いつから、とか、いつまで、なんて。まるで意味のない言葉。


「おはよう、カナダ」
「はい、おはようございます。今日もいいお天気ですね」


あの日、あの時、あの場所で。
そう、シロクマを抱き締めて佇む小さな姿を見下ろしたときかもしれないし、静かな湖水のような瞳が俺を見上げてきたときかもしれない。


「久しぶりにカーテン洗おっか。カナー、一応天気予報見て」
「ええっと‥‥うん、週末までお天気好いって」
「あら、それなら週末どっか遊びに行く?」


緊張しきった友人の腕がこわごわ、けれど大切そうにその兄弟たちを抱き上げたときかもしれない。
もみじの様な小さな手が恐る恐る、けれど必死に友人の肩にしがみついていたときかもしれない。


「さて、今日お昼何食べたい?」
「パスタ!この前スペインさんがトマトくれたから、トマトのパスタがいいです!」
「はいよー」


怯えたように保護者となった友人の背後に隠れて、それでも此方をちらちらと窺っていたとき。
兄弟と喧嘩をして、スンスンと鼻を鳴らしながら蹲っていたとき。


「あ、今日広場で骨董市が立つんですよ。見に行きません?」
「行く行くー。この前のカップに合うようなケーキ皿欲しいなぁ。買っていい?」


俺の名前を覚えてくれたとき。
俺の名前を呼んで、出迎えてくれるようになったとき。
伸ばした手を、握り返されたとき。


「ふふ、ケーキ焼いてくれるんならいいですよ」
「畏まりまして。‥‥そうだなぁ、とろとろのフォンダンショコラ?フレッシュジャムのビクトリアサンドケーキ?」
「両方!」


笑ってくれたとき。


いつから、とか、いつまで、なんて。欠片だって意味がない。
出会った瞬間からそうだった気もするし、今この瞬間、初めて解った気もする。
名前を呼ばれる嬉しさ。手を握りあう喜び。
目が合って笑う他愛なさ、涙を湛えた瞳の美しさ、震える吐息の艶かしさ、抱き締めた身体の熱さ。


全てにこみ上げる、愛しさ。


「そろそろ出かけましょうか。歩いていったらちょうどいい時間に‥‥フランスさん?どうかしましたか」
「‥‥いや、」


いつから、いつまで、なんて。
これまでも、これからも、そうなんだよ。


「うん、‥‥行こうか、カナダ」
「はぁい、フランスさん」


いつまでも、君を愛すよ。









la fin.(2008.09.02)

パラレルだからこそ言える台詞が、「いつまでも」です
なんかラストがどれも似通ってきたな ごめーん