フランスの日々の習慣に『自宅では毎朝6時に目を覚ます』というものがある。




前日どれほど疲れ切って帰宅しようと遅く寝ようと、この習慣は崩れない。極端な話、5時59分に眠りについたとしても、その1分後には必ず目を覚ます。その後また寝ることはあっても、ともかくその時間には起きる。
何かの折に控えめで年長な東洋の友人にこの話をしたところ「フランスさん、実はうちの国の人なんじゃないですか」などと真面目な顔をして言われたものだ。
分刻みで時間に几帳面な友人の自国内の人間が同じことを言うならばいざ知らず、徹底した個人主義で自らのスタイルを貫くフランスの、そしてその過程で時間的な制約に縛られない普段の姿を見る限り、この友人にはフランスの『習慣』とやらが酷く珍妙なものと受け取れたのだろう。フランスは苦笑したものだった。実際、傍から見れば「フランス」らしくない、おかしな習慣だろうなと認識していたからだ。
なるほど時間に囚われるなど、自分らしくも無い習慣である。
定時に何かを必ずする、という性格でもない。
制約をつけられ、決められて何かをするだなんて真っ平ゴメンだ。

けれど自宅にいる限り、6時には毎朝必ず目を覚ます。

彼の仕事は朝出社して夕定時に帰宅、といった類のものではない。それどころか昼夜あって無きが如しの現状だ。朝から仕事のときもあれば長い休みがあったり、夜中に呼び出されたりもする。就寝時間も定まってはおらず、自宅に必ず帰れるというものでもない。
それよりもっと以前はといえば、自宅という概念を忘れたかのように家を離れ、悪友や美しい女達と夜通し戯れ遊び尽くしていた時期さえあった。飽きたり疲れたら、眠る。場所などどこだって構わない。そんな怠惰で優雅な日々を送っていたこともあった。

自宅に帰り、何時に寝ようと朝6時には必ず目を覚ます。
それだけといえばそれだけのことなのだが。

‥‥この習慣が習慣として彼の生活に定着したのは、ごく最近。




覚醒の瞬間独特の浮遊感に、フランスはいつも一度だけ意識して息をする。
それは睡眠という、無防備で意思の通らないある種別世界から帰還するための儀式にも似た一呼吸だ。「フランスという自分」を身体にしみ込ませ、活動を再開させるためのアイドリングのようなもの。

同時に、世界で最も大切な存在が傍らにあることを認識するためのもの。

意思を取り戻した腕で、真っ先にその存在の在処を探る。
大抵の場合は腕の中に納まって健やかな寝息をたてているが、時々もふもふした例のペット(‥‥なのだろうか、未だにフランスは謎に思っているのだが)を抱き締めて眠っているので、その時は彼と真っ白な毛玉の双方を起こさないよう慎重に、彼だけを自らの腕の中へと取り戻す。
今日は、腕の中にいてくれた。ほっそりとした、大切な身体。

一呼吸、抱き締めればふんわりとした甘い匂い。‥‥彼の、匂い。

「カナダ」

密やかな声で、健やかに眠る彼の名を呼ぶ。

昼夜を問わない仕事は、フランスもカナダも同じである。
どれほどのんびりおっとりしていようと、彼が『彼』である以上はその責務を果たすべく日夜働いているわけで、関係各所への泊り込みや夜通しの会議や出張もフランス同様、日常茶飯事だ。それは結婚して二人だけの家を持った今も変わらない。
‥‥だからこそ。




『お互い忙しいだろうけれど、眠れる時は一緒に眠ろう』
『出来る限り自宅に戻って』
『そして、起きたら真っ先に、‥‥』




真新しい新居で、身体を寄せ合って囁いた。
左薬指にはめられた指輪を撫ぜながらした、他愛も無い約束。




フランスはサイドボードに置いた時計を見遣る。針音が睡眠を妨げないようにとデジタル表記の其れは『06:00』と淡い光を放っている。昨夜0時頃床に就いたときにはカナダの姿はなかったから、きっとあの後帰宅したのだろう。未だ夜の色濃い室内は暗く、ぐっすりと眠り込んでいるらしい彼が起きる気配は無い。
フランスは音も無く、静かに微笑む。
毎朝6時に必ず目を覚ますという習慣を、カナダは知らない。時々同じ時間に目が覚めたり、或いはどちらかが先に起き出してこの時間に挨拶をしたりすることはあるものの、毎朝6時きっかりに目覚めている、ということは気づいてはいないだろう。

それでいいよ、とフランスは思う。
むしろ、秘密にしておきたいとさえ。

この時間は、自分がどれほど幸せかを噛み締める為のもの。
自分が誰より愛し自分を誰より愛してくれている人が腕の中で眠っている、そんな世界で最も単純で最も入手困難な幸福を手にしているという現実を、静かに味わう為の時間なのだ。
お互いに忙しい身だから、一緒に眠る時間を持つことさえ困難なこともあるけれど、出来る限り一緒にいようと。
この新居での初めての夜囁いた自分に、ふんわりと笑って頷いてくれたことを思い出す。
同じ家で、同じベッドで、一緒に眠る。ごく単純だが、それは愛し合った二人にしか実現できないことだ。
‥‥そして、実現できている自分は、なんて幸せ者なのか。

「‥‥カナダ」

朝まだき、可愛い恋人の眠りを妨げない囁きはとても密やかな声で。
けれど彼の傍で繰り返す、それは素敵な、カナダがくれたフランスの習慣だ。




「おはよう、カナダ。‥‥お前にとって今日が素敵な一日であるように」




『お互い忙しいだろうけれど、眠れる時は一緒に眠ろう』
『出来る限り自宅に戻って』









『そして、起きたら真っ先に、お前の幸せを祈るよ』









カーテン越しの曙光は淡く、街はゆったりとまどろんでいる。
フランスは静かで深いカナダの眠りを妨げないよう囁き、そっと抱き寄せた。温かさを求めてか、子どもの頃と同じように擦り寄ってきた彼の仕草に淡く微笑んで、額に優しくくちづけをひとつ。

愛しい人と過ごす朝6時のひととき。それはフランスの大切な習慣なのだ。









la fin.(2008.10.23)

ハレルヤ ハレルヤ
その真理 その愛 褒め称えよ地に満ちる全てのもの