻のキッチンに涼やかな音を響かせている。
涼やかな音を立てる流水はステンレス製のボウルへ落ち、ザァザァと音を立てて溢れ出ている。澄んだ水の中、泳いでいるのは適当にちぎったレタスや水菜などのグリーンリーフだ。ボウルを取り上げてザルにあけ、大雑把に水気を切ってから今度はペーパータオルの上に広げて残りの水分を取れば、あとは硬質陶器のサラダボウルに放り込むだけだ。
冷蔵庫から近所の腐れ縁に押し付けられたプロシュートとトッピングフレークを取り出し、それもボウルへと放り入れる。既にスライスされたたまれた生ハムは綺麗な薄桃色、しかもスライス幅も完璧に均等だ。言っておくが、俺だって本気でやればできないわけじゃないが、アイツが切ってやる!とどうしても言うから任せただけだぞ。だけなんだからな。うん。
「食生活の崩壊断固阻止。可愛いコの味覚はお兄さんが守る!」だとか何とか言っていたのには拳を叩き込んでおいたけどな。片手で大量の食材を受け取りつつ。うん、だって食材に罪はない。
そんな罪のない食材‥‥というか菊のメシは、チリンと暢気な音を立てて俺を呼んだ電子レンジから。タッパーに入れられた混ぜご飯ぽいものは、これもフランシスから。レンジ対応のプラスチックふたをあければ、少し甘い匂いがふわわんと立ちのぼる。なかなかに美味そうだ。‥‥だから、俺だって作れないわけじゃないが!アイツがどうしてもっていうから!!作らせてやってるだけだからな?!
木ベラでタッパーの中身を、落としても割れにくい硬質陶器の器に移す。菊は小さい頃からもの凄く行儀がよく、それこそ俺が腕に抱いて哺乳瓶でミルクをやっていた頃から食器や銀器を落としたことなんか数えるくらいしかないのだが、それでもやはり、念のためだ。まあ、落として割る心配云々よりも、ペットショップに一緒に連れて行った際に菊が気に入ったように眺めていたから、買ってきたんだけど。
そう、あの時は嬉しくてシリーズになってた食器を一式買っちまったんだっけ。
店員にこのシリーズ全部くれって言った俺を見て、抱いてた腕の中でびっくりしたようにピンと耳を立て大きな夜色の目を見開いて、何か慌てて言っていた菊の、今よりずっと小さかった頭を撫でた。
暫くはうんうんと唸っていたのだけど、妙に威圧感があるくせ親切な店員が可愛らしいショップの袋にリボンをつけて手渡してくれたとき、ふんわりと、すごく可愛く笑って、さ。ふるん、としっぽを振って。
‥‥ああ、可愛いは正義、とか言ってたのは誰だっけ?
本当に、我が侭だとかねだり事を言わないししないヤツだから。それは今もなんだけど、ううん、どちらかというと俺としてはもっとこう、甘やかしたいくらいなんだがな‥‥。また買い物にでも連れて行くか。
まぁ、そんな後日の買い物計画はともかくとして。
戸棚からバゲット(やっぱりフランシスから貰った既にスライス済みの。‥‥アイツは俺を何だと思ってるんだろうか。いくらなんでもパンくらいは切れるっつの!‥‥多分。)を取り出し、仕事相手に貢いでもらった高価らしいモッツァレラを冷蔵庫から取り出し塩水を切ってから皿にあける。トマト‥‥丸のままでいいか。ベイクドビーンズは朝の残り、サラダボウルの中身にはオリーブオイルをかけてサラダ用のフォークを突っ込んで。
リビングに置いた、一般的なローテーブルより更に低い卓へと料理を盛った食器を手早く並べていく。生ハムにあわせて今日はイタリアの白、ワイングラスは面倒なので適当なトールグラスと一緒にセラーから掴みだして、冷蔵庫を経由して菊のためのガス入り水と、マグカップ。
俺のフォークが一本と、菊の小さな小さな箸を一膳。
低いテーブルの前、背もたれ代わりのビーズクッションと、小さな小さな手製の座布団を向かい合わせにポフリとおけば、出来上がり。
ふぅ、と息なんてついてみる。休日の早めの夕食にしては、なかなかの出来栄えだ。‥‥9割が近所のエロヒゲ製なのは気にしない、気にしない。俺だって作ろうと思えばできる。うん。‥‥多分。
さて、と。
「菊、ちょっと早ェけどメシだぞ」
くるっと見回した限りの場所には、小さな黒猫は見当たらない。
‥‥まぁ、居る場所はわかってるから。
すたすたとリビングを横切り、ロフトに上がる手前の出窓。そろそろ赤みを増してきた午後の光がきらきらと零れているような場所。
「きーく」
ふわふわの黒。まるっと小さな、可愛いねこ。
すよすよと眠る姿をポケットから取り出した携帯のカメラで一枚パチリと撮影後(日課だ。)、ふかふかの座布団から零れ落ちたしっぽの先を、指先でつつく。
チリン、と鳴る黄金色の小さなベルは、マシューが首輪のベルと一緒にプレゼントしてくれたもの。黒い毛並みによく映える。
「菊。夕飯だぞ、起きろ」
チリ、リン。小さな頭を撫でながら言えば、ぽたりと落ちていたしっぽがふるりと小さく振られた。それは了承のサイン。でも、まだ小さな身体はまるまって、ふくふくと背中を上下させている。
苦笑する。‥‥なんでこう、いちいち全てが可愛いのか。
ネコだから?それとも、菊だからか。‥‥後者だな。
「こーら。あんま寝てると夜寝らんなくなっちまうぞ?」
くったりとした小さな身体を脇に手を入れて抱き上げれば、さすがに起きたらしい菊がけれどまだまだ眠気を残して潤んだ、夜色の大きな瞳を俺へと向けてきた。アーサーさん。寝起きの舌ったらずな声に、菊がまだずっと小さかった頃を思い出す。
膝に抱いてミルクを飲ませていた頃。
買い物に連れ出して、外の世界にどきどきしつつ目を輝かせていた頃。
そして、俺の両手にくったりと身体を預けて、寝ぼけ眼で俺を見上げる、今。
いつだって、とてもとても可愛い、俺の菊。
「‥‥うん、可愛いんだけどな、いい加減起きろよ?メシが冷えちまうぞ」
脇の下に腕を入れて吊り下げたまま、菊の身体を俺の眼前に持ってくる。
すこしぼんやりとした(意外に寝起きが悪い。朝は早起きで、早朝から散歩に行きたがるのにな。)まっくろな瞳をじっと見つめていると、ふわぁ、と小さなあくびをした菊がチョン、と小さな鼻を俺の鼻にぶつけてきた。
「おはようございます、アーサーさん」
ああもう、まったく、本当に!可愛いは正義!!
「ん、おはよう。夕方だけどな」
可愛い可愛い鼻キスに、内心でデレッデレになりつつ、寝起きでぬくぬくした小さな身体を腕に収めて、食卓を整えたリビングへと足を向けた。
今日のごはんはなんですか?と問う菊に、サラダと混ぜご飯、と製造元の説明をカットして答えたのは、まぁ、可愛い見栄だとでも思ってくれ。
‥‥いや、本気でやれば俺にも作れるんだぞ。本当に。‥‥多分。
the end.(2009.03.19)
フランシス兄ちゃんがいう『かわいいこ』は
アーサーさんと菊ちゃんふたりとも。(笑)
因みにペットショップの店員さんはスーさんです(´∀`)