さて、というわけでマシューに失踪された兄ちゃん。
親分のおうちではロヴィーノが怒り狂ってどうしようもないので、ヴェーッと様子を見に来ていたフェリシアーノにバトンタッチです。フェリシアーノの場合は兄ちゃんから紹介されたマシューのことも好きでしたが、それと同じくらい兄ちゃんのことも大好きだったので、とりあえず判り易くうちひしがれている兄ちゃんの様子に自分も涙目になって、自分のうちまで手を引いていってくれました。
そこでとりあえず朝食を食べさせて、服を着替えさせて(オーバーサイズのシャツくらいならなんとか)、親分が呼びつけておいたギルにタッチ。
「お前よぉ‥‥。ああ、ほら、なんならウチ来るか?」
ギルは夜のお仕事なので(居酒屋店長候補)これから帰るところにいっぱいいっぱいな親分の電話が来たのでした。一人楽しすぎるギルベルトさんは、一軒家が立ち並ぶこの辺りではなくて、少し離れたところにあるアパート暮らしです。ちっこいスクーター(しかしペイントは自分仕様でとっても派手)に乗ってたら良いと思います。自分ちに誘ったのは、もしかしたら最愛のパートナーに出て行かれた場所に帰りたくないかも、と気遣った結果です。
「‥‥いや、ウチ、帰らないと。玄関開けっ放しで来たし」
「おぅ、そっか」
スクーターおして、フランシスのおうちまで一緒に歩きます。
「俺さぁ‥‥」
「んぁ?」
「バカだよなぁ‥‥」
「だな」
ぽそぽそ喋りつつ。
ギルベルトさんは善良な人です。なんか怖いチンピラ風な(笑)外見とは裏腹に善良で真っ当なひとなので、今回のことは(親分から聞いた限りのことでは)自業自得だと思っています。マシューのほうがよっぽど可哀相だとも思っています。
でも言わない。だって、フランシスとは友達だから。
バカでどうしようもないけどいいヤツなんだよ。だから、幸せになったらいいのに。
「ほれ、コレ食っとけ。ちゃんと食え。食えったら食え」
そう言って、自分のごはんにするはずだったお店のお持ち帰り賄いをフランシスに押し付けて帰るギルベルトさん。食事は基本。食事は元気になれるというのがギルの持論です。それを知ってる兄ちゃんも、ちょっとだけ笑って其れを受け取りました。
自宅の中は、出て行ったときと全く変わってませんでした。荒れたリビング。ただ、起き抜けの混乱時とは違う、妙に凪いだ心で其れをみることができました。
‥‥ああ、いつだって、綺麗に整えられていたのに。あの子が、整えてくれていたのに。
のろのろと片づけを始める兄ちゃん。テーブルやソファの位置をなおして、クッションを戻して、汚れた服はそっとランドリーに入れて、破れたものはとりあえずたたんでおきました。床を拭きます。もう乾いてしまった、血と、精液と。涙も混じっているのかな。どうだっただろう。自分は、泣いていたっけ?
‥‥あの子は、泣いていたっけ?
嫌がって、首をふっていた。手加減なしに身体を床に押し付けた俺を必死に押し返そうとしていた。結わえられた腕を解こうと、身体をまさぐる俺の手から逃れようと、無理やりに身体の内側へと穿ち込んで、身勝手な怒りのままに暴こうとする俺から、必死で、全力で、逃げようと、‥‥あんなに震えて。
「‥‥マシュー」
俯かせていた顔を上げる。朝日を浴びて眩いほどに明るいリビング。朝には少し遅いこの時間は、自分が仕事に出ない時は確か、まだキッチンで食事をしている頃だ。つい、ほんの数日前まで、それが当たり前の光景だった。
信じて疑わない光景。自分が居て、マシューがいて、美味しいごはんが並んで、時々甘い言葉と、キスを交わして。
まっしろな壁と、赤いお屋根の小さな可愛い家に、二人で。
一緒に居ようと、ずっと一緒に住もうねと、ずっと傍に居ると誓った。家族なのだと、信じた。
「違う」
‥‥俺が。俺が、信じさせて、愛していると優しい彼に信じさせて。
その想いに甘えて、その優しさに甘えて。自分が、マシューを裏切り続けたのだ。
裏切っていた。傍に居るよと言った俺を信じて、信じ続けてくれたマシューを、俺は裏切った。傍にいるよ愛してるよといいながら他人にも同じ台詞をはいて、束の間の快楽に身を浸して。
待っている、マシューのことを思い出しもしないで。
『お願い、早く帰ってきてね』
それは、フランシスが一番最後にマシューから貰った言葉です。
昨夜の暴力の中で叩きつけられた拒絶ではなく、ただ、愛しさを乗せた。どこか、必死な。
‥‥あれ?そういえば、自分は一度も同じことを言われたことがなかったような気がする。
「‥‥‥‥あ?」
早く帰ってきて、と。
兄ちゃんはデザイナーという基本的に9時5時な勤務形態ではないので(いや、デザイナーさんの勤務形態は知りませんがなんとなく)、暫く家にいることもあれば長期仕事に出かけて帰らないこともありました。まあ浮気相手と旅行なんかもありましたが。仕事に行く時間も帰る時間もまちまち。けれど、いつ帰ってもマシューは暖かく迎えてくれていました。リビングのソファの上で眠い目をこすりながらだったり、シャワールームから慌てて駆け出してきたりだったこともあったけれど(ちょうどいいからお兄さんも入るー♪とイチョイチョしたりもしました)、それでもともかく迎えてくれて、そして、優しく送り出してくれていたのです。
「お仕事頑張ってくださいね」
「ちゃんとご飯食べないと駄目ですよ」
「お酒ばっかり飲まないように」
「晩ご飯何がいいですか?」
「いってらっしゃい、大好き、フランシスさん」
可愛い声で、時々キスを添えて。数々の暖かい言葉。
けれど、早く帰ってきてね、なんて。ねだられたことはなかった。
なにか、帰ってきて欲しいことがあったんじゃないのか。
そう思い至ったフランシスは、即座に立ち上がって辺りを見回します。なにか、何か理由があるんじゃないのか。帰ってきてというくらいだ、その理由は、欠片くらいはこの家のどこかに残っているはずだ!
昨晩、暗いリビングに座り込んでいたマシュー。ざっと見回したけれど、片付けたのが仇になったのか、特段変わった様子はみられません。苛々とした足取りでフランシスはリビングと続きになっているキッチンに向かい。
机の上に、料理が用意されているのに気がつきました。
いえ、正確にはもう気がついていました。朝起きて、マシューが居ないことに気づいた時、家中を探しまくったのですから。その中に、机の上に料理がある、という事実はさほど重要ではない事実として頭の隅に残っていました。‥‥が、改めて見て、その違和感に気がつきました。
パッと見ため、ちょっと豪華な夕食です。
朝にそれだけ用意されている時点で十分おかしいかもしれませんが、さすがにこれを今朝、フランシスに凌辱同然に抱かれた後で作ったとも思いません。となると、いつ用意したのか。昨日?‥‥でも、この子も昼間、外に居た。自分と会ったのだ。自宅からその現場(フランシスの職場近く)までは結構な距離があります。まあ例の車の男と同乗して来たにせよ、あの後走り去って、それからすぐに自宅に帰って?そうして、この豪華な食事を作ったというのも、これまた考え難い話です。
と、なると。
つまり、あの。「お願い、早く帰ってきてね」と言ったあの日、あの日の夜に用意したのではないか。2日前の夜、いや夕方、あの子はこの食事を用意して、‥‥帰らない俺を、出会ったばかりの女を抱き倒している自分を、一晩、待っていたのでは、ないのか。
「‥‥ッ!」
一気に血の気が引いた。まさかまさか、まさか!そんな、何で、帰らないことなんて、連絡なしで帰らなかったことだってこれまで何度もあった筈だ。
何があった?何で、待ってた、マシュー‥‥!
ドクドクとうるさいくらいに心臓が鳴る。指先からどんどん熱が奪われていく感覚。痺れるような震えがひたひたと足元から押し寄せて、知らずよろけたフランシスは、そのまま何かに押されるようにしてキッチンを後にします。そして、足音を立てて駆け込んだのは二人の寝室。ここにはベッドのほか、つくりつけた飾り棚とベッドのサイドボードに、二人の他愛ない、けれど大切なものを並べてありました。
二人で出かけた先で撮った写真。結婚の記念に作った名前と愛の言葉が刻まれた金色のスプーン。エンゲージリングが納めてある箱。結婚祝いにとトーニョから貰った精巧な金細工のオルゴール、ルートから貰った可愛い仕掛け時計。それから、それから。
ふ、と目を引いたものがありました。
‥‥カレンダー。
それは、誰から貰ったわけでもなくて特に大切なものでもなかったけれど、必要なものとして寝室に置いておいたものでした。小さなカレンダー。
そう、これはいつだか、マシューが買ってきて、置いたのだ。
『大切な日を、忘れたくないから。』と。
果して、二日前の日付にくるりとちいさな赤い丸印。
「‥‥記念日?」
何の。結婚記念日はもう少し先だ、その日は自分だってしっかり祝おうと、贈り物だって用意していた。プロポーズした日?これも違う、こっちは過ぎたばかりだ。この家に入居した日。違う。初めてキスをした日。違う。初めてデートした日。違う。初めて‥‥
「‥‥‥‥‥‥俺たちが、出会った、日、だ。」
偶然入った、カフェで。
まだ学生で、ぎこちない仕草でもの慣れない動きで、けれど懸命にそして穏やかに笑っていたマシュー。可愛かったマシュー。‥‥俺に傷つけられることもなく、裏切られることも知らないで、ただ、ふんわりと、笑っていた。
『な、俺の家族になんない?』
戯言のように告げた言葉。湖水色の綺麗な目を、まんまるに開いて俺のことを見返してきた。
‥‥この子がいいな。傍に置くなら、ずっと傍に置いておくなら、この子がいい。
可愛さ、純真さ、無垢な笑顔、心からの献身。安心感。
きっとこの子は、自分を裏切らないのだと。
『フランシスさん』
自分は、この子を裏切っちゃいけないのだと。
「‥‥探さないと」
あの子を、俺が傷つけたあの子を探さなければ。
探し出して、そして謝るのだ。死に物狂いで許しを請え。膝をつき心の底から謝って、謝って傷つけてしまったことを悔いて悔いて謝るのだ、今すぐに、どんなことをしてでも!
突き動かされるまま、けれど今度は冷静になった兄ちゃんは、お家の中を丁寧に見て回ります。何か、マシューさんに繋がるものを探して。
そして、改めて驚き、絶望しました。
あの子、本当に何も持って出てない。この家から。
普通、フランシスに愛想をつかして出て行くにせよ受けた暴力に恐怖して逃げ出すにせよ、それなりに持って行くと思うわけです。鞄に服と通帳と印鑑と思い出の品を押し込んで、というわけじゃない。むしろ通帳くらいは持って行ってくれてたらよかったお金がないと困るだろうし。そうじゃなくて、普通は持って行くもの。失踪云々以前に、出かけるなら普通に持って行くような。
‥‥携帯電話も、少しのお金とクレジットカードや身分証代わりの運転免許証が入ってる普段使いの財布さえ。
本当に、何もかも残していっていたのです。
身一つで。フランシスからの暴力を受けた彼が、痛む身体を心を抱えて、自分が眠った一瞬の隙をついて出て行った。
全てを捨てて、行った。
「マシュー、‥‥マシュー、マシュー‥‥」
携帯電話に、そっと手を伸ばしました。電源は入ったままです。
クリスタルとアメジストを使った携帯ストラップは、フランシスが愛しいこの子の瞳にあわせて自分で作って、つけてあげたもの。
静かにフリップ型の携帯を開きます。待ち受けは彼が大好きだった、真っ白なクマ。出会った頃は動物園の獣医になりたい、なんて言っていたのだ。
結婚するから、貴方の傍に居たいからと。学校は辞めたけれども。
ポウッと点るバックライトに、ほんの少しだけ躊躇ったあと、フランシスはアドレス帳を開きました。
何も持っていない彼が頼るのは、きっと友人。‥‥昨日のあの男のことは、とりあえず置いておくとして。
アドレス帳はカテゴリ別になっていました。『ショップ』『仕事』『友人』‥‥『家族』。
携帯を持つ手に、震えが走りました。
ゆっくりと、順番に見ていきます。
ショップ。彼のお気に入りのセレクトショップ、クリーニング店、タクシー会社やかかりつけの病院、いつも買いに行くパン屋、彼の大好きなメイプルシロップを輸入している雑貨屋。仕事は、彼は仕事をしていないから、主にフランシスにこそ馴染みのある場所が中心のナンバー。友人、これは知っている名前と知らない名前が混ざっている。ロヴィーノさんだとか、ヨンスくん、とか。
知らない名前に、掛けてみるべきだろう。もしかしたら、行き先の手がかりがつかめるかもしれない。
けれど、その前に。‥‥その前に、見なければ。
震える手で、そっと、‥‥カテゴリ、『家族』。
そこにあったのは、たったひとつだけ。
『フランシスさん 携帯』
たったひとり、自分だけ。
彼を一番酷い方法で裏切り続けた、彼のたった一人の、家族の。
「っ、マシュー、ごめ、ごめんマシュー、ごめん、ごめん‥‥ぁ、ああぁあッ、あー‥‥っ!!」
『俺の家族にならない?』
『あなたが、僕の家族に、なってくれるんですね』
花が綻ぶように笑った、その顔を一度たりと忘れたことなどなかったのに。
泣き崩れた。決して裏切ってはいけないひとを、裏切ったのだと、思い知った。
→09
→index