ほとほとほと、とた。
遠く響く軽やかな音を、本田菊は柔らかなまどろみの内に聞いていた。
意識は、目覚めている。だがしかし身体はまだ半分以上眠りの中にあり、聴覚もまた身体の其れに倣ってか紗の掛かった輪郭の曖昧なものとして、本田の脳内をゆるゆると揺するだけだった。
歳をとると朝が早くなるなんて嘘でしたねぇ、などと温かな褥の中で独りごちてみるものの、その言葉を聞くものといえばずっしりと丁寧な錦糸の刺繍が施された和布団と小さな火鉢、庭に零される朝陽を柔らかく遮り主の好む静謐を保とうと佇む障子戸くらいだ。寝室にしている広い和室には、基本的に物は置かないのが屋敷の主たる本田の流儀であった。
‥‥否。季節が一巡する前までは、枕元には手慰みの本であるとか、煙管、夜に飲み残した茶器類などが投げ置かれていたのだが、今はそれらは彼が眠り込んだ後でそっと始末をされるようになったのだ。
声を立てずに、笑う。
広大な彼の屋敷に住まうのは当主である彼と小さく忠実な獣が一匹と、そして一年前から、もう一人。
ほとほと、とたとた、とた。
軽やかな足音。それはそもそもの目方の軽さにも由来するのだろうが、もともとの歩き方がとても綺麗なのだ。‥‥この足音の主が近い将来仕えることになる、あの人に似て。
とた、とた、とた。
屋敷に来たばかりの頃は、慣れぬ檜廊下に歩くのさえ難儀していたようだが、暫くの間にすっかりと馴染んでしまったようだ。こどもという生き物は本当に学習速度がはやい。
「よし、今日は間に合ったんだぞ。ぽちくん、ここで一緒に待ってよ。あ、火鉢は熱いから触っちゃダメだよ。‥‥ねぇぽちくん、今日僕、頑張って早起きしたんだ。ごはんもね、今日は一品多く作れたんだよ。昨日、菊様に借りて読んだ御本にあったの。ええとね、あおな、の、に、びたし?うん、青菜の、煮浸し」
障子の向こう、おっとりとした少し甘い、少年の声。
わふ、と返事をしているのは長年共に暮らしてきた小さな四足の従者だ。どちらも密やかに音量を絞った、かそけき声。
未だ眠る主の其れを妨げないようにという、細やかな配慮。
本田はゆっくりと痩躯を起こした。
部屋に満ちた夜の名残りの冷気に、すぅと意識が鮮明になる。
視線を巡らせれば、障子の向こうに優しい朝陽に包まれ控えた、小さな影が寄り添って、二つ。
「‥‥おはいり」
許可の其れに一呼吸、それから、丁寧な所作で障子が開けられる。
敷居の向こうには朝陽を浴びて夜露に別れを告げようとしている庭園、歳月を経てなお美しい飴色の廊下。
そしてその上に優雅に膝を折り礼をとる従者、一人と一匹。
「おはようございます、菊様」
「はい、おはようございます。マシューさん、ぽちくん」
おっとりと挨拶を返せば、メイプルシュガーカラーの柔らかな髪を揺らして、小さな新米執事が微笑んだ。
「‥‥で、アレの調子はどうだ?」
「ええ、とてもよく働いてくれていますよ」
そうか、と応える声音は凛として強い、友人らしいものだ。
だがしかし、どこかあたたかな気配が言葉の縁を彩っているように感じるのは、気のせいではないのだろう。そう、まるで今テーブルの上に美しく供されている西洋の焼き菓子にまぶされた、パウダーシュガーのような甘さで。
本田は目の前で綺麗に正座をし、背筋を伸ばして茶を喫する友人こと、アーサー・カークランドをそっと見遣りつつ、扇の影でひっそりと微笑む。
この年下の友人に『ひとり、面倒を見てもらえないか』と頼まれたのは、一年と少し前の話だ。
ひとり面倒を、のくだりで、「囲う方ならば家の一つや二つ建てておやんなさいな」と茶々入れ気味に返したのだが、「‥‥そうじゃねぇよ」と苦い口調で返されたのもまあ、予定調和といえば予定調和だ。この友人には、社交界を飛び交う彼にまつわる華々しい噂とは裏腹に、意外にそういった面では潔癖であることを本田は知っていた。
アーサーとの付き合いは、結構に長い。
社交界の絢爛たる華、とりわけ彼の一番の友人である(‥‥と言われると「腐れ縁だあんなエロヒゲ」と心底嫌そうな顔をして言うのだが)フランシス・ボヌフォワと並び立つ、地位財力名誉そして美貌と全て兼ね備えた若き貴公子として名高いカークランド家の若き当主、アーサー。片や本田はといえば長い歴史と土地の純潔を保ってきた血統本田家の末裔‥‥というと随分と大仰に聞こえるが、今では財も権もこれといって目立つものとてない、華やかな場からは一歩も十歩も引きに引いての暮らしをする、本田菊。
本来ならば関係の「か」の字も生まれそうにない二人であったのだが、ひょんなことから面識を持ち、以来、親しく付き合うようになったのだ。
アーサーにとっては、自分の財力や権力におもねる風でもなく、けれど様々なアーサーの言動に逐一付き合ってくれ、かといって行き過ぎた行為や振る舞いには優しく典雅だが痛烈な拒否を示す本田の存在自体が興味深いものだった。
本田にしてみれば、どこか逸った若者特有の血気を垣間見せつつも一方では老獪な実務者として働き、かと思えばどこの純潔な乙女かという純真な部分を見せてもくれるアーサーが眩しかった。なにより、美しいものは愛でるが本田の正義。
つまりは、単純に気があったのだ。
以来、政治面や身分等(もっとも、貴族としての位的には本田のほうがずっと上なのだが)に関係なく、和やかともいえる付き合いが続いている。
その過程で、社交界にまことしやかに飛び交っているアーサーにまつわる艶めいた話の9割方、「若く美しい男」への興味本位と妬心と或いは嘘から出た真を狙った期待を綯い交ぜにした出鱈目、と本田は確信したのだ。
彼がどこかの令嬢(或いは令息)、どこそこの歌姫や芸妓に手を出しただのなんだのという話はごまんと方々より聞いたものだが、本田の屋敷に入り浸ってはうきうきと、見た目だけは美しい菓子(と言う名の兵器)を作成(貴族である彼が、だ!)していた彼のどこにそんな暇があるのだと、本田のほうこそ方々に問い質したいくらいだ。
「‥‥執事を、な。ひとり、見習いとしてお前のところで見てほしいんだ」
「執事、ですか」
懐かしい言葉だ、と本田はぼんやりと思う。
些細な額ではあるが定期的な収入はあるし、従者を雇えないほどに困窮しているわけではないのだが(時おり庭や蔵の手入れに人をいれることもある)、今となっては身についた優雅で質素な独り身の生活。自分が死ぬくらいまでは軽く耐えるだろう雨露をしのげる屋敷もあるしと敷地だけは馬鹿ッ広い邸内の一角でひとり細々と暮らしている身に、今更世話をする人間を入れるのも些か億劫ではある。
だが、目の前で微妙な表情をし、話す友人もまた気になるわけで。
「‥‥なにか、謂れのある方ですか?」
口調こそ何気ない風を装いながら、すぱっとストレートに訊く。
例えば、困窮或いはなにがしかの理由で一家離散や位を剥奪された、名家の人間であるとか。
沈滞しているようでいてその実苛烈なまでに弱肉強食なこの世界では、市井には知られていないものの意外にありがちな事だ。つい昨日まで傅かれていた人間が、合法的に身包み剥がされ放り出される。よほど根性の座った人間ならばいざ知らず、日銭を稼ぐ術さえ知らぬ人間が堕ちるのは、海に投げ込んだ石が水底に到達するよりも速い。
薄情なようでいて身内として認識したものにはどこまでも甘いアーサーならば、そういった不幸な境遇に陥った知り合いでもあればなにがしか手段を講じるかも、とも思ったのだが。
「いわれ、というか‥‥」
「はい」
本田は冷静に返事をしつつ、一方で煮え切らないアーサーの態度にけげんな思いを募らせる。
普段から素敵なツンデ‥‥不器用で照れ屋ではあるものの、言うべきところははっきりと言う友人には珍しい態度なのだ。
なにか、迷っているような。
(‥‥或いはなにか、恥らっているような?)
そう、目線をそらして口ごもる友人の態度の要因を様々予測しつつ、本田はその言葉を待っていたわけだが。
返ってきた言葉は、予想以上だった。
「道で、拾って、だな」
「‥‥は?」
「連れて帰って、面倒を見ているんだが‥‥その、」
「‥‥‥‥はい?!」
さしもの本田も、驚いた。
‥‥いや、だって。
「あの、アーサーさん?拾って連れて帰ったって、その、犬とか猫じゃないですよね?」
「ああ」
「‥‥‥ひと、ですよね?」
「人だな」
だからこうして執事にと頼んでる、と。
どうやら何かを吹っ切ったアーサーは、普段どおりの少し強気で相変わらずの美貌で、年長の友人相手に言い切った。
しかし、言い切られた本田にしてみればたまったものではない。
いくら意外に情け深いからといって、道端で拾った人間を連れ帰るのは、あまり普通とは言い難い行為である。
例えば行き倒れていたとでも言うのならば国の救護院や慈善団体のシェルターにでも渡せばいいだろうし、アーサーの身分や美貌に‥‥春をひさぎにきたのであれば、突っぱねればいいだけの話だ。
身分にしては捌けたところのある彼はよく街を一人歩きしているらしいが、だからといって拾い物は選べ!と友人としては一喝すべきところなのかもしれなかった、のだが‥‥。
「頼む。菊。お前は、俺の友人だ。大切な。‥‥お前にしか頼めない」
真摯な目で、真っ向から本田を見据えるアーサー。
きらめくような若者特有の情熱と理想をその美しい翠緑の瞳に浮かべて、それはとても強く、美しく、‥‥どこか甘さを湛えたその色は、自分がはるか昔に捨て去ってきた熱を、抱いていて。
‥‥‥‥‥‥ああ、これは。
「アーサーさん。いいえ、カークランド卿」
「なんだ」
「貴方の眼をみて、理由をお訊きすることさえ野暮だと悟りはしたのですが。それでも訊かぬわけにもいきませんので、無粋を承知でお伺いいたします。‥‥貴方は、その方をどうされるおつもりか。‥‥どう、したいと?」
「俺は、‥‥」
莫大な蓄財、上からの信任厚く、才気溢れる頭脳。凛々たる美貌。
財力も地位も名誉もその美しい姿も全て手にしながら、それでもなお求めるものなど、本田には一つしか思い浮かばない。
美しい翠緑の瞳、そのうちに宿る彼の純粋さ。‥‥優しく激しく、他者を求める、熱。
「‥‥傍に、居て欲しい。マシューに」
恋愛は、唐突な嵐にも似て若者を攫うもの。
この美しい友人にも、また。
言ってみれば『行儀見習い』である。
貴族の子女子弟が王宮や身分の高い屋敷に上がって一定期間伺候する、あれだ。
それはハイレベルの礼儀礼節を身につけさせる為、或いは様々な関係筋、ツテを作る為。あからさまなものでは傍近くに仕えることで枕席に侍り、そういった意味での繋がりを持つ為などだが、‥‥この友人の持ってきた話はというと。
「‥‥ああ、花嫁修業ですね」
「ッな?!」
ほろっと零した本田の言葉に、アーサーの滑らかで美しい頬にさぁっと朱が走った。
ああ、若いって、恋愛って素晴らしい。もうこの老体には過ぎた熱ではあるけれど。
「はははは、はッ、花嫁って、い、いやマシューは嫁にはなれないぞ?!」
「マシューさん、とおっしゃる?いえ、失礼致しました。執事として一生涯、お手元にお置きになる、でしたね?」
「‥‥‥‥‥‥そうだッ」
もごもごと、しかし「生涯、手元に」を否定せず頬を赤くしたままきっちり応えたアーサーに、本田はふわりと微笑んだ。
本田に預けるというアーサーの案は、なかなかの良策だ。
‥‥貴族である彼が街で拾った人間を、手元に置く。少々突飛ではあるもののかといってまったく考えられない奇行というわけでもない。純粋に働き手を求めたと言い訳もできる。が、問題はそれが、アーサーだという点だ。
何せ、現時点では手広く展開する事業業績も抜群な財界の新鋭、王族の信任も厚く、まして社交界きっての美貌と人気。つまりは、注目度がありすぎるのだ。‥‥口がさないことをいう人間は、必ずでてくるだろう。
その点、とりあえずでも他家に‥‥貴人の館に何らかの職を持って勤めた経験があれば。そこから引き抜いた、或いは譲り受けたと正式に言うことも出来る。それが身分の高い人間であればあるほどいい。ちょうど王宮から下がりその上で婚家を探す良家の子女のように。
本田家は今でこそ慎ましやかな生活ぶりではあるものの、血統も古く位だけならばカークランド家よりも格が高い。
絶好の、隠れ蓑となるだろう。
「‥‥‥‥。すまない、お前を利用するような形で」
「いいえ、アーサーさん」
己の意図を正確に察してもらえたと悟ったアーサーが、少しだけ沈痛な面持ちで目を伏せた。‥‥友人の家名を利用しようとする、自分を厭っているのだろう。
「いいえ」
本田はアーサーを真っ直ぐに見据え、心から強く、謝罪を拒否した。
人気があるということは畢竟、それと同数の嫉妬も買っているも同然。カークランドは多少の誹謗中傷で揺らぐほどヤワな身代ではないが、何がどうなるかわからないのがこの社会だ。
もっともアーサーならば、身一つで放り出されたところでやっていけそうだが。
‥‥つまり、彼の策は。友人を利用する、なりふり構わぬ策は。アーサー自身のため、というより。
(彼が愛したひとのため。)
傷をつけたくない。大事にしたい。慈しみたい。その方と過ごす日々を、‥‥恋人、を。アーサーなりに守ろうとしているのだ。
(ああ、それはとても、‥‥)
「‥‥菊?菊、どうかしたのか?」
「‥‥‥‥ああ、いいえ、なんでも」
友人の声に、本田は束の間の回想から意識を引き戻した。
視線を上げれば、やはり凛と背筋を伸ばして、けれど今は少し不思議そうな目線で。澄んだ、翠緑の瞳。
本田はその目へ自分の其れをひたりと合わせ。ふわりと、微笑んだ。
「アーサーさん」
「ああ、何だ?」
「私、あなたのことが存外好きですよ」
「‥‥そ、そうか」
「貴方はとても、お美しい。貴方の心根も、‥‥あの子に対する愛情も。私にはとても美しく、好ましいのです」
ありがとう。素直で凛とした美しい声に。友人たちは二人して、笑みを交わしたのだった。
「‥‥菊様。ご歓談中失礼致します」
そ、と開けられた襖の向こう姿は見せずに、軽やかに澄んだ声。
「ヴァルガス家のフェリシアーノ様よりいただきました、書状の件でご相談が」
「フェリシアーノくん?ああ、来月の例会の件ですね。‥‥いいですよ、入っておいで」
「はい。申し訳ございません、失礼致します」
襖の陰からの丁重な謝罪の後、ほっそりと華奢な身体が姿を現す。
室内の主とその客人に丁寧に礼をとり、優雅で無駄のない動きで本田の傍へと身体を寄せた。そして、ゆっくりとした動作で本田の耳元へと口を寄せ、向かいに座るアーサーには聴き取れない声で用件を主へと伝えた。
マシューを預かって一年あまり、今ではすっかりと執事も板についていた。
初めてアーサーに連れられてやってきた頃は、この社会のそして執事と言う職の約束事のようなものも当然知らなかった。当たり前といえば当たり前だ、つい最近まで市井でごく普通の暮らしをしていたのだから。
おっとりふんわりした雰囲気のごく普通の、青年というには歳若い、少年。
けれど、彼は成すべき事は既に解っていた。
曰く、一人前の執事になること。
いささかのんびりとはしているが向学心も高く、何事につけても彼は懸命に励んだ。
主である菊の職の補助、執事として身につけておくべき服装規定から歩き方にいたるまでの立ち居振る舞い全て、語学力、政治経済について、書状を代筆する為の装飾文字、貴族社会の典例や細かすぎるルールやマナーや暗黙の了解まで。懸命に、学んでいた。
『菊様。‥‥どうか、ご指導よろしくお願いいたします』
美しい青灰色の瞳を、ひたりと本田の其れにあて。少年は澄んだ声で言った。
そう、一人前の執事として、‥‥恋人の傍へと在るために。
アーサーは茶を喫しながら、目の前の主従から緩く目を伏せ視線を外している。本田もマシューも用件を口に出した時点で、アーサーに知られても構わぬ内容であることを明示しているのだが、そこはマナーというものだ。
‥‥とはいえ、そこは歳若い恋する男という点を考慮すれば、ちらちらと此方、正確にはマシューへと視線が向けられるのは、本田にとっては微笑ましい限りのことで。
「わかりました、ではヴァルガス家あての書状は私が直接書きましょう」
「申し訳ございません、私の力不足で‥‥」
「いいのですよ、フェリシアーノくんは気にしないでしょうが、あちらも古いお家柄ですからねぇ。いろいろと決まりごとが多くて。ああ、これについてはまた改めて教えましょうね」
「はい、お願い致します」
一方のマシューはといえば、完璧に本田へと意識を絞っている。
主以外の者を交えた場での丁寧な口調、来客中に主の手間を取らせたことに対する申し訳なさ、職務を精一杯こなそうとする忠誠心。‥‥ああ、もうすっかりと執事と呼べる存在だ。仕事を仕込んだ本田としても、嬉しい限りである。
「それでは、お部屋の仕度を整えておきますので、後ほど‥‥」
「あ、お待ちなさい今すぐに参りましょう」
「「は?」」
本田の言葉に、綺麗に声が重なった。
ひとつは、書式どころか使う文字や紙に至るまで細々したルールを持った書状を主がしたためるにあたっての準備を整えていない、マシューの声。
ひとつは、客の身でひとり応接間に放り出されると言われたも同然の、アーサーの声。
どちらも当然といえば当然な二人の声と視線に、けれど本田はまるで平然とした顔で優雅に立ち上がった。
そして、二人が何かを言うより、先に。
「マシューさん。暫くお客様のお相手をお願いしますね。‥‥そうですね、ニ時間ほど。意外にあの書面、書くの面倒ですからねぇ」
「え、」
「ちょ、菊様?!」
本田の傍らに片膝をついて控えていた小さな執事が、大きな瞳を零れるほどに見開いて本田を見上げてきた。アーサーはアーサーで、手にしていた茶器を普段は絶対に立てない音をたててカチリとソーサーに戻している。
本田は友人へとちらりと一瞬だけ視線をやった後、自分を見上げて固まっている執事へと微笑しつつ視線を向ける。
こうして素の表情をみると、やはりまだ幼くどこか可愛らしい。‥‥友人が面食いである事は十二分にわかる容貌であるが、それ以上にどことなしふんわりおっとりした雰囲気が、彼を愛らしく見せていた。
本田は「今は」まだ自分の執事であるマシューの頭をゆっくりと撫でた。シュガーカラーのふんわりとした髪が、本田の細い指先にするりと絡んでは解けて落ちる。
「あの、けれど菊様、」
「マシューさん。あなたいつもよくやってくれていますね。先ほどもアーサーさんにお話していたところですよ。この前からご褒美のひとつもあげねばと考えていたのですが、あなた、あまり欲しいものなどを言わないので困っていたのです。‥‥まあ、正式な贈り物はこの爺の考えの楽しみとしてとっておくとして、とりあえずの贈り物です」
ゆるゆるとした口調で言えば、あっけにとられたような執事の顔に、ゆっくりと赤味が差してきて。
恋する人間特有の、甘い甘い、美しい顔を、本田は柔らかな思いで束の間眺めた。
それから友人のクツクツと喉の奥で笑う声に、本田はするりと視線を向ける。
「それではアーサーさん、申し訳ありませんが少し席を外しますね。その間、当家の執事にもてなされていてくださいませな」
「‥‥ああ、もてなされてるぜ。ゆっくり働いて来い」
「はいはい。ああ、主に代わってもてなしもできる有能な執事さんを持てて私は幸せですね」
「そうだな」
「ずっと手元に置いておきたいくらいです」
「それは、無理だな」
これは、俺のだから。
やんわりと笑みを沈めた翠緑の瞳が、その内に真摯で激しい独占欲を持って本田へと視線を返してきた。
‥‥ああ、まったく若いというのは、恋愛というものは、斯くも美しく、斯くも良いものだと。本田は優しい気持ちで思いつつ、優雅な仕草で廊下へ続く襖へと身を翻した。
す、と襖を引き閉めるその間際、背後に聞こえた甘い甘い恋人たちの呼び声に、ああ、ちょっとした仲人気分ですねと埒もない事を思いつつ、本田は私室へと足を向ける。
その横を、トコトコと小柄な獣がまるで甘い時を過ごす執事の代わりだとでもいうように、主に寄り添い歩いていった。
the end.(2009.02.06)
日っさまのお屋敷で花嫁修業(笑)
このマシューさんは15、6歳の外見です
本当は12、3歳にしたかったのですが(そのほうが可愛いしね!)
そうするとアーサーさんがガチで変態になるので断念しました(・∀・)
因みに菊さんは和服で純和風の邸宅、マシューさんは燕尾服でクラシカルな執事さんです、
アーサーさんと菊さんの趣味で(笑)