バシャァ!と。
フランシスの肩を半ば抱きかかえるようにしていた親分ごとぶっかけられたのは、水。しかも、その一瞬前までこの場所(親分ちの玄関)を華麗に彩っていた特大の花活けに入っていた、水です。そして、その水を頭からぶちまけた相手はといえば。
「‥‥っぷぁ、は?!な、あ、ちょ、ロヴィーノ?!」
「ふざッけんな!寝言ぶっこいてんじゃねーぞコノヤロー!!」
水を滴らせながら唖然とするどうしようもない大人二人の眼前。
花活け片手に顔を紅潮させ肩を震わせて仁王立ちするのは、親分の最愛のパートナー、ロヴィーノでした。
足元には、直前まで花活けに彼自身の手で美しく活けられていた薔薇。そう、それは確か、フランシスの家から‥‥正確には、フランシスの家でマシューが大切に丹精している薔薇だったと、髪からぽたぽたと水を滴らせながら親分は思い到りました。
ロヴィーノとマシューは、仲良しさんでした。親分や兄ちゃんが思っているより、ずっと近い間柄になっていました。
そもそもあまり人付き合いのよくない、というか、人との距離を測りかねてついきつい台詞を吐いてしまうロヴィーノは、自分のパートナーの親友が必死で口説き落として結婚したとかいう相手にも、あまり関わりたくありませんでした。そもそも複数の恋人を常にもってとっかえひっかえなフランシスのこと自体、好きではなかったし。親分に一途に愛されてきたぶん、潔癖なのです。
けれど、ご近所さんと言うことで顔を合わせる機会を作られ、内心渋々ながらも紹介されたマシューは、それまであの放蕩三昧なフランシスの周りに居たどの男女とも、全く違う存在でした。むしろ自分の周りにもこんな人間は居ないくらい、優しい、可愛いひとでした。外見がではありません、心根が。
柔らかな雰囲気で、甘い声で、気遣いができて。そして、なにより全てを許すといわんばかりに、優しい。途方もなく優しいマシュー。
そして、いつだって寂しがっていたマシュー。
踏み込みすぎず、けれど常に人を気遣うマシューは、ロヴィーノにとってとても付き合いやすい相手でした。家もご近所だし、花が大好きな自分に大切に丹精した薔薇をくれるし。
花好きに、悪い人間はいない。それをバカ正直に信じているつもりはない。けれど、花を大切に育ててくれるマシューのことを、ロヴィーノは本当に好きになっていたのです。自然に、お付き合いが生まれました。家を行き来するようになり、料理を教えたり教わったり、時には請われてブーケを作ったり、フランシスの家に立派なアレンジを造ったこともありました。
フランシスさんにあげるんだ、彼は綺麗なものが好きだから。優しく笑ってた彼を、ロヴィーノは覚えている。
同じくらい、寂しそうに笑っていた彼も、覚えている。
フランシスの浮気癖は、一向におさまらないまま。
食事時、時おり呆れ口調で自分のパートナーがその遍歴の一端を披露するときなどは、それとなくさり気なく、なんとかしろよ見苦しいだろ俺がヤなんだよちゃんと家に帰らせろ、とかなんとか言ったものです。自分に対して疑う余地なくメロメロな親分は、額面どおりに其れを受け取って忠実にフランシスに忠告していたりとか。
『今日も、帰らないみたいだから。おかず余っちゃった。ロヴィーノさん、少し貰ってくれませんか?』
何日も帰らないフランシスを、けれど一日もかかさず料理を作って、掃除をして、そしてひたすら待っていたのを知っている。
『‥‥いいよ、ウチで食ってけよ。一緒に食おうぜ。あいつも今日、帰らないから。仕事なんだって、電話あった。‥‥一緒にいるんだよ、フランシスと』
そう言った自分に、笑っていた。
アントーニョが仕事なのは本当だけれど、フランシスがそうでないのは、もう自分たち二人とも判り過ぎるくらいにわかっていた。それでも、そうですね仕事ですよね、そう言って笑ったマシューを、あの笑顔を。どうして忘れられるというのだ。
あなたに、ロヴィーノに嘘をつかせてごめんなさいという笑顔。
そして、フランシスさんを信じきれなくてごめんなさい、という笑顔。
きっと、帰ってきてくれるから。だって僕達、家族なんです。
傍に居てくれるって、言ってくれたんです。
傍に居るって、約束したんです。信じないと。‥‥信じないと、駄目なんです。
家族に、なったんだから。
そういって、笑った。笑っていたのだ。湖水のような色をした瞳を本当に潤ませながら、それでも決して泣かずに。痛かっただろうに。苦しかっただろうに。踏みつけにされて、愛してるって言葉ひとつを信じようとして。
拳を震わせていた。左手に光るリングを、必死に、縋るように握り締めていた。
だって、可哀相だ。あんなの。可哀相過ぎだ。
あんなに、優しいのに。あんなに、いいヤツなのに。
あんなにも優しい彼を、あんな顔で笑わせて、あれだけ踏みつけにしておいて何を今更‥‥!!
もうロヴィーノは怒りの頂点です。身内に優しいイタリア人の魂がとことんまで燃え上がっています。呆然と見上げてくる(兄ちゃんは膝をついてます)フランシスの襟を引っつかんで、怒りに燃える目で睨みつけます。
「‥‥オマエ、なんで死んでねーんだよ」
「え、ちょ、ロヴィーノ、どないしたん?」
「なんだよ、殺されなかったのかよ。死ななきゃなおんねーんだろ?だったらいっそ殺されちまえよアイツに殺されてやれよ!‥‥ああ、無理かそうだなそうだよな、アイツ優しいから。底抜けに、優しいから。テメェみたいなクズ本気で好きになっちまうくらい、本当、馬鹿みてぇに優しいから‥‥ッ!」
「ロヴィ、‥‥」
宥めるように伸ばされた親分の手を振り払います。
優しい手です。自分を本当に小さい頃から大事に大切に育ててくれた手です。愛して、愛しつくしてくれた手です。そして、普段は言いやしないけれど、ロヴィーノだって本当に親分のことを愛しているのです。
愛に溢れた手の暖かさを、知っている自分。
優しさを、愛情をひたむきに、自分だけに差し向けられる悦びをしっているからこそ、フランシスが許せない。
マシューが、あの優しい彼が手にいれたくてたまらなかっただろう、自分だけを抱いてくれる手。‥‥この目の前のロクデナシが、アイツに差し出さなければならなかったはずなのに‥‥!
「居なくなった?他にオトコ作って?裏切られた?‥‥なぁ、そんなモン、テメェが積み上げてきた裏切りの代償には、安いくらいだろ?なに被害者ぶってやがる。アイツのこと、マシューのこと散々傷つけて踏みつけにしてズタズタにして、それでも満足できないか?あれほど優しくて、あれほどテメェのことだけ愛すること強要して!それに応えてもやらないで!‥‥耐え切れなくって逃げ出したとしてっ!!それでもアイツが悪いとでも言うつもりか?!ふざけてんじゃねーぞコノヤロー!!アイツが、マシューがどんだけ、どれほど‥‥ッ!」
「ロヴィーノっ、もういいから‥‥!泣かんでええから‥‥ッ!」
ぼろぼろ涙を零しながら、フランシスの襟首引っ掴んで睨み上げなおも罵倒する自分のパートナーを、親分は抱き取るように引き剥がしました。自分にしがみついて派手に泣くロヴィーノを抱き返す親分。ある意味親分が一番困っていますこの場で。だって、うちひしがれた親友も大事ですが、どうやら自分が知らない間に大切な仲良しになっていたマシューを傷つけられて怒り狂うロヴィーノも、また大切なのです。ああもうこの子本当えぇコに育ってくれたわーとちょっと場違いな感動も覚えたりとか。‥‥しかしまぁ、朝っぱらから大変ですねこの界隈。一応、親分のお家の中ではあるのですが。とはいえ玄関ポーチですから外からはまる見えですよ。
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