その日の夜。
兄ちゃんは、混乱する頭と心を抱えて、自宅へと戻りました。2日ぶりの帰宅です。ああ、最後にこの家を出る時、なんていわれたんだっけ?「お願い、早く帰ってきてね」。マシュー、帰ってきたよ。早くは、ないけれど。
自分で鍵を開け、玄関をくぐります。いつもならチャイムを鳴らして、ただいまマシューと告げて、トタトタと廊下を走ってからドアを開けてふんわりと笑うマシューを抱き締めていたのに。おかえりなさい、フランシスさん。甘い甘い、愛に溢れた声を自分は当然として受け取っていたのに。

「フランシス、さん‥‥」

こんな、泣いて泣いて泣き過ぎて掠れてしまった声を、聴いたことなんてなかったのに。

とうに日は暮れているのに、明かりはともされていません。足元に据えた常夜灯が、室内をうすぼんやりと浮かび上がらせるほかには、普段のように美味しそうな料理の匂いも、切ったばかりの薔薇の芳しい香りも、くるくると働きながら口ずさまれる甘く可愛い歌声も、なにもありません。ただ、そっと。‥‥そっと、薄暗いリビングにフランシスの可愛いマシューが、座り込んでいました。
昼間見たときと同じ服で。
ああ、あれは現実のことだったのだ。
可愛い、可愛い俺のこの子が、俺以外の男の腕で泣いていたのは、現実だったんだ。


裏切られた。マシューに。


‥‥いやもう本当マダオな兄ちゃんですね。お前自分を省みろよと、お前がこれまでしてきたことは何なのこのスットコドッコイと。きっと、親友で悪友な親分や口は悪いけど言うことは意外にまっとうなギルベルトさん(怖そうな外見にも関わらず意外なくらいに真っ当。多分チェーン店舗居酒屋で学生アルバイト上がりの店長候補。浮気っぽい兄ちゃんに時々鉄拳制裁してる)がその場に居たならつっこみまくったでしょうし、フェリシアーノならマシューの傍で一緒に泣いて「兄ちゃんひどいよー!」と泣きながら詰ったでしょうし、エリザさんならフライパン、ルートさんならスパナのひとつも振りかぶったことでしょうが、あいにくここはフランシスとマシューの、まっしろな壁と真っ赤なお屋根の可愛いお家。二人だけ。

「お前‥‥ッ!」
「や、イヤだ!ヤだぁっ!!離し‥‥っ」

キレた兄ちゃんはマシューさんに酷いことをします。
まぁ、お約束ですね。真っ暗な部屋でそのまま、嫌がるマシューさんを無理やり抱きました。
こんなこと、したことはありませんでした。そして、嫌がるマシューさんを兄ちゃんは初めて見ました。もう本当に、強烈に強固に断固拒否するマシュー。嫌だ、やめて触らないで嫌だ、嫌、イヤ。そむけようとする顎を無理やり取って暴力じみたキスをしても、圧し掛かる身体を必死に押し返そうとする腕を縛り上げても、足首を掴んで無理やり足を開かせて慣らしもせずにつっこんでも、もうひたすら拒絶。

けれど、謝罪は一言もない。

一言でよかったんです、兄ちゃんにとっては。一言マシューがごめんなさいと、もう欠片でもいいから、雰囲気だけでもいいから。もしも、謝罪の言葉をくれたのなら。
ごめんなさい、あのひととはなんでもないんです、僕にはフランシスさんだけです、大好き、‥‥あなたの傍に居させて。
ごめんな俺が悪かった愛してるよ愛してる可愛いお前、浮気なんてもうしない他の人間なんて必要ない俺にはお前だけだよ、お前が一番なんだ、一番好きなんだ、愛してるんだ俺の可愛いマシュー。俺の居場所は、俺の家族はお前だけ、俺の傍に居てくれ。

嘘だっていいから、言ってくれと。
願い続けて、けれど願いは叶わず。

世界一愛する裏切り者をひたすら苛んだ、嵐のような夜。



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