※仏加『ロストサンクチュアリ』続編
※可哀想な兄弟へ ほのかに米英設定
「フランスさんに、抱かれたよ」
夢のように美しく彼は笑う。
小さい頃の、話をしようか。
小さい頃の、俺の話だよ。俺と、俺の大切なひとたちの話だ。
どれくらい小さいかって、そうだね、まだ『俺』が、『アメリカ』でなかった頃のことだね。
あの頃の俺は、毎日泣いていた。
何でだって?うん、そうだよね不思議に思うだろう。けれど、実はその答えを俺は持っていないんだ。なんだい、自分のことだろう、って?それはそうなんだけれど、そうだね、あえて言うなら「答えがない」っていうのが、回答だ。だって、本当に理由なんてなかったから。
摘んできた花が萎れては泣いて、友達だった白ウサギが急に現れなくなったときも泣いた。嵐の日は轟音とどろく空に全身を震わせて泣いたし、夜の訪れには視界を奪われる恐怖に泣いた。かと思えば日の出の全てを明らかにされる強い光にも慄いて、また泣いた。
毎日、毎日、毎日。世界はちっとも優しくなくて、何もかもが俺にお構いなしに通り過ぎていって、立ち止まってくれない全てが怖くて悲しくて寂しくて、泣いていた。
このまま泣き続けたら世界が海になってしまうんじゃないかしら、なんて思うほどに、小さな俺は、泣き続けた。泣くこと以外、知らなかった。
イギリスの、腕に抱かれるその日まで。
唐突にやってきて「今日から兄だ!」と宣言したイギリスは、考えるだにちっとも優しくもなければどこのストーカーだよってくらいにドン引きしたくなる態度なんだけれど、けれどそのときの俺には、いきなり居丈高に兄だ何だと言い出したわりにすぐにメソメソ泣き出したり、本当におそるおそるといった震える腕で俺のことを抱き上げてくれたイギリスが、本当に、本当に大切なひとに思えたんだ。みんな、みんな俺を置いていってしまっていたのに。花も、ウサギも、太陽や夜や月や嵐でさえも俺を置いて、俺のことを見ないで、過ぎ去るばかりだったのに。
温かい腕だった。優しい腕だった。彼が居れば花が枯れしまうこともウサギが死んでしまうことも耐えることができた。日暮れには俺を迎えに来て「帰るぞ」と腕を引いてくれた、ふかふかのベッドに俺を寝かしつけてお休みのキスをしてくれた、嵐の夜は震える俺を抱き締めて眠ってくれた。大好きだった、イギリスが。温かな、大切な、どんな存在も彼とは代えようもないことを俺は身体の隅々まで理解していた。海になるんじゃないかと思った涙は乾き、俺は彼のたっぷりすぎるほどの愛に守られて、育った。
だからそんな風に俺を愛してくれる彼が、何故カナダのことは愛さないのだろうと、不思議に思った。
愛さない、というのは少し違うかな。イギリスはきちんとカナダのことを愛していたと思う。少なくとも小さな彼の(正しくは、小さな俺たちの、だけど)住居や衣服を用意し、食事を毎日きちんと整え、小さな身体でイギリスを見上げる彼にこの世界の様々なことを教えていた。そう、ずっと俺にそうしていたように。日々の生活における決まり事や知識、生きるための糧を得る方法、大きくなるために必要な多くの事柄を、彼はきちんとカナダへと教えていた。カナダも従順すぎるほど従順に、イギリスの教えに従って、静かに暮らしていた。
一見すればそれはとても、良い関係に見えただろう。
時にイギリスの束縛が苦しくて、長じるにつれ事あるごとに反抗するようになった、俺との関係を比較すれば。それは理想的とさえいえる主従、親子、兄弟関係に見えたはずだ。
けれどイギリスが彼にあげる愛は、決定的に、俺へと注がれるものとは違っていた。言葉にはし難い。傍目には同じに見えたかもしれない。けれど、違っていた。
だって、カナダは泣かなかった。
花が軍馬に踏み荒らされ枯れてしまうことにも、仲良しの動物が狩られて毛皮を剥ぎ取られ売られていく瞬間に遭遇しても、嵐の夜にも夜の訪れにも、いつもいつも。カナダは泣かずに、ただ、その淡い水の色をした目で、世界を見ていた。イギリスの腕の中で眠ることもせず、お休みのキスをもらって安心したようにまどろむことも、怖い怖い嵐の夜でさえ。
まるで必要ないっていうみたいに。微笑んで。
怖くないのとぼろぼろと泣き震えながら訊く俺に、ただ、綺麗に笑っていた。
一緒に独立しようと言ったときも、笑っていた。
その頃には、ちっとも大きくならないカナダと俺の体格にはかなりの差が出来ていた。青く染め抜いた軍服に身を包み悲壮な覚悟でカナダの家へと赴いた日、伸ばした俺の手をとても小さな、柔らかいこどもの手で無造作に払った彼は、夢見るように綺麗な水の色をした瞳をふんわりと微笑ませて言ったものだ。‥‥僕はここにいるよ。
勿論俺は激しく訊いたさ。‥‥何故だい?!
だって、君はイギリスをちっとも必要としていなかったじゃないか。抱き締められることも俺のように彼の腕の中で眠ることも、泣くことすらせず、いつだってふわふわ笑ってるだけで。
俺はあんなに、泣いていたのに。
毎日が怖くて、毎日が寂しくて、あんなにも、世界が海になるかもしれないくらいに泣いていたのに、怖くて寂しくて泣いていたのに。カナダはいつだって笑うばかりで、イギリスの温かな腕は、イギリスは、泣かない君には必要は、ないって!
涙を忘れさせてくれたイギリスの温かな腕を失う俺は、きっとこの先泣くことになる。
俺は裏切り者と罵られ謗られ、イギリスを、愛する彼を泣かしてしまう。なのに、泣かない君が彼の傍にいつづけて何の意味がある?!
「ここに居ないとフランスさんに迎えに来てもらえない。」
あのねアメリカ。僕、約束したんだよ。
だって、迎えに来てくれるって。また必ず会いにくるよ、お前の元へ帰ってくるよ、元気にしていれば必ずお前の元へ、愛してるよ可愛い、俺のカナダ、って。約束、したんだ。いいでしょう?だから、ここにいないと見失ってしまうかもしれない。小さくて可愛いカナダ、って、彼がいう、見失ってしまうかもしれないじゃないか。駄目だよ、ここに、約束って、
「約束したんだ、泣かないで、いい子にしていたら、迎えにくるって」
「カナ、ダ。きみ、」
小さな、カナダ。成長さえ自らの意志で止めて、彼は笑う。
「約束だよ、一番の約束なんだもの破られるはずなんてないよ、だって僕は泣かない、泣いてなんかない、約束したもの、」
「カナダ!」
夢みたいに綺麗に笑って、カナダは言った。
果たされるわけがない約束を、まるで明日にでも叶うかのように。
『‥‥え?ああ、カナダ、カナダかぁ‥‥。そうか、お前ら一緒に育ったのか』
『育ったのか、って‥‥。そんな、君がイギリスに奪い取られたんじゃないか』
『あ?あー、まぁ、そうなるけど。っつか、砂糖のプランテーションと引き換えだったしあの眉毛にはムカつきもしたが、たいした損はなかったからな。ああ、そうだな今回の件でアイツも一緒に独立させりゃ、あの眉毛野郎には痛手だろうなぁ‥‥。おい、アメリカ、一緒に連れてこいよ』
『え?』
『え、じゃねーよ。独立すんだろうが、お前。手伝ってやるよ。んで、カナダも一緒に独立させろ。そうなりゃ新大陸のイギリス勢力は壊滅だ』
彼が大切にしていた花が踏み荒らされて枯れるのも、可愛がっていたウサギが狩られて死んでしまうのも、彼は泣かなかった。
『‥‥ねぇ、君、フランス?』
『アイツの息の掛かった地域があると厄介‥‥ん?どうした』
夜の闇が世界を閉ざすのも、全てを奪おうとする嵐の夜でさえ、彼は笑っていた。
『君は、カナダが、‥‥彼が、いや‥‥彼に、会いにいったかい?』
『は?』
笑っていた。泣かずに、ただふんわりと笑っていた。
『だって、だって彼、カナダはきみのところに居たんだろう?君が育てたんだろう?!俺の家に来られるくらいだ、勿論、カナダの家にだって、少し無理すれば行けただろう?!行ったよな?!』
『あー‥‥』
だって、だってカナダは、君を、君の腕が自分を抱き上げて、泣いてもいいんだって、言ってくれる日を、ずっと、待ち続けて。
『そういや会ってないなぁ。まぁ会う理由もないし。なに、あの子元気?』
まるで昔捨てたおもちゃの行方を訊くみたいに笑う男を、壊れるほどに、待ち続けて、いたのに。
結局、カナダはそのとき俺とは一緒に来なかった。
凄惨な戦いの末果たした独立、もう俺はイギリスの腕の中で泣くことはしないし出来ない。泣いていたイギリスを、抱き締めてあげることも出来なくなった。
泣けない兄弟の、傍に居てやることも、出来なかった。
‥‥それから、いろんなことがあったのはご承知のとおりだ。俺はともかく成長することに全力を注いで、そうこうしているうちに時間は流れて、イギリスともまた会って話が出来るようになった。彼は執念深いからね、それはもう盛大に文句を言ってくれたものだけれど、それでも俺は彼の温かな腕から自分の意志で抜け出したことを後悔はしていない。
だって俺は愛されていた。彼に愛されていた。俺は彼を、愛していた。あの温かな腕の中で眠り、泣いていた時代を今も大切に想っているし、あの時代があったからこそ、こうして今、笑っていられるんだ。文句を言うイギリスを抱き締めて、泣く彼に愛していると告げて、笑えるんだ。
涙の海から抱き上げられ、まっすぐに愛された、記憶が俺を支えているんだ。
「愛してる、だってさ?あは、笑っちゃうよね」
カナダの声はどこまでも軽やかだ。
「笑えるよ、俺のこと抱きながら、だって泣くんだよ?あのひと。気色悪いったらないよ。せっかく抱かせてあげてるんだから泣いてないでもっと奉仕して欲しいと思わないかい、興醒めするったら」
昔から変わらない、ふんわりとした夢見るような、笑い声。
昔から変われない、心を壊してしまった、涙のない、泣き声。
「カナダ」
「なぁに、アメリカ」
俺は、カナダを抱き締めた。
小さい頃、俺はイギリスに抱きあげられて、涙の世界を忘れた。
小さい頃、彼はフランスに捨てられて、涙と世界を、奪われた。
カナダが、笑う。泣けないまま、笑う。
艶やかに、ふんわりと、夢みたいに綺麗に、砕けた心で、君は。
「カナダ、泣いて。‥‥いや、泣かないで。泣かないでおくれよ、泣かないで、泣かないで‥‥」
アメリカ、泣いてるのは君のほうだよ。そう言ってカナダは、やっぱり綺麗に、夢のように笑った。
イギリス、イギリス。今すぐに来て、俺を抱き締めてくれ。
君の傍で泣きたいよ、泣けない彼の代わりに泣きたいよ。
今すぐに来て。世界が海になるほどに、泣きたいんだ。
世界が海になる日
the end.(2009.09.23)
いつか世界が海になる日には、砕けた彼の心も癒されるのだろうか