グラスの縁をノックする柔らかい音に、アメリカはゆっくりと視線を横へと流した。
自分でも驚くほどに緩慢な動作は、先ほどから摂取している蒸留酒のせいだ。普段飲みつけたピルスナービールや自国産の蒸留酒に比べ、僅かにトロリとコクのある其れはするすると喉を撫でて胃の腑へと収まる。美味しい。美しい冬の大地を持つ、隣国のもの。
正確には、其れを土産にとアメリカのアパートメントを訪れた、彼女のもの。
透明な、カロンと優しい音が彼女の手元からもう一度。

「カナダ。‥‥なんだい、あんまり飲んでないんだね、もっと飲みなよ」
「うん?いいよ、これキミに持って来たお土産なんだから」

だからアメリカが飲んで。甘い声はおっとりと、微かに傾げた首に柔らかな巻き毛が華奢な肩を掠めて滑り落ちる。
その白く少しだけふっくらした両の手のひらに包まれるように持たれた6オンスのタンブラーの底には、既に角をなくした氷が一つのみ。先ほどまでそこには優しい金色がアマレットと手を取り合って氷を浮かせていたはずなのに。
アメリカはふわふわとした思考の片隅で、けれど動作自体は滑らかに床に置かれたボトルを取り上げた。
お土産との言葉どおり、国外での仕事がてら訪れた部屋の主に対し、数日の宿代がわりとでも言うのか彼女が玄関先でアメリカに手渡してくれたボトルは、その時に較べると格段に目方が軽くなってはいたものの、まだ十分な量がある。キキュ、と音を立てて開栓したアメリカは、そのまま隣に座る彼女のグラスに、蒸留酒を注ごうとしたのだが。

「だぁめ。イギリスさんに、あんまり飲むなって言われてるんだよ」

傾けかけたボトルの口は白い指先に水平より高くにすくい上げられた。
行き先を見失って揺れた液体が、ボトルの肌越しにアメリカの手のひらを微かに震わせる。ふと、トロリと重いアルコールの香りがアメリカの鼻先を掠めて零れた。
芳醇な、心を柔らかくする良い匂いだ。
その濃く芳しい酒香にふわりと甘い匂いが混ざって香り、それが隣に座る彼女のものなのだと認識して、無性に堪らない気分になりもしたが。

カナダは、アメリカの大切な『きょうだい』だ。

陸続きの隣国。よく似た血統、同じ庇護者のもとで育ち、過程こそ違えど同じように海向こうの兄の下から巣立った。以来、文化の侵食だ経済依存だと様々に言われつつ、けれど根元の部分では最も近しい身内として、親密に付き合ってる。
「しばらく泊めてね」の言葉を唐突にやってきて聞かされたとしても、仕方がないなと肩をすくめつつ決して断らず、その華奢な肩を抱いて迎え入れる程度には。

「仕事、早く終わって良かったね」
「ああ、君のおっとりさに合わせてたら50年くらいはかかるんじゃないかと思ってたけど、5日で済んじゃったね。奇跡だぞ」
「うるさいな!そんなのんびりじゃないよ!」
「そうかなあ?50年に一度の奇跡じゃないのかい?」

己の軽口にポコポコと怒りつつ反論するカナダをアメリカはあっさりと往なし、一度は行き場を失った蒸留酒を己のショットグラスへと注いだ。ストレートで飲むには、左党というほどでもないアメリカには少々重いのだが、‥‥飲まなければやっていられない、というのも事実だ。

隣りに座る柔らかそうな身体から香る甘い匂いから気を逸らすには必要な、芳しくも苦い液体。

「それにしたって、イギリスが飲むなだって?なんだい、彼はまだ君にそんなことを言ってるのかい?干渉し過ぎだろう、まったくあの人は。大体酒で彼に何かいう資格があるとでも思ってるのかな」
「いや、まぁそれは‥‥。でも、イギリスさんは私のこと心配してくれてるだけだし」

アメリカよりずっと小さく華奢な身体、けれどまろやかな女性特有の優雅なフォルムは十分すぎるほどに豊かに備えたカナダが、おっとりとした声でフォローになりきらない言葉で元宗主国を庇った。
本当はね、優しいんだよ?イギリスさん。
甘い、ふんわりとした声でカナダが言う。
円満な独立を選んだ末に緩やかな連帯を得た彼女と元兄の繋がりに、心の深い場所がジリジリと低温の炎に焙られているような感触を不意に覚えた。‥‥その感情の名は当の昔に知れていたが、敢えて無視する。
重く喉を焼くアルコールとともに、落ちかけたため息も飲み込んだ。

「俺はそんなこと言われたことないけどな」
「アメリカと私じゃ全然違うよ」
「男女差別だね。男女雇用機会均等法に抵触するぞ!」
「や、雇用されてないし」
「それじゃ男女飲酒機会均等法?」
「機会なら均等でしょ」

いつも一緒に飲むんだから。
その言葉に、アメリカの心がふわりと浮き上がる。なんともお手軽なことだと我ながら思うが、それは仕方がないというものだ。




恋をする人間なんて、万人漏れなく仕様がない存在だ。アメリカは、つくづくそう思う。




彼女を、カナダを好きだと自覚して以来、アメリカは女性とは飲みに行かなくなった。もっとも、それはカナダには関係のない、密かなけじめのようなものだが。
カナダの言うとおり、飲む機会といえば精々が上司酒席に付き合わされるか、主宰のパーティで形ばかりにグラスを合わせるか。そうして、そのどちらもに緊密な付き合いをしている隣国の上司や幹部が出席することは決して不思議でも珍しくもなく、当然、彼女もその場に居合わせるわけで。
その上で、こうして二人、どちらからともなく訪ね合って開く、ささやか過ぎる酒宴が、飲酒の機会の全てだといっても過言ではない。───まぁ男友達と遊んだついでにパブで飲む一、二杯のビールはカウントせず、だが───アメリカが異性と飲む酒は、カナダとだけだ。
いつも一緒に、飲む相手。‥‥彼女の言を信じるならば、彼女にとってもアルコールを手にするのは、アメリカの前でだけ、ということになる。

カナダ、君、誰か、飲みに誘われたりしないのかい?
例えばそう、君好みの、優しくて気障ったらしい男、とかに。(カナダの好みは、フランスでありイギリスだ。まったく解り易いったらない。その項目に俺が入っていないのはすごく不服だ!)

‥‥なんて。

「‥‥言えるはずもないけど、さ」
「え?アメリカ、何か言った?」
「あー‥‥なんでもない」

ふんわりと無防備で甘い声に、アメリカはため息とそれ以上の欲求を押し殺して、軽やかに応える。

自分はそう見た目も悪くないし、それなりに会話も巧いほうだ。楽しいことや気持ちいいことも嫌いではない、良くも悪くもごく一般的な、欲も持ち合わせていて。その結果として、幾人かの異性と付き合ったこともある。
可愛らしく甘い声、キュートな仕草。抱きしめて守って、腕の中で自分だけが熱く蕩かせたいと思わせる熱く柔らかな肢体。
皆、とても素敵な女性ばかりだった。一夜限りの付き合いだったこともあるし、あるいは容姿を変えない「アルフレッド」の正体を無言のうちに汲み取った上で、長い年月をともに過ごしてくれた女性もいた。
彼女達はアメリカを優しく愛してくれたし、包み込んでくれた。

‥‥けれど、今は。今、欲しいのは。




「‥‥アメリカ?」
「んー‥‥?うん、‥‥」

隣り合わせて座るカナダの肩へと、そっと腕を回して緩く抱き寄せる。
床に投げ置いたビーズクッションを背もたれ代わりに、ラグを敷いた床に直接座って飲んでいる二人の距離は、もともとごく近距離。
ごく小さい頃から一緒に過ごし、時に刃を交えつつも手を取り合って長い年月を過ごしてきた自分達には、不思議でもない距離。

‥‥ああけれど、けれども。

「どうしたのさ、酔っ払ったの?」

抱き寄せた身体は小さく柔らかく、あたたかい。兄弟として、守ってあげたいサイズで、‥‥男として、愛してあげたいサイズで。
けれども腕の中の彼女はといえば、無防備に「兄弟」に身体を預けて、「兄弟」に対する心配顔。
手に持っていたタンブラーを床に置き、ついでとばかりにアメリカの手からもショットグラスを取り上げて、自分のグラスの横に並べ置く。
抱き寄せたカナダのふわふわとした巻き毛に鼻先を埋めながら、白い指先がおっとりと働くのを、アメリカは酒精と眠気に意識をゆるゆると浚われながら、視線で追った。

細くて小さな、可愛らしい指先。指を絡め合わせて、繋げたらいいのに。
抱き寄せた華奢な肩をそのまま抱き込んで、少し灰みがかった瞳に自分だけを映させて。‥‥ふっくらとした唇を吸って、舌を絡め合わせて甘い唾液を啜り上げて、まろやかな胸を揉みしだいて快楽に戦慄く熱い身体に猛った自身を穿ち込んで、狭くキツい締め付けを堪能して‥‥

数え切れないほど夢想した、彼女との体験。
アメリカには、実現させようと思えば実のところ簡単なことなのだ。だってこれほど近くにいる。抱き寄せて、甘い匂いを嗅いでいる。自分は誰より、カナダに近い。イギリスよりフランスより、彼女に焦がれ抱きしめたいと願う男達の、誰よりも。

‥‥ああ、けれど。けれども。




(彼女は優しい、俺の「きょうだい」!)




「カナダぁ‥‥」
「ふゎ?って、アメリカ、くすぐったいよぉ、もう」

アメリカは抱き寄せていた肩から手のひらを外して、けれど身体は離さずにそのまま体重をカナダへとかけた。肩を抱いていた手のひらはニット越しの背中を撫で下ろす形で床に落とし、ぺたりと床に触れているカナダのぽってりとしたヒップにさりげなく触れさせる。‥‥触れさせるだけだ、それ以上は何もしない。
上体もそのまま、重力に従ってカナダへとしなだれかかれば、アメリカより優に二まわりは小さいであろうカナダは、「しょうがないんだから」と苦笑含みの呆れ声で呟きながら、アメリカを凭れさせたまま少し身体を動かして、身体の前にアメリカの頭をやんわりと抱き込んだ。
頬をくるむふにふにと柔らかくていい匂いがするその場所は、アメリカの身体にはない素敵な場所で。

「‥‥キミ、おっぱい柔らかいなぁ‥‥気持ちいいんだぞ、最高‥‥」
「はいはい。まったく、そういう感想が出てくる辺りやっぱりイギリスさんの弟だよね‥‥もう、いいから寝ちゃいなよ」

そのまま、緩く膝を立てた「きょうだい」のふわふわな胸元に頭を埋めたアメリカは、うん、と小さくうなずいた。
アルコールと眠気、そしてそれらを最高に引き立たせる甘くて柔らかな褥を手に入れたアメリカは、夢うつつのままにそっと愛しいひとの身体を抱き寄せて、心の中で幾万回も唱えた告白を繰り返しながら、意識を眠りの縁へと沈みこませた。









キミが好きだよ、ずっとずっと。好きだ、愛してるんだぞ!
ああだから、早く気づいて、その身体を愛させて、抱きしめさせておくれよ───。









「‥‥アメリカ?寝ちゃったの?」

そっと、囁きよりも小さな音量で尋ねた言葉には、むにゃむにゃと言葉になりきらない寝言と、もそもそと頭を胸へと埋めさせる仕草になって返ってきた。
まるで小さな子どもの仕草に、カナダは思わず笑ってしまう。
とはいえ、身体の厚みも身長もすっかりとカナダの其れを越えた「兄弟」の身体は、ずっしりと重い。カナダは背中に緩く触れたビーズクッションにそろそろと体重を移動し緩やかに凭れる体勢にしてから、改めて胸に抱きとめた彼の身体に、腕を回して抱き寄せた。‥‥彼の長い脚は組んだままなのでちょっと窮屈そうだが、どうにもできないので我慢してもらおう、と思う。
背中に凭れる場所を貰ったおかげで、やや重たかったアメリカを楽に受け止めることが出来るようになった。カナダはひとつゆっくりと息をつくと、あわせて上下した胸に、ううん、と唸ったアメリカがますます顔を埋めてくる。
自分とは違う、目の冴えるような煌びやかな金髪を抱いている状況に、カナダの口元に自然と笑みが零れた。‥‥甘い、甘い笑み。

「もう、子どもなんだから」

呟いた声は自分でも恥ずかしいほどに甘くて、カナダは頬をうっすらと赤く染める。
腕の中の身体は大きくて、硬い。普段彼が着込んでいるジャケットはどこだかに投げ置かれており今のアメリカは薄いシャツ一枚なのだが、その布越しにもしっかりと密度の高い筋肉が見て取れる。少しざらついた素肌。優しく抱き寄せられたときの太い腕の緊張と、‥‥優しさの裏に隠しきれなかった、欲。

解らないと、彼は思っているのだろう。カナダには、解らないと。
カナダはおっとりとしていて、子どもで、とかなんとか。

「‥‥どっちが子どもなのさ、だよ。アメリカ?」

ため息のように独りごちながら、カナダは床に置いたグラスを取り上げた。自分のカクテルを入れていたタンブラーではなく、アメリカが飲んでいたショットグラス。カナディアンのストレート。
慣れた仕草で、ゆっくりと啜った。染み渡るように身体に入る芳醇な液体が、ふわりと身体の芯を温める。喉を甘く潤し焼く其れが、カナダは好きだった。‥‥そう、いま目の前で、もとい胸の中で潰れている彼に較べれば、ずっとアルコールには強い。

「あんまり飲まないけど、ね」

グラスを傾けつつ呟いた言葉に、海向こうに住まう元兄の声が重なって聴こえた気がして、カナダは小さく笑った。

確かに、一緒に飲んだ挙句ベショベショ泣きながら怒る自分は、始末に終えなかったことだろう。気がつけば膝の上に抱き上げられて、彼に抱きついて泣き続ける(そして時々怒る)自分の頭を苦笑しつつ撫でてくれていたイギリスは、いろんな意味で我慢強かった。さすがは自分の兄である。翌朝しっかりと飲む量について諭されたわけだが‥‥いやしかしこの酒癖の悪さはイギリス譲りだと思われるから、責任とって下さい、くらいは言ってもよいのかもしれない。

責任とって、愚痴くらいは聞いて。
アメリカには言わないから。言えないから。
泣いていた理由も。怒っていた理由も。




キミが好きだよ、ずっとずっと。好きだ、愛してるんだぞ!
ああだから、早く気づいて、その身体を愛させて、抱きしめさせておくれよ───。




「そんなのこっちの台詞だよ、バカメリカ」

呟いて、ウィスキーを呷る。
その拍子、身体が動いたのが気になったのか、胸に顔を埋めた男が身じろぐ。腰の後ろに落とされていた腕が、そっと腰を抱いてくるのに笑ってしまった。‥‥無意識でそれだけできるなら、意識があるときもそれくらいすればいいのに。

本当に、ばかなんだから。
腹が立つほどに、泣きたくなるくらいに。

「‥‥酒と寝言交じりに言われる言葉なんか、叶えてあげないんだからね?」




───キミが好きだよ、ずっとずっと。好き。愛してる。
だから早く覚悟を決めて。好きって言って、愛して、抱きしめてよ?




アルコールの香りが仄かに漂う静かな室内、甘い声音の甘い甘い告白は。
好きな相手の柔らかなおっぱいに顔を埋めて眠り込む、最高に幸福で最高に不運な青年の耳には届かないまま、ショットグラスの蒸留酒に溶けて、再び彼女の中へと戻された。









果たして翌朝、甘い匂いの柔らかさに包まれて起きたアメリカが真っ赤な顔で最高に慌てふためくのに、甘やかに笑ったカナダへと。
覚悟を決めた告白の末に心蕩かす甘い返事を受け取って、甘い甘い恋人のキスを交わすことが出来るのは、もう数時間先に待つ、素敵な未来のお話だ。









 Veni,veni,venias!





end.(2009.03.20)

アメリカだと雇用平等法。
カナちゃんは酔っ払ってイギに絡めばいいです(´∀`)

「アメリカのスットコバカぁ!」
「‥‥まぁな、確かにバカだなアイツ」
「泊まりに行ったげて肩抱き寄せられて身体預けても
何もしてこないばかりか言ってこないってどういうことですか?!」
「カナダ意外と頑張ってるな‥‥。もうマジでアイツどんだけヘタレなんだよ」
「おっぱいばっかりのグラビア見るくらいなら私の触ればいいじゃないですかッ、
おっぱいくらい揉ませてあげるもん!」
「‥‥‥‥。わかったわかった、おっぱいなら俺が揉んでやるから」
「イギリスさんじゃなくってアメリカがいいの!ばかばかばかぁ!!」
「ああもう落ち着けって、アイツがガラスの十代なの汲み取ってやってくれ。な?」

抱きついてくるカナちゃんのおっぱいを揉みつつ(まぁ目の前にあるんだし/笑)
海の向こうでグラビア見てる弟のヘタレ具合にため息をつくイギリスお兄様、でした。(´∀`)

そんなイギリスお兄様とカナちゃんの、少し前のお話。
カナちゃんの性格が、メリカの思ってるのと違いますよ(笑)↓
Estuans Interius