「それじゃフランシスさん、お先に失礼しますね」

控えめな笑みが好ましい、同僚であり友人でもある相手に、フランシスは柔らかく笑って手を振った。

「はいよ菊ちゃん、手伝ってくれてありがとねー。お礼はこの身体でお支払いでいい?」
「冬の原稿のトーン処理で手を打ちましょう」
「はいよー。‥‥あ、でも、ルート×俺の18禁原稿とか手伝わないからね?!」

結構本気で付け加えた支払条件に、けれど菊は控えめに笑っただけで一礼すると、行ってしまった。‥‥少々、今回の手伝いは高くついたかもしれない。
勉強会に使うスライド作成を友人に手伝って貰いつつ終えたフランシスは、ひとつため息をついてから、椅子に座ったまま大きく伸びをした。
くはぁ、とその美貌も台無しのあくびをして、だらけきった体勢のまま、時計を見遣る。
それから再度の、ため息だ。

「ああもう、迎えにいけた筈なのにー‥‥」

いつもならばちょうど今頃、恋人を助手席に迎え入れている時間だ。
歩いてきているなら、もうそろそろ病院近くの大通りにさし掛かる頃だろう。若者らしい、軽やかな恋人の姿を思い浮かべる。‥‥彼の好きなメイプルクッキーでも、齧っていたりして。

「あ、ごはん‥‥」

彼の家の冷蔵庫の中身はほぼ9割把握している、というかフランシスが調理まで含めて管理している。‥‥彼の兄は料理が好きなわりに、いっかなその味は向上しない。メスを持たせればあれほど繊細な手技を誇るというのに、いっそ世界の七不思議クラスだとフランシスは思う。
これまたいつもならば、夜勤前には胃に優しくけれど眠気覚ましにはちょうどいいメニューを作って、食べさせてやっているのに。

「ちゃんと食べてきたかなあの子、今日はポテトキャセロール作ってやる予定だったんだけど‥‥」

美味しそうに自分の料理を食べてふわふわと笑い恋人の笑顔を思い出し、フランシスはニヨニヨと顔を笑み崩した。‥‥美味い料理にご褒美、といってキスをねだるのは、我ながらいい歳してどうかとも思うのだが、いいじゃないか可愛いのだから、とフランシスは開き直る。
まぁ、いいだろう。自分は明日明後日は休みだし、彼も夜勤明けとその翌日、つまりは自分とほぼぴったり合う休日だ。夜勤に疲れた彼を迎えに此処へ来て、そのまま家に連れ帰って美味しい食事を摂らせてやろう。自分の家でもよいが、ついでなので彼の兄で自分の腐れ縁の男にも食事を作ってやらないでもない。アーサーが自分の料理が好きだというのは、いい加減把握済みだ。何だかんだ言いつつ、あれで案外可愛い男なのだ。

「そうして将来はー、俺の義理のおにいさーんってね〜」

まぁ今も似たようなもんか、二人ともメシ食わせてるの俺だしー。
歌うように呟いた言葉に、ニヨニヨと崩していた顔を、ほんの少しだけ真面目な、幸せな笑みへと変える。
背もたれを撓ませて座っていた椅子から軽快に身体を起こし、足元に置いた鞄から、小さな包みを取り出した。

天鵞絨張りの箱に何が入っているのか、きっと誰が見たってわかる。

そろりと開けた小箱には、対で作った指輪。自分と、彼の。
自分たちは法的な結婚は出来ないけれど、こうして愛を誓うことは出来る。
いや、既に誓ってはいるわけだけれども、けれどやはり、区切りは、大切だ。

大切にしたいのだ。可愛い恋人、可愛い、マシューを。

フランシスはそっと、指輪に唇を寄せる。

「愛してるよ、マシュー。ずっとお前の傍に、いるから」









院内の緊急呼び出しベルが鳴ったのは、愛しい恋人の顔を思い浮かべながら指輪へとくちづける、一瞬前だった。









『フラニー!すぐ、すぐに来い、来、て、マティが、あ、あああ‥‥ーッ!』

悲鳴を通り越した狂気じみた叫びと、告げられた言葉に。
信じていた、二人で手を取り合い生きる未来が、一瞬で崩れた。



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