「‥‥それでな、明日には東の庭の新種が花をつけそうなんだ。あれは本当に改良に苦労したもので、マゼンダの色素遺伝が劣性で‥‥」
「それは楽しみですね。本日18時から翌6時までの気候は晴れ。風、雨、雷、竜巻とも警報注意報の発令はありません。これだと、予定どおりに咲きそうですね」
「そっか」
ロンドンらしいほの明るい昼下がりの光の下で、イギリスさんが歌うようにお話をしながら、紅茶を淹れている。
細やかに動く薄い手は、仕事でお出かけするときにつけている子羊の皮手袋じゃなくて、すごく薄くって柔らかい、絹製の手袋をつけている。それが滑らかに動くたび、小さな二人用のテーブル上はまるで魔法が掛かったみたいに綺麗な白磁の茶器だとか、天使のモチーフが愛らしい銀器だとか、薔薇色の紅茶だとかが現れて、まっさらだったテーブルの上はあっという間に美味しそうな色合いで満ちていく。
「‥‥の剪定鋏は、さすがにそろそろ刃がかける頃だなと思ってはいたんだが、まさか根元から折れるなんてなぁ‥‥。もう40年も使っていたから、仕方がないのかもしれないけれど」
「同じものは売ってないんですか?ネットで検索しましょうか」
「ああ、問い合わせてはみたんだけど、もう生産していた工房自体がないんだってよ」
「そうなんですかぁ。でも、工房に所属していた人が新しく工房を構えているかも知れませんよ。あとで検索しておきますね」
「へぇ、そんなことも出来るんだな。ああそうだ、鋏といえばこの前日本に貰った爪きり鋏が‥‥」
イギリスさんのお話と指先は止まらない。
紅茶を淹れて銀器を並べナプキンの形を整えて、砂時計を気にしながら真っ白なプレートにコテージパイを切り分けていく。
二人ぶん、小さなパイでもまだ余るけれど、気にしない。
ついでに味も、気にしない。もともと僕は、あんまり味覚はよくないんだ。だってほら、味覚みたいなものは、なんていうか最も優先度の低いオプションみたいなものだから。僕本来の機能を鑑みれば、ね。
「ん、出来た」
そういって、カタリと音を立ててイギリスさんが僕の正面のガーデンチェアに腰を下ろした。
淡い色のネクタイ、白いシャツとニットのベスト。彼にしては休日の昼下がりらしい、至極寛いでいる格好だけれど、きっと世の中の大半の人は堅苦しい、って思っちゃう格好だ。
彼の背後に見渡す空はうっすら絹雲越しの青、庭は滴るような緑。丁寧な刺繍の施されたまっしろなテーブルクロスの上には、(味はともかく)鮮やかで豊かなティーメニュー。
堅苦しい格好の彼は、けれど誰より何よりそれらに馴染んで。
そうして、僕に呼びかけてくれる。
「カナダ」
僕は、イギリスさんに買われてきた携帯電話だ。
こう見えて最新モデルなんだよ。なんか、そんな風に見えないってよく言われるんだけど。ていうか見えてないって言われるんだけど。なんでだろうね?大体見えてないって何さ!僕はここにいるんだぞ!
‥‥まぁ、初日からイギリスさんにメトロに置き忘れられたりもしたけれど。‥‥見えてないのかな、本当に。いやいや、いや。そんな機能実装してるなんて仕様書にはなかった筈。
携帯ショップにやって来たイギリスさんは、別に最新機種が欲しかったわけじゃないみたいだった。
今だからいえるけれど、彼、どうやらあんまり携帯だとかモバイルツールには仕事道具として以上の興味はなかったらしく、個人用のものを一台持つにあたって適当にショップで店員さんの勧められるがままに契約したら、僕になっちゃったらしい。
うん、まぁ僕、初心者向け多機能携帯、って売り文句がついてるくらいだからね。僕のいたお店のおすすめ商品だったんだよね。
操作は簡単場所とらず、デフォルトでサイレント仕様なので貴方の生活のお邪魔をしません!っていう。
‥‥‥‥これさぁ、僕サイレントとかって言われてるけれど、本当は頑張れるんだよ?けっこう頑張れるんだよ?よくわかんないけど全力だよ?
けれどまぁ、開発と販売側的には大人しくって使いやすい、ってことみたい。
使いやすい‥‥使いやすいかな?自分じゃ解らないね。使いやすいって思われてたらいいんだけれど。どうだろう。
‥‥ん、あれ、なんだか話がずれたかな。
つまり、僕はイギリスさんの携帯で、けれど彼が是非にって望んで買われてきたってわけじゃ、ないってこと。
イギリスさんはなんとなくで僕を手に入れて、なんとなくで、僕を手元に置いている、っていうこと。
これは、どう考えるべきなのかなって買われてから暫くの間、ずっと考えてたよ。
僕は多機能携帯だ。
イギリスさんはその機能の半分もわかってないみたいだけど、結構、いろんなことができる。通話と電子メールについてはさすがにイギリスさんも把握してるみたいだけれど、それ以外にも、いろいろ、たくさん。
僕は決められた時間にイギリスさんを起こしてあげることも出来るし、数年先の秒単位のスケジュールだって瞬時に答えることもできる(因みにこれは僕がここに辿り着いた‥‥メトロの忘れ物保管所からクマ吉さんが連れてきてくれた初日の夜にメイプルポット(※基本の充電器だよ)抱えつつ彼が寝てる間にスケジュール帳とパソコンにアクセスして全部コピーしちゃったから。イギリスさんがよくわかってなさそうだったら勝手にしたんだよ、だって僕細かな設定は自分でするのが売りの携帯だからね!)。飛行機や鉄道をはじめ各交通機関のチケットの予約や購入、世界各国どこに行っても迷ったりしないようにナビゲートだって出来るし、これはイギリスさんにはあんまり必要ないんだけれど7言語の辞書機能も持ってるから、通訳だって出来る。ネットワークに接続すればそのまま電子端末としても勿論使えるしメモリと処理速度ならそこらのモバイルブックに負けやしない。出先から庭に向けたカメラにアクセスして薔薇の様子を知ることもできるし、何枚も持ってるクレジットカードは全て把握してるから状況に応じたカードで僕が支払いを済ませられるし、勿論残高も把握して余計なお買い物しようとしてたらそらとぼけて買わせないことだって出来る(主にお酒と最新の高価な調理器具。キッチンの鍋の数が増減しないように、焦げた圧力鍋や大破したオーブンは買い換えてるけど)。
いろいろ、そう。いろいろ。出来るんだけれど。
イギリスさんは、イギリスさんには。何が必要なんだろうって。
「おいしそうですね」
一言、呟けば、イギリスさんがぱっと綺麗な緑色の瞳を輝かせて、けれどなんでもない風な、まるで当然だって言いたいみたいな態度で、そうか、って言うのを、僕はもう把握していた。メモリなら十分だからね、イギリスさんがこういうときにどういう反応をするのかなんて、もう知ってる。
フルカラー液晶でも再現できないような鮮やかな緑の瞳を縁取る金色の睫を3度しばたいて、0.4秒右下に視線、それから顎を少しあげてから左上に視線を飛ばす。ふにふにとちょっと口の端をゆるめて、でも大きく笑うことはしないで。テーブルの端に指先だけ掛けた右手を、一度ふるっと震わせて、それから。
「‥‥そうか」
幸せそうに。少しだけ、笑ってくれる。
僕は多機能携帯だ。
イギリスさんはよくわかってないみたいだけれど、いろんなことが出来る。イギリスさんのしてほしいこと、必要なものが、わかる。
ここで「おいしそう」って言えば彼が喜んでくれる、彼のお話に向き合って会話をすれば、彼は笑ってくれる。もうそれは僕の中で把握できてる彼のことで、だから僕はおいしそうって言うし、彼のお話に付き合うし。
‥‥けれど、けれどね?どうか、勘違いしないで欲しい!
彼は本当に多くを望まない人で、僕のこともなんとなくで購入しちゃった人だけれど。
けれど、けれど僕は本当に、彼の役に立ちたいし、彼が笑ってくれたら嬉しいし、彼が、イギリスさんが、幸せならいいなって思うんだ。
幸せに微笑むイギリスさんに、寄り添って居たいって、『僕が』、思うんだ。
「もう食べてもいいですか?パイはこのまま?」
「あ、ああ。そうだスコーンもあるからな、こっちはこのまえ作った薔薇のジャムを合わせて‥‥」
イギリスさんのお話は続く。
白い指先はやっぱり働き者で、パイや紅茶やスコーンをまめまめしく皿やカップに取り分けて、僕に渡してくれる。薔薇のジャムはとってもいい香りだ。ああ、嗅覚をオプションで入れててよかった。もう少し感度のいい嗅覚プログラムをダウンロードしようかなぁ?あ、味覚は据え置きで。うん。
「紅茶は先日陛下に貰ったものでな、セイロンの‥‥」
「なら、お礼に何かお贈りしますか?オンラインショップで何か探してみましょうか」
お話をしながら、幸せなティータイムは続く。
彼の背後に見渡す空はうっすら絹雲越しの青、庭は滴るような緑。丁寧な刺繍の施されたまっしろなテーブルクロスの上には、(味はともかく)鮮やかで豊かなティーメニュー。
堅苦しい格好の彼は、けれど誰より何よりそれらに馴染んで。
そうして、僕に呼びかけてくれる。
「カナダ」
僕に、幸せそうに、笑いかけてくれるものだから。
僕は、多機能携帯だ。
イギリスさんが幸せならいいと思う、彼の傍に居て彼の必要なものを差し出して、幸せに微笑むイギリスさんに寄り添って居たいと思う。
いろいろ持ってる機能の、何分の一も使ってはないけれど。ああ、けれど!
「えへへぇ、イギリスさん」
「ん?どうした。‥‥ああ、そうだ新種の薔薇だけれど、咲いたら一番にお前に見せてやるな。きっと凄く綺麗だから」
「ふわぁ、嬉しい!楽しみにしてます!」
‥‥ううん、僕ほんとうは多機能携帯失格なのかな?
イギリスさんより僕が幸せになっちゃったら、意味ないよ!
そうだよ、もっともっと僕は頑張らなくちゃいけない。
僕が幸せなのよりもっともっともっと!イギリスさんのこと、僕が幸せにしてあげなくちゃいけないんだ!
よーし、どうすればいいのかはよくわかんないけど、全力だよ!!
「薔薇、カメラで撮りましょうね、カメラ機能使って。ウェブで公開も出来ますし、編集してアウトプットすればフォトグラフ集も作れますよ」
「へぇ、お前そんなことも出来るのか?」
「出来ますよー」
にこにこ笑って言えば、凄ェな、とイギリスさんが笑ってくれた。
それが嬉しくって幸せだから、やっぱり全力で頑張ろうって、思うんだ。
イギリスさんを幸せにしたいな。彼の傍で、幸せになりたいなって。本当に、思うんだよ。
とりあえずはこの鈍い味覚にも微妙な味のスコーンとパイを食べきれば、イギリスさんが笑ってくれる気がするから、全力で頑張るんだぞ!